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  • 650 NHK杯 最後の雄姿。
     村山聖について、彼の師匠森信雄七段は後年 彼について こう語った。「私が村山聖を好きなのは、将棋にひたむきだったことと、病気のことも含めて一切グチを言わなかったことである。無念さや切なさ、遣り切れなさ、口惜しさ..その思いをすべて黙って将棋にぶっつけていたような気がする。」    聖は幼時より腎臓に重い疾患を持っており、生きること自体が闘いであった。いつまで生きられるかという思いを心の片隅に置き、名人を目指して指す彼の将棋は その必死さ において尋常なものではなかった。
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  • 050 地酒「本因坊秀策」
    碁聖 本因坊秀策の生誕地を訪ねて  アルバム(表紙)      上の写真は、村上水軍城
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2018年7月13日 (金)

故村山聖九段の写真 ⑥ (森信雄師匠との出会いー奨励会入り)

〇 村山さんのプロ入り希望には時期尚早との反対意見も
 あったが、村山さんは「谷川を倒すには、今行くしかない」
 との強い信念で、自らの進むべき道を切り拓いていった。

〇 ’82年9月、中1(13歳)の村山さんは、大阪の将棋会館
 で師匠となる森信雄四段(当時)と対面した。

〇 村山さんにとっても、師匠となる森さんにとっても運命的
 な出合いとなった。森さんは、一目見てこの子を弟子にする
 ことにした。 森信雄師匠 30歳、一番弟子 村山聖 13歳。

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写真左:森信雄四段。
(’78年5月将棋世界より)

写真右:第11期新人王
タイトル獲得の喜び。
(将棋世界’81年1月号)

この写真、本当にモリノブ
さんなのかな?若い頃から
散髪・髭剃り・洗面・歯磨き・入浴など滅多にしない人だと聞いていたが、同一人とは、とても思えない。


〇 奨励会入りは、将棋界の煩瑣な事情があって1年遅れた
 が、’83年11月 5級で合格(14歳)。
     
写真撮影 弦巻勝氏(以下同じ)

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      写真下:’83.11.3 奨励会研修会(左前が村山5級)

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      写真右下:’83.12 新入会19名記念撮影。
        前列左端が村山聖5級。 中列右から2人目が中井弘恵6級。

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○ 森師匠の住まい 市山ハイツでの共同生活は、1年足らずの
 短い期間だったが、森師匠の人生観、生活姿勢などから多大な
 影響を受けた。又、師匠を取り巻く多くの人々共、心豊かな人間
 関係を築いた。

                            つづく。

2018年7月11日 (水)

故村山聖九段の写真 ⑤ (プロへの夢 その2)

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〇 ’82年1月、少年時代5年間を過ごした国立原療養所を退所。療養
 生活の過半をベッドの上での将棋の勉強で過ごし、四段の認定
 を得るまでに到った。

  同年3月、小学校卒業。  
写真下:色々な将棋大会で優勝。

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〇 ’82年4月、府中中学校入学。同7月(中1、13歳)、東京に
 於ける中学生名人戦(全国大会)に参加し、ベスト8迄勝ち進み
 敗退。

〇 帰途、東京・西日暮里将棋センターで、偶然、アマ名人戦を
 2連覇している小池重明に出遭い、対局して勝利した。対局後、
 トップ・アマのオーラを放つ小池名人から 「僕、強いなあ」
 「がんばれよ」と優しく励まされ、意気高揚して故郷・広島へ
 帰っていった。


 写真下:’80,81年アマ名人連覇の小池重明氏。撮影者弦巻勝氏

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〇 愈々、プロ入りを目指す具体的な道を模索する時が来たよう
 だ。昨年、トップ・プロの森安九段との指導碁に勝ち、今度は、
 小池アマ名人に頑張るよう励まされた。

  村山さんのプロへの思いは募り、「大阪へ行って奨励会に入り、
 プロになる。」と両親に訴えた。

                           つづく。

2018年7月 8日 (日)

故村山聖九段の写真 ④ (プロへの夢 その1)


〇 村山さんの国立原療養学校での生活は、誠に充実して

 いただろうと
思う。自由時間の殆どは将棋の勉強に充てられ、

 貪るように
将棋にのめり込んでいった。やがて、将棋には、勉強

 すればするほど
限りなく広がりのある世界があることを知る。

 名人という最高の地位のあることも
知る。名人になりたい。

 夢が広がる。



〇 ’794年生(11歳)の時、将棋教室で四段の認定を受ける。

          ≪腕まくりして対局中の可愛らしい村山さん≫

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〇 ’80年、5年生(11歳)で、第14回中国こども名人戦で優勝。

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〇 ’81年秋(6年生) 広島そごうでのイベントで、初めてプロ棋士

 森安九段と飛車落ちで指導対局を受け、勝利。

              ≪森安九段との記念撮影≫

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  この対局で、棋聖位をもつプロのトップ棋士に勝利したことが

 非常な自信となり、プロ入りを目指す気持ちが急速に膨らんで

 きたようだ。

                                  つづく。

2018年7月 1日 (日)

故村山聖九段の写真 ③ (発病 と 将棋との出会い)

○ 村山さんは、3歳になった初夏高熱に見舞われて以来、屡、発熱を

 繰り返した。2年後、5歳になった初夏、面相の変わった村山さんを診

 て、広島市民病院は病名「腎ネフローゼ」を告げた。

  両親の苦渋と悔悟は如何許りだったか。直ちに入院することと

 なる。(5ヶ月間)


             ≪入院前後の写真≫

写真下: 幼時、眠る前に母が読み聞かせる哀しい童話に、母と一緒になって
      泣き出してしまう心優しい子だった。

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○ 6歳になった’75年8月、再び入院(4ヶ月)。初秋、父が将棋盤と

 と駒を買ってきてくれて、父より将棋というゲームを教わる。


            ≪ベッドの上で父と将棋をする≫ 

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○ ’76年4月、府中小学校入学。5月再々入院(院内学級へ転校)。

     ≪初めて母から古本屋で買ってきてもらった将棋の本≫
 
    スピード上達法「将棋は歩から」 八段加藤治郎著(初刊はS23年

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○ ’77年6月、国立 原療養学校(現・廿日市市)へ転校。(小学2年)

 ’77年(S52年) 秋、初めて月刊誌「将棋世界」を読み始める。


          ≪「将棋世界」S52.9~12月号≫

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         ≪’78年(S53年)5月16日の 日記≫ 小学3年生

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       毎日、将棋の勉強を6~7時間続けていることが判る。


                     つづく

2018年6月24日 (日)

故村山聖九段の写真 ② (幼時 その2)  

○ 月刊誌「将棋世界」の元編集長大崎善生氏渾身の名著であるノンフィク
 ション「聖の青春」は、読者を泣かせる。

  通勤の途、電車の中で読んでいて感情が高ぶり、涙が溢れて顔を上げ
 られなくなった人も多い。斯く申す小生も、往き付けの医院の待合室で
 読んでいて涙腺が緩み、名前を呼ばれても「ハイ」と返事ができなかった
 ことがある。

               ≪幼時の写真 その2≫ 
1.S45年。1歳。姉と共に。

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2.3歳。

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3.ネフローゼ発症前のほんの僅かな幸せな幼少時代。

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4. あっかんべー。しかし、この頃には確実に病魔が忍び寄っていた。

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      (注)写真1.、4.の原典は、「将棋世界」’98年10月号。
 

                           つづく。

2018年6月15日 (金)

故村山聖九段の写真 ① (幼時 その1)

○ 一昨年11月、映画「聖の青春」が封切られ、話題となった。その後、TV
 でも何度となく流され、将棋を知らない人でも、主人公 故村山聖(さとし)
 九段について知識をもたれたことと思う。

○ 村山さんは、1998年8月8日に29歳でその生を終えた。あれから
 もう20歳の年月が経とうとしている。村山さんの誕生日は、今日
 6月15日だら、存命なれば49歳だ。

○ 村山聖さんを知って17年余。以来、すっかり村山聖ファンとなり、
 ノンフィクション「聖の青春」は10数回は読み返している。ネットや
 メール通して全国の村山ファンとの交流もできた。

○ 村山さんに係る写真や資料も随分多く蒐集してきた。小生も今年
 80なった。この際、蒐集してきた村山さんの29年間に亘る
 幼時からの写真を、全国の村山聖ファンのために本ブログ上で
 少し宛提供して行こう思う。勿論、既に本ブログ掲載済のもの
 を含め熟知の写真数多くあるだろうが寛恕賜りたい。

 尚、本写真の掲載について村山家のご了承を得ている。為念。
                       ≪幼時の写真その1≫

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                        つづく

2018年4月 9日 (月)

二上山にお日様が還ってきた。


○  小生の住む太子町(大阪・南河内)は、歴史上有名な二上山の西側に
 ある。高台にある我が家の猫額の庭からは、略(ほぼ)、東方に二上山が眺め
 られる。

  冬の間、お日様は遠く南の金剛・葛城方面に去って日の出が見えなかっ
 たが、漸く二上山の山上にお日様が還ってきてくれた。

  今日(4月9日)、雄岳(左)と雌岳(右)の間にある馬の背の真ん中から、
 お日様が昇ってきた。

 写真下:雌岳の頂上からの日の出。4月4日 06:21分

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      写真下:馬の背の真ん中からの日の出。4月9日 06:11分

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○  毎年4月、9月の各上旬に馬の背から太陽が昇る。太子町

 在住40余年になるが、中々、雲一つない好天の神々しい日の出

 にはめぐり逢えない。


  今年は、20分位で雲に覆われてしまったが、何か 良いことのある日に

 なりそうな予感のする日の出だった。

                                        おわり

2018年3月30日 (金)

PLの桜 満開!

〇 今日、3月30日(金) PLへ花見に行った。数日前からの好天により、
 丁度満開で、万朶の桜花が青空に映え、実に見事な景観で
 あった。 今年は、有名なPLの塔の方面へ、初めて歩を
 伸ばした。
  多忙で今年は花見が出来なかった方のために、拙い写真を
 アップした。春爛漫の雰囲気を味わって貰えれば幸甚。

     (写真の上でクリックすると、画面一杯に拡大します。

〇 PLの塔への道。

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 写真上下:桜花の向う側は、光丘パブリックゴルフ場

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   写真下:PLの塔の正面にある枝垂桜の大木。

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 写真下:PLの塔正面へ続く桜並木。

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                                       おわり

2017年11月 7日 (火)

東大寺 東塔(七重の塔)再建の夢。

○ 平成29年11月6日、正倉院展を観賞に奈良へ行った。客足の減る
 午後4時過ぎに会場(奈良国立博物館)へ入る迄、1時間ほど
 余裕があったので、散策がてら、東大寺の東塔史跡や相輪
 レプリカを観に行った。

         大仏殿周辺案内図 (東塔跡は、右下隅の緑色で表示した所、
                       相輪レプリカは、東塔跡の左斜め上)
                     案内図の上で、クリックすると、拡大図になります。

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○ 平安時代の記録によると、東大寺には8世紀半ばに100m級

 の巨大な東塔と西塔が建てられた。その後、平安中期に西塔を

 焼失。1180年には平重衡による南都焼き打ちで東塔も焼失。

 東塔は鎌倉時代に再建されたが、1362年に落雷で焼失し基壇

 の跡だけが残って現在に至った。

     ◎奈良時代の東大寺の復元模型(東大寺蔵)

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○ 現在の大仏殿(模型の中央)の高さが約46mだから、その
 倍前後の高い塔が両脇に建っていたのだ。実(まこと)に、想像
 を超える風景ではある。


○ 既に、東塔跡の発掘調査が進み、塔の土台(基壇)の規模を
 確認し、1階の柱の間隔や、塔に入る石段の位置が判明し、建
 物の実像が解明されてきた。昨年には塔の瓦が出土したりして
 次第に三度目の再建期待が高まってきている。
 
             写真下:東塔跡(2015年の調査)

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             写真下: 2017年11.06現在の東塔跡地
                   略、調査が終わり埋戻し中。

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○ 戦後、東塔(七重の塔)を復活させたのが1970年(昭和45年)
 の大阪万博に出展した古河グループ。パビリオンに高さ86mの
 レプリカを建てた。実物と同様、頂には金属製の飾りの相輪
 (23m)を掲げた。塔は万博終了後に解体。相輪だけは、東大
 に寄贈され、大仏殿の東南回廊脇に立派な台座を設え、今も燦
 然と輝き、大仏殿を見つめている。(古河グループが昨年、洋金
 粉の吹付けを行ない改装した。)

       大阪万博に於ける古河グループのパビリオン(写真中央)

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      写真上: 寄贈されたレプリカの相輪。2017年11.06撮影。


      写真下: 相輪の台座脇の「相輪由緒書き」案内金属板。
           写真の上で、クリックすると拡大します。

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○ 「相輪由緒書き」の文章末尾は、「何時の日か後世に遺すべき
 優れた七重塔が大地に湧出する日を宿願とする」と結ばれている。

○ 東塔の再建の機運は熟しつつあるが、こんな大伽藍を創建時
 と同じ高さ100mの木造七重の塔として建築可能なものか。

○ 自然災害に抗すべくもない現状から見れば、不可能だろう。
 大地震や台風災害にも耐えられる建築技術、材料、工法を加える
 必要があろう。

○ 遠い将来には、西塔の再建も成し遂げ、金堂(大仏殿)を中心と
 した、天平文化の昇華した東大寺一大伽藍が完成することを夢と
 したい。
                                  おわり

2017年9月 3日 (日)

今朝の二上山。馬の背からの日の出!


○  近つ飛鳥(大阪・太子町)の拙宅から眺める二上山の朝焼けは、9月頃

 が一番美しい。刻々と変化していく夜明け前の朝空を眺めている

 と日の出までの僅かな時間乍、飽きることがない。

○  今日(9月3日)は、雄岳(左)と雌岳(右)の間にある馬の背の中心から

 太陽が昇る日なのだが、毎年、雲の動きが迅く、中々良い日の出

 が見られない。今年は、如何だろうか。起床 午前5時15分。


     写真下:9月3日 5時27分。美しい朝焼け。 猫額の拙宅庭にて(以下同)。

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     写真下:9月3日 6時07分。

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     写真下:9月3日 6時08分。

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○  今年は残念乍、日の出前、30分頃から雲の動きが激しく変化した為、

 辛うじて馬の背からのお日様の顔が拝めたが、直ぐ雲に隠れてしまった。

 残念!

                                       おわり

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