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  • 140 シンフォニーホール前の並木道
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2012年5月 3日 (木)

二上山山麓燃ゆ

〇 今し方まで小雨が降っていたかと思うと、茅渟の海の彼方に沈む夕陽が サッと僅かな雲間から 二上山の山麓に ライトを当てた。

〇 山麓だけが燃えているようだ。(H24.5.3 18:27分自宅庭より写す。)  写真の上でクリックすると拡大しますsun

2012_05030003               

2012年4月30日 (月)

ヒヨドリの巣が庭木に!

〇 一週間ほど前、自宅玄関脇にある山茶花の木に、ヒヨドリが巣作りをしているのに気が付いた。 (下の写真右側の木)

Photo_7

〇 いつの頃からか玄関ドアを開けるたびに、茂みから鳥が飛び立っていったのは、巣作りの材料を運んでいたのだ。

〇 漸く、家人が巣作りに気付いて以来、家族みんながドアをソッと開け、足音も忍ばせるように心がけた。

〇 それにしても、人間の手の届くようなところに巣作りするとは大胆な鳥だ。でもヒヨドリは意外に人間に懐く鳥なのだそうな。

Photo_8 写真左は、4月23日 09:53写す。

〇 4月30日朝7時過ぎに巣を覗くと巣籠りを始めていた。まだ警戒はしているようだが、人間を見ても飛び立とうとしない。ソーッとカメラを向けてみた。
(写真下は、07:41分写す。
クリックすると拡大しますheart04

Photo_9 つづく...

〇 5月1日朝5時半に見ると、卵を抱いた親鳥がいた。7時半頃、親鳥が留守(朝食に出かけた?)の隙に、慌てて撮ったのが下の写真(07:46写す)。
Photo_2
後程、はしごを持ち出し 上から覗くと3個の卵が並んでいた。 

Photo

親鳥が散歩?で留守の間にパチリ!(H24.5.5 15:49分) 

〇 親鳥も卵3個も 突然消えてなくなった!!

 5月初旬の連休明けから1週間仕事で出張している間にヒヨドリの巣から3個の卵がなくなってしまったのだ。

 家人の言によると、10日の夕暮れまでは親鳥が熱心に卵を抱いていたそうで、11日の朝5時過ぎ(もう明るい)には親鳥の姿が見えず 夜になっても巣に帰ってこなかったのだそうな。巣を覗くと卵3個もなくなっており、卵殻も見当たらず巣立った形跡もなくキツネにつままれた様な気がした由。

 もう雛が孵化する頃合いにはなっていたのだが、抱雛期間(10日位か)もなく巣立っていくことは考えられず実に不可解。具眼の士に教えを乞いたい。
(下の写真:卵が消えたヒヨドリの巣)

Photo

 雛の巣立つのを見たかった。残念。

2012年4月 8日 (日)

二上山 馬の背からの日の出!

二上山馬の背からの日の出。今年は一点の雲なき夜明けだった。

            写真は平成24年4月8日 06:10 自宅の庭で撮影。

              (写真の上でクリックすると一杯に拡大します)Photo

2012年4月 3日 (火)

不穏な空・二上山雌岳頂上からの 日の出

Photo_2 〇異常に発達した低気圧が日本海を東漸中で、昼過ぎから暴風雨になることを天気予報は告げている。

〇今朝は、二上山雌岳頂上からの日の出だったが、雲の動きが激しく不穏な雰囲気。

写真は、4月3日 06:19分撮影

写真の上でクリックすると拡大します。

2012年3月10日 (土)

東日本大震災から1年。

○ 東日本大震災から、明日で1年が経つ。世界的な金融危機、国内の財政難、政治の不安定、個人主義の行き過ぎ..など将来への閉塞感の漂う中で起こった大災害だった。

● 大災害から1年。過剰な個人情報保護の見直しの機運が出てきた。匿名化が進んだ日本の社会に、個人情報をオープンにして他者と緩やかに繋がっていくという機運が出てきたのだ。他人との「絆」を大切にしようという意識が強まってきた。学校の名簿から消えた電話番号の復活、自治会(町内会)名簿の復活なども検討されていけば良いのだが..。

○ 小生、ツイッターで呟くのを止めてから、もうすぐ1年になる。ツイッターは匿名の相手に 時々の感情を吐露する場なのだが、その空しさを痛切に感じるようになってきたのだ。(尤も、小生はツイッターでもブログでも顔写真つきの実名で、オープンにしているのだが..)

● 実名で登録するフェイスブック(SNS)の利用者が急増している。個人主義の方が居心地の良かった若い人達でも、情報を隠すより 開示することのメリットを感じるようになってきているのだ。(㊟ SNS=ソーシャル・ネットワーキング・サービスの略。日本ではミクシィが有名)

○ 震災後の避難所で、年寄りの「これからどうなるんだろう」との呟きに対して、隣にいた高校生ぐらいの男の子が「大丈夫、大人になったら僕らが元へ戻します」とやさしく背中をさすって言った。

● 若い人達の力で、日本は少しづつ新しい未来のみえる方向へ変身していく兆しが処々に見られるのは頼もしいことだ。

                              弥吉の独り言。

2012年2月15日 (水)

氷雨の上がった二上山。

○ 二日間、氷雨そぼ降る寒い日が続いたが、今朝は漸く上がり

 二上山の山頂が湧き上がる靄の中から顔を出した。

○ 飛鳥川の辺では、ネコヤナギの芽吹きが始まった。自然は着実に

 春へと歩み始めている。

  ☆写真の上でクリックすると画面一杯に拡大します。(自宅庭で撮影H24.2.15 09:23Photo

2011年11月21日 (月)

今年も村山聖に逢いに来た。

○ 11月20日(日)、午前11時半からの所用ありて大阪へ出かけた。やゝ早めに家を出て近鉄、JR環状線を乗り継いで、環状線福島駅で降りた。

Photo_3○ 写真(左)は駅のホームから見た「なにわ筋」。中程よりやゝ右上に関西将棋会館の茶色いビルが細長く見える。(9:41分)

Photo_5 ○ ガード下にあるOK1番街の入口。今日は日曜日で休みのためシャッターが下りている。(9:44分)

○ 聖と森師匠が母親のいない父子に間違えられるほどよく通った

「更科食堂」は、入口を入って右側にある。

○ 因みに、OK1番街とは、大阪で一番の食堂街 の意なる由。            

Photo_7○ 関西将棋会館の入口。

年配の男性が友達が来るのを待っている。2階にある道場で将棋を指すのだろう。(9:47分)

○ 今日ここへ来た目的の第1は「市山ハイツ」のあった場所を写真に撮ることである。時間に余裕がないため、会館には寄らず「市山ハイツ」の場所へ急いだ。

Photo_14 ○福島6丁目の交差点(写真左)を左に見ながら長い歩道橋を渡り、北側のブロックへと入る。(9:55分)

○ 「市山ハイツ」は、聖が森師匠との約1年間に亘る共同生活を終え広島へ帰って間もなく、地上げで取毀されてUZビルという6階建のビルに建替えられているのだ。

○ 6年前に撮ったUZビルの写真(下の写真)を片手に隈なく探したが見つからない。人に尋ねても分らない。

Photo_15

○ 周りの風景などを参考に約20分探した結果、漸く分った。 ○ 4年前に隣のビル所有者に買収され新しく建替えられていたのだ。それが下の写真。(10:22分) ○ 聖が森師匠と奇妙な共同生活をしていた場所に やっと辿り着いた。 ○ 聖は、ここで森の友人達、「必死」創りの名人来条克由等と慣れ親しんだのだ。そして、聖はここで 自然人で純なる心の持主 森師匠からも多大な影響を受け、心豊かに成長していったのだ。

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写真上はシンフォニーホール。(10:27分) 写真下はシンフォニーホール前の並木道。(10:31分) 写真の上でクリックすると画面一杯に拡大しますhappy01 ○ ふたりで何度歩いただろう。紙袋を提げた村山聖の姿が焼きついている。時々、バッタリ会うこともあった。 (2007-05-17付 森信雄七段の大淀を歩く[写真日記]より) 

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写真下は、上福島北公園南側の舗道。(10:33分) 舗道をまっすぐ行くと前田アパート方面、右へ行くとシンフォニーホール前の並木道を抜け大淀ハイツ方面へ の別れ道。

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○ 何も用事がないときは、ここで別れた。トボトボと歩く姿を見届けて(大淀ハイツへ)帰る。村山君の行動範囲は限られていて、前田アパート、関西将棋会館、大淀ハイツ、書店、食堂、その半径1キロ界隈がテリトリーだった。余計なもののない暮らしだった。(2007-05-17付 森信雄七段の大淀を歩く[写真日記]より)

Photo

○ 市山ハイツのあった場所探しに時間を取られ、金蘭女子高校、福島食堂を経由して急いで関西将棋会館前まで還ってくると10:45分だった。前田アパートまでは行けなかった。村山聖の姿を求めた1時間余の短い旅は終わった。                                                                                                                                                                                        

2011年11月 3日 (木)

今年も正倉院展

○ 昨日(11月2日)奈良国立博物館で開催中の正倉院展を観てきた。今年の目玉はやはり ① 香木 「蘭奢待」と ② 刀 「金銀鈿荘唐大刀」だった。

Photo
左の写真が①香木「蘭奢待」(らんじゃたい)

○ 東南アジアの産で、海のシルクロードを伝い、齎されたと思われる。

○ 何度も写真では見たことがあったが実物を観るのは初めて。

○ 実物は、長さ156cm、重さ11.6kg もあり、かなりの大きさ。流通の過程のほか正倉院に納められた後にも一部を切り取られ無慚な姿。50ヶ所以上の切り跡があり、38人以上の人が切り取ったとの調査がある。

○ この香木の芳香に魅せられ、時の権力者などが失敬したのだろうが、実物(上の写真)には切り取り場所が確認できる3人について名を記した付箋が貼ってある。

○ 以前写真を見た時には、付箋に墨書された字(内容)が読み取り難かったが、実物を観て判明した。右側から順に、足利義政拝賜之處、織田信長拝賜之處、そして(離れた左端) 明治十年依勅切之と読めた。

○ 義政は1465年に正倉院を拝観した折、信長は1574年に奈良の多聞山城に居る時、左端は1877年に明治天皇が奈良に行幸し宝物観覧の後、各々切らせたのである。切り取った年代により、切り口の色合いが微妙に異なるのが面白い。

Photo_3 左の写真が②刀 「金銀鈿荘唐大刀」(きんぎんでんそうのからたち)の部分と全容。

☆写真の上でクリックすると画面一杯に拡大しますheart04

○ 正倉院御物を記した「国家珍宝帳」には100本以上の大刀の名前が記されているが、大半は戦乱の折、朝廷側が持ち出し、現存するのは本件を含め3本のみ。

○ 全長99.9cm。一見して、繊細にして華麗。唐草模様を高度な透かし彫りにした金具(冑金、山形金物など)には水晶やガラスが嵌められている。

Photo_4

○ 刀の柄は鮫皮で巻かれており目貫や鍔・縁金にも高度の技が見られる。

○ 全体的に洗練された美しさが見事で、とても実用的なものではなく、儀式に用いる装飾儀仗用の大刀だったと思われる。

○ しかし、奈良時代に一度出蔵され、その後宝庫に戻されたという歴史があるそうだ。

○ この大刀は、中国(唐)から伝わったものだろうが、とても1250年以上前に製作されたものとは思えない瑞々しさに驚かされる。  おわり

↓下の ≫続きを読むをクリックして下さいheart04

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2011年10月10日 (月)

二上山と鐘楼

Photo

              ☆写真の上でクリックすると、一杯に拡大します。sun 

〇 右側遠景にかすむ二上山。太子町春日にある浄土真宗本願寺派
「光福寺」の境内からの眺めである。鐘楼の右には、地元では有名な鎌田邸の大楠が見え、大和造りの急勾配な屋根の民家も散見される。その向こうの集落の中を最古の官道“竹内街道”が貫き、遠く明日香へと続いている。

 尚、親鸞聖人の直弟性覚師の創立(1270年代)であるこの光福寺は、最近「北海道稲作の父」として知られる中山久蔵翁(1828~1919年)の檀那寺として、翁の足跡を辿って遠方より訪れる人が週末などに多いそうだ。

〇 寄進 石狩国月寒村 中山久蔵 と刻ってある光福寺山門前の石段石。                        Photo_2

Photo_3

〇北海道で功成った久蔵翁

は、檀那寺である光福寺に

お米二石、金三百
円、そして

境内参道石畳、山門下石段

(現存・左の写真・上の写真

は右側袖石の拡大写真)を

寄進した。

                                             おわり

           

2011年9月16日 (金)

二上山 の 朝焼けに 秋の色

〇台風15号、16号が日本に接近してきている。その影響で、16、17日にかけて近畿、東海地方にかなりの大雨が予測されている。台風12号の豪雨により甚大な災害を受けた紀伊山地の「土砂崩れダム」下流では土石流の恐れもあり、対策は打たれているのか心配。

Photo_2 〇写真は、9月16日午前5時35分の二上山上空の模様だが、流石に秋の色が濃く、しかも少し不穏の色も漂わせている。

〇午前7時15分に紀伊山地に震度3の地震があり、太子町(大阪・南河内)でも少し揺れを感じた。

〇最近、近畿地方南部で有感地震が多くなってきた様な気がしてならない。大災害が起こる前兆でなければ好いが..。

☆写真の上でクリックすると一杯に拡大しますrain

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  • 650 NHK杯 最後の雄姿。
     村山聖について、彼の師匠森信雄七段は後年 彼について こう語った。「私が村山聖を好きなのは、将棋にひたむきだったことと、病気のことも含めて一切グチを言わなかったことである。無念さや切なさ、遣り切れなさ、口惜しさ..その思いをすべて黙って将棋にぶっつけていたような気がする。」    聖は幼時より腎臓に重い疾患を持っており、生きること自体が闘いであった。いつまで生きられるかという思いを心の片隅に置き、名人を目指して指す彼の将棋は その必死さ において尋常なものではなかった。