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  • 650 NHK杯 最後の雄姿。
     村山聖について、彼の師匠森信雄七段は後年 彼について こう語った。「私が村山聖を好きなのは、将棋にひたむきだったことと、病気のことも含めて一切グチを言わなかったことである。無念さや切なさ、遣り切れなさ、口惜しさ..その思いをすべて黙って将棋にぶっつけていたような気がする。」    聖は幼時より腎臓に重い疾患を持っており、生きること自体が闘いであった。いつまで生きられるかという思いを心の片隅に置き、名人を目指して指す彼の将棋は その必死さ において尋常なものではなかった。
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  • 050 地酒「本因坊秀策」
    碁聖 本因坊秀策の生誕地を訪ねて  アルバム(表紙)      上の写真は、村上水軍城
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2018年11月11日 (日)

300年振りに再建された興福寺中金堂 と 第70回正倉院展を観る。

○ 11月6日、奈良国立博物館に於ける第70回正倉院展を観に行った。

 午後4時過ぎに着いたが、入場者の少なるなる夕方5時過ぎに入館する
 
 迄の余裕時間を利用して、約300年振りに再建された興福寺の中金堂を

 観に行った。

 写真下:2018年10月7日落慶法要式のあった興福寺中金堂(ちゅうこんどう)の威容。

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○ 中金堂は藤原不比等の発願で710年に創建されたが、これまでに兵火

 や落雷などで7度も焼失。その都度、創建当時の規模や様式で再建されて

 きたが、1717年(享保2年)の火災以降は再建されなかった。1991年に

 再建計画がスタートし、総工費約60億円で301年振りに10月7日に完成、

 再建落慶法要が営まれた。



第70回正倉院展

〇 正倉院宝物の件数は、約9000件とされる。その中、95パーセント程

 は日本で製作されたと思料されるが、中国(唐)、朝鮮(新羅)など東アジ

 ア諸国、西方のペルシャや東南アジアからの貴重な品々も数多く

 見られる。


〇 今年の出陳品では、外国製のもので凄味のある品が数点目についた

 が、その中の2点を写真で紹介する。


1.≪玳瑁螺鈿八角箱≫(たいまい らでん はっかく の はこ)

  法要などでお供え物を入れた箱。ウミガメの一種、玳瑁の甲羅を箱全体

  に貼っている。貝殻をうすく切って嵌めこむ螺鈿の技法で花や鳥の文様

  を表現している。(明治時代に修理され、美しさを保っている)

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2.≪繍線鞋≫(ぬい の せんがい)

  光明皇后が履いたかも知れない女性用の室内履き。絹や麻などで

 制作。つま先に刺繍を施した花形の飾りがついている。

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   正倉院宝物は、756年に聖武天皇薨去を悲しんだ光明皇后が天皇の

 身近な貴重品を東大寺大仏に奉納したことを嚆矢とする。民間出身の

 光明皇后の存在の大きさと身近さを実感する正倉院展ではある。

                                       おわり


 

2018年10月16日 (火)

二上山の朝焼け

○ 二上山の朝の眺めは、日の出前の一瞬(2~3分)の変化が美しい。
 特に9~10月は、早朝の空と雲の輝きが刻々と変化していく短い時間
 が見逃せない。

          
写真下:2018.10.06 05:57 於: 太子町自宅庭

20181006_557

           写真下:2018.10.16 05:58  於: 同 上

20181016_558

                                      おわり

2018年9月 3日 (月)

二上山の日の出。




○ 二上山は、古来、遠つ飛鳥人
(とおつあすかびと)からは、西方にある

 雄岳・雌岳の間に日が沈む様子から神聖な山岳として崇められてきた。

         
写真下:大和・飛鳥側から見た二上山に沈む夕陽。

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○ 大阪・南河内の近つ飛鳥人(ちかつあすかびと)から見れば、東方に

 ある 二上山は、
朝陽の昇る希望に満ちた眺め の山である。

  早秋に見られる朝焼け
の二上山は、数分間に過ぎないが実に美しく

 来るべき今日一日
の幸せを胸一杯に感じさせてくれる。

         写真下:大阪・南河内(太子町)から眺める日の出前の鮮やかな朝焼け。

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○ 南河内・太子町の拙宅からは、年2回(4、9月の各上旬)、二上山の

 馬の背(雄岳と雌岳の間)から太陽が昇る。ところが、中々、雲のない

 青天の朝には巡り会えない。本年は、今日 9月3日朝6時過ぎから、


 まったく雲が消えて青天となった。庭掃除をしていて気づき、

 カメラを持ち出したが、少し遅きに失し、うまく撮れていない。


 
 写真下:日の出直後の二上山。2018年9月3日 06:09

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       残念                             

≪追記≫ 2018年9月9日 05:32 日の出前の朝焼け。

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                                        おわり。



2018年8月 8日 (水)

故村山聖九段の写真 ⑭ (永遠の別れ)

○ 現在、村山聖ファンが、村山さんの対局する姿を観ることができる

 最後の対局(絶局)は、前エントリーに載せた’98年(平成10年)3月

 30日の木村一基四段(当時)との王位戦 でした。表現の仕様がない

 ほど陰翳に富む良い写真でした。 再度、掲載致します。



     (写真は何れも、写真の上でクリックすると、画面一杯に拡がります。)

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○ 最後に、村山さんの思い出深い写真をアトランダムに掲載します。

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 写真上:’89.6.2 棋譜並べ、五段。
     写真下:’91.2.14 京都・詩仙堂で、五段。2枚共、撮影者 森信雄師匠。

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写真上:撮影者 弦巻勝氏。 写真右上:対局開始を待つ。六段。撮影者 故中野英伴氏

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  この写真2枚は、村山ファン

 にとって、只、眺めているだけで

 幸せになります。


 撮影者 森信雄師匠。







○ ’98年5月18日、村山さんは、広島市民病院特別室に入院。
                              (名札 不掲示)

○  同 年6月15日、29歳の誕生日。その日、主治医より、癌の

              肝臓への転移を知らされる。

○ 8月7日、朝から大量の汗を掻く。


○ 8月8日、血圧と体温低下。遠ざかる意識の中で将棋を戦う。

        将棋の符号を諳んじ始めた。「8六歩、同歩、8五歩

        ・・・」 そして、その声は 「2七銀」 で止まった。


        午後0時4分、心臓停止。11分に死亡を確認。



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                     写真上:日本将棋連盟の棋士データベースより。

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○ 写真上(
将棋世界’98年10月号・特別追悼号)の最終行の空白(死去)を見て、

 渇仰した「名人」へ 手の届く A級在位の儘、遠く、宇宙の彼方へ飛び

 立って行ってしまったこと、そして 村山さんは もう永遠に還って来ない

 こと を自らに言い聞かせた。                     弥 吉


                                                                   
 おわり



  

   



 








2018年8月 3日 (金)

故村山聖九段の写真 ⑬ (癌再発・次期 休場決意)


○ ’98年2月16日、第47回NHK杯準決勝戦(vs島 朗八段)に勝ち、
              決勝進出。

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写真左

 解説者は、羽生善治四冠(当時)

 聞き手は、藤森奈津子女流二段(同)

 対局は、勝利したが、後日、再放送

 を観ると、村山さんの顔つきが冴えず

 かなり体調不良にみえる。




○ ’98年2月19日、広島へ帰った村山さんは、癌の再発をつげられる。

○  同 年2月21日、前日東京で棋聖戦対局を済ませ、大阪へ戻って

              きた村山さんは、独断で次期の休場を決意する。



○  同 年2月28日、第47回NHK杯決勝戦(vs羽生善治四冠)。

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                  写真撮影者 故 中野英伴氏


   対局は、村山さんの優勢裡に最終盤を迎えたが、秒読みに追われた

 村山さんの失着があって、羽生善治四冠が勝利し優勝カップを手にした。

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写真上:終局後の感想戦。


写真左:村山さんは準優勝に終わった

表情は穏やかで、「優勝するはず

だった
のですが、ポカをやてしまい

した」と、にこやかに微笑んでいた。



○ 村山さんが畏敬する羽生さんとの公式対局は、6勝7敗で

  終わった。




○ 村山さんは、2/28の羽生さんとのNHK杯の後、3月に入って

 5局指している。6日に竜王戦(vs森下)、13日に順位戦最終局

 (vs青野)、16日王位戦(vs日浦)、24日棋聖戦(vs森内)、30

 日に王位戦(vs木村)である。


 そして5局に全勝している。しかも、すべてが名局。

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写真上は、3/30の第39期王位戦挑戦者決定リーグでの木村

一基四段(当時)との村山聖八段の絶局、最後の対局姿である。



                                  つづく。


  6/15から始めた本写真シリーズの最終回⑭は、村山さんの命日である
  
 8月8日に掲載します。

                              弥吉  拝



 

2018年8月 2日 (木)

故村山聖九段の写真 ⑫ (A級復帰 )

○ ’97年4月18日、A級復帰を目指して広島大付属病院に
              入院。排尿手術をする。

○ 同 年6月16日、棋戦復帰のため、膀胱と前立腺摘出
              手術をする。(8時間半かかる)

○ 同 年7月14日、順位戦(対丸山七段戦)に、看護婦付き
              で出場。

○ 同 年8月 1日、広大病院を退院。
              7日以降、大阪の前田アパートを本拠地
              として棋戦に参戦。



写真下:’97.9.20 弟弟子 増田裕司新4段昇段祝賀会で。

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写真上:広島・呉での老人会多面指し。

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写真左:’97年度NHK杯トーナメント

(郷田六段vs丸山六段戦)の解説者

として出演。

聞き手は、山田久美女流二段。




   棋戦の合間には、上のように西に東にとハードな活動をこなした。

  月に1度は、定期健診で広島へ帰った。

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                  写真上:撮影者 故 炬口勝弘氏



○ 棋戦は、東京と大阪で半々あり、毎月4~6局をこなした。

 何としても、A級に昇り、名人を目指したい。村山さんは必死だった。


○ ’98年2月13日、順位戦第11回戦で田丸昇八段に勝ち、A級

  復帰が決まった。大手術の困難を乗り越え、名人への道を一歩

  踏み出した。


                              つづく。




 




              

2018年8月 1日 (水)

故村山聖九段の写真 ⑪ (A級 八段へ ・ 東京住い ・ 帰郷)

○ ’95年3月、第53期順位戦 9勝2敗でA級昇級、八段へ。

   同 年 4月、大阪の住い(前田アパート)は其の儘にして、

   優秀な若手棋士の集中する東京へ居を移した。(25歳)

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写真左・上

 ’95.4.22 大阪・上六Mホテルに

 於ける八段昇段祝賀会での挨拶等。

 (写真2枚:撮影者 森信雄師匠)






○ 村山さんの東京での生活は、大阪時代と何等変わらず。

 アパートと将棋会館と定食屋・本屋をグルグル巡った。

  将棋会館四階の桂の間では、いつも村山さんが中央に

 どっかり座り、検討や議論の中心となった。

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○ 村山さんは、森師匠の兄弟子

 にあたる滝誠一郎七段を慕って

 いた。

  滝七段の薦めで、買った派手

 なアロハシャツとサングラス姿

 で将棋連盟に現れることも

 あった。

写真左:’95年(26歳)頃。森師匠の
      ブログより。











○ ’95年度順位戦は、A級維持。順位戦で谷川九段に初勝利。

  同年秋(10~12月)、A級順位戦を含め11連勝する。(26歳)

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写真上:’96.3.1順位戦最終局。
      (対森内八段戦)

写真左:同上対局の合間に控室で
     一息入れる村山さん。
(写真2枚、将棋世界’98/10号より)




○ ’96年度は、10,11月に8連勝、日本シリーズは決勝迄

 進出、王将リーグは独走で、羽生七冠への挑戦権を略 手中。

  しかし、血尿が出始め、止まらなくなり、成績も急降下した。


 村山さんは、東京から撤退し、広島へ帰る決意をした。


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○ 第17回将棋日本シリーズ
 決勝戦(’96.12.15 対谷川戦)
 は敗れ、準優勝に終わった。






○ ’97.2.1 第30回早指し選手権で優勝。(vs田村康介四段)
           
              
写真下:将棋世界より’98/10月号より。

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  写真上は、7年振りの棋戦優勝を喜ぶ村山さん。村山さんは

 若手棋士に人気があり、多くの棋士が表彰会場に駆け付けた

 が、村山さんは体調が今一歩だったのか、早々に姿を消した。


○ ’97年2月7日、村山さんは、1年半過ごした東京を引き払い

 独り、
広島へ帰郷した。




 ’97年3月3日 A級順位戦最終局に敗れ 次期B級1組に降下。

                                 つづく。

 

 

 

     

 













  





 

 

2018年7月30日 (月)

故村山聖九段の写真 ⑩ (七段時代)


○ ’93年3月12日、第51期順位戦 9勝1敗で
B級1組へ昇級。
  七段昇段へ。(23歳)

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写真左:鈴木輝彦七段との最終戦。

写真上:勝って機嫌よく検討戦を
     している村山さん。

写真下:’93年4月、昇級者への
免状授与式。(将棋世界8月号より)

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○ ’93年4月、第20回将棋大賞・敢闘賞を受賞。

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                写真上2枚:将棋世界の記事より。

  王将戦挑戦の実績を評価され、前年度の敢闘賞が決まった。


○ ’94年1月12日、森信雄師匠結婚披露宴。
 

  写真下:ユーモアたっぷりの祝辞を述べる村山さん。満場 大爆笑。
       右へ・媒酌人 作家の黒川博行氏、新郎 森信雄師匠、新婦 恵美子さん。  

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○ ’95年1月17日、阪神淡路大震災起こる。

  
神戸の惨状や、弟弟子の圧死に精神的ダメージ大きく、
 翌日から住友病院に入院。翌々日には
A級昇級を目指す順位戦
 対局に強行出場。
1月31日には強行退院し 順位戦対局に出場。

 
  大震災への義捐金募集には、多額を義捐する。

                          つづく。


2018年7月24日 (火)

故村山聖九段の写真 ⑨ (六段昇段 ・ 王将戦 初挑戦)

○ ’91年10月、六段昇段。(22歳)

○ ’92年3月10日、第50期順位戦最終局を勝ち、10戦全勝。
 B級2組に昇級。(体調の不安定もあって停滞、昇級に4年かかった。)


    写真下:’92年3月11日於:大阪城公園 撮影者 森信雄師匠。

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  いつもは逃げ回る写真嫌いの村山さんも、この日は上機嫌でカメラに
 向き合った。長い停滞を乗り越えた喜びと自信が画面に溢れている。
 真っ直ぐ天に伸びる梅の木々の新枝も、村山さんの目線を指している
 かの
ようだ。



○ ’92年12月28日。第42期王将戦リーグは、米長・ 羽生・村山の
 三者プレーオフで挑戦権を争った。

  第1戦で羽生を破った村山は、この日米長をも下し、谷川王将への
 タイトル初挑戦を決めた




○ 王将戦第1局
(’93.1.13~14 於:静岡県・伊東温泉)
 写真下:池の鯉を眺める二人。       写真下:背広姿の村山挑戦者。

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          写真下:棋神ー中野英伴写真集より(2枚)

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写真左:終局後の感想戦。
 第1局は、最後の最後迄優劣不明
の大激戦となったが、最後は147手・
指運で谷川王将が制した。


○ 第2局は、三重県・湯の山温泉
 で行なわれ、94手で谷川王将が
 が勝った。



○ 王将戦 第3局
(’93.2.9~10 於:滋賀県・彦根プリンスホテル)

写真下:対戦前の二人 。村山さんは、森師匠に誂えて貰った紋付羽織袴姿。 

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写真下:100畳以上もある和室で、一般公開対局として行われた。写真は第2日目

      のもので、70人を超えるファンが緊張感を共にしている。

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写真下:村山挑戦者の優勢で進んだ最終盤、異変が起った。村山挑戦者の
     1時間を超える大長考。頬が紅潮、苦しそうな村山。涼やかな谷川。

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写真上下:将棋世界(H5年4月号)グラビアより。上の写真撮影は何れも弦巻勝氏

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○ 王将戦 第4局。(’93.2.17~18 於:山口県・大島温泉)
 
                       写真下(3枚共):撮影者 故 中野英伴氏

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 第1日目を封じる村山さん。           第2日目、盤面を見入る村山さん。

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写真左:終局後の感想戦。



○ 村山さんにとって、
 1勝も挙げられない
 儘、王将戦は終った。




○ しかし、このタイトル戦を通じ、村山さんは大きな自信を得た
 ことも事実だった。名人というタイトルを取るための現状との
 距離感がはっきり把握できたことである。


  名人へは、もう一歩だ
と呟いた。


                         
 つづく


  



 

 


 


 

2018年7月22日 (日)

故村山聖九段の写真 ⑧ (前田アパート その2 と 五段昇段)


○ 前田アパートの部屋内を覗いた人は5指に満たない
って本当?

         
写真下:撮影者 故 炬口勝弘氏( '87.6.13写す)
          (写真の上でクリックすると、画面一杯に拡がります。)

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 ≪当時の炬口氏談≫  窓側を除く三方の壁面に、びっしりと
 漫画が
積み重ねられていて、足の踏み場もない。床には音楽
 テープが散乱し、万年床の上には足つきの粗末な
将棋盤が置
 かれていた。

 駒も乗っていたが、その上にハサミやヤカンが置かれている。

 誰でも皆、一目見ただけで逃げ出す。テレビも電話もない。
 新聞も取っていない。
今どき珍しい仙人のような生活振りで
 ある。まさに聖(ひじり)だと..。

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写真左:

○ 村山さんが、珍しく背広
 を着ている。万年床を捲り
 畳が見えている。

  今日は雑誌社の企画で、
 新四段の村山さん宅?を
 米長永世棋聖が訪れて
 いるのだ。

  左手の前には、彼が
 どこへ行くにも鞄替わり
 に持参する大きな紙袋
 が置かれている。






○ ’88年3月、第46期順位戦 9勝1敗で、C級1組に昇級。
 五段昇段。(18歳)

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  写真上:左より、森師匠、矢倉級位者、村山五段、
            井上慶太五段(何れも当時)



写真下:第12回若獅子戦準優勝。     写真下:NHK杯中原棋聖戦の感想戦
(’89.9.6) 対羽生戦           (’89.11.27)

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写真下:’90年1月、撮影者 故 池崎和記氏

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写真上:’90年1月、関西将棋会館前で、
撮影者 弦巻勝氏(近代将棋’90年3月号)



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写真左:撮影者 上の写真と同じ。

弦巻氏は、

「麻雀した時、村山先生が勝って
いた時は“体調が悪いから帰らない
と...と言っていたのに、その後、負け
始めると、一向に止めない。結局、
朝まで打って、それから飲んで帰り
ました。」と近代将棋紙上で述べて
いる。

将棋は云うに及ばず、勝負事に
おいては、勝つことに全力を盡す
村山さんの面目躍如たるところが
表れている。










○ ’88~’91年の五段時代は、頭髪や髭を伸ばして
  いることが判る。


               写真下:撮影者 弦巻勝氏             

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  高段者の域に近づくに従い、相応しい雰囲気と貫禄が

 出てきた。



○ ’90年10.1 第13回若獅子戦優勝。(vs佐藤康光五段)


                                                                    つづく。

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  • 140 シンフォニーホール前の並木道
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