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  • 650 NHK杯 最後の雄姿。
     村山聖について、彼の師匠森信雄七段は後年 彼について こう語った。「私が村山聖を好きなのは、将棋にひたむきだったことと、病気のことも含めて一切グチを言わなかったことである。無念さや切なさ、遣り切れなさ、口惜しさ..その思いをすべて黙って将棋にぶっつけていたような気がする。」    聖は幼時より腎臓に重い疾患を持っており、生きること自体が闘いであった。いつまで生きられるかという思いを心の片隅に置き、名人を目指して指す彼の将棋は その必死さ において尋常なものではなかった。
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  • 050 地酒「本因坊秀策」
    碁聖 本因坊秀策の生誕地を訪ねて  アルバム(表紙)      上の写真は、村上水軍城
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2017年4月29日 (土)

「村山聖」「聖の青春」のすべてを知るためのブログ。

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2017年3月16日 (木)

村山将棋は生きていた! 

○  昨日(3月15日)、第66期王将戦第6局(郷田真隆王将vs挑戦者

 久保利明九段)は、挑戦者の久保利明九段が勝ち、対戦成績4勝2敗で

 6期振り通算3期目の王将位を獲得した

○  久保九段はこれまで王将位のほか、棋王位を3期獲得するなど、戦

 歴は赫々たるものがある。小学6年で奨励会に入った久保少年を可愛が

 った村山さんは、泉下でさぞかし喜んでいることだろう。

○  村山さんも遠い昔、王将のタイトルに挑戦したことがあった。平成5年

 1~2月の第42期王将戦だった。当時六段だった村山さんにとって、7大

 タイトルへの初挑戦だった。谷川王将の厚い壁にはね返されたが、遠か

 った名人への道程(みちのり)を測定できたことが大きな自信となった。

     写真下:第42期王将戦第4局 谷川王将戦Photo_2

○  村山と久保との出会い

   久保は’86年(小学6年)秋、奨励会6級に入ったが、右も左も判らぬ

 久保に親切に声をかけてくれたのが当時17歳で四段に昇段が決定して

 いた村山だった。毎日将棋会館に通うようになった久保に村山はいつ

 でも将棋を教えてくれた。毎日、毎日、6、7番以上指してもらった。村山

 はやがて7段(B級1)に昇段し、久保も念願の奨励会を卒業し四段(プロ

 入り)となった。それでも二人は将棋を指す。一体、何千局指したのだろう

 か。

○  久保は云う。「自分の将棋の半分以上は村山将棋です。村山さん

 の将棋が血となり肉となって今でも自分の中に流れている」と・・・・。

             写真下:第59期王将戦第3局(2010.2.11)の久保八段。Photo_5

○  村山は久保に対してだけでなく、来る者を拒まず、多くの奨励会会員

 に将棋を教えた。関西在住の時は云うに及ばず、東京に行ってからも

 奨励会員と将棋を指した。村山は多くの少年達に将棋の技術だけでなく、

 自分の将棋に打ちこむ懸命さ、将棋観、直観力など全てのものを、駒と

 将棋盤(対局)を通じて身につけて欲しいと切実に思っていたのだろう。

○  久保は再び言う。「村山将棋は、指し手となって、未だにこの将棋

 世界に生きている」のだと・・・。

                                     おわり 

2017年2月19日 (日)

春寒の二上山

○  氷雪溶け雨水温む、24節気の一つ「雨水」は、昨日(2月18日)

  だった。

○  東に聳える二上山は、まだ春寒のたたずまい。

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                                               おわり

2017年1月24日 (火)

キトラ古墳壁画の第2回公開。

○  1月23日、奈良県明日香村の特別史跡キトラ古墳壁画の第2回特別

 公開に参加した。昨年9、10月の壁画「朱雀」「白虎」「天文図」の公開に

 続き、今回は北壁の「玄武」の公開だった

   同時期に描かれた高松塚古墳の玄武は、亀と蛇の頭部が削られ図像

 が判然としないが、キトラ古墳の玄武(写真下)は、略、完全な姿で残って

 いる。

     写真下:キトラ古墳壁画体験館 四神の館内の壁に映写された玄武。Photo

     写真下:北壁の玄武部分拡大。(四神の館展示を撮影し拡大)Photo_2

     写真下:公開展示室に展示された北壁の実物(撮影不可の為、パンフより)Photo_3

     写真下:北壁図像配置図(上の写真では判然としないが、四神の下には
            3体ずつ、頭は獣、体は人間の姿をした十二支が描かれている。損傷が
      激しく不鮮明で実物を見ても肉眼では不明。) (パンフより)

Photo_4
○  石室内からは、木棺飾り金具、刀装具、玉類(展示品)の他に、被葬 

  者の人骨と歯牙も出土し、分析で50~60歳代の男性1体分のものと 

  分かっている。

○  キトラ古墳は、7世紀末期~8世紀初期に造られたもので、中国・

  朝鮮の文化的影響を受けた貴重な遺産である。33年前に発見されて

  からの基本動作・対応が甘く、石室内の彩色壁画の劣化変質を来たし

  た。(高松塚なども同じ) 保存完了までに時間がかかり過ぎた憾みは

  あるが、今後の初動・判断の大切さを教えられた貴重な経験となった。

 

<参考> 第1回公開の 「朱雀」、「白虎」。

「朱雀」Photo_10

     南壁の朱雀(写真右上は盗掘時の侵入取壊し穴。辛うじて朱雀は残った)Photo_11

Photo_12

「白虎」

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     西壁の白虎(雨水などの侵入で胴体・足などが見づらい)Photo_14

Photo_15

「青龍」 東壁の青龍は保存状態が悪く、公開されていない。
Photo

     写真下:東壁 青龍の下にある3体の十二支(寅・卯・辰)の中の寅の線刻。Photo_2

                                            おわり

2017年1月21日 (土)

飛ぶ鳥を落とす勢いは誰? -苦々しい日本語のみだれ-その2

○  1月20日民進党・両院議員総会での蓮舫代表の挨拶(終りに近い箇

 所)。「・・・安倍内閣は支持率が高いです。・・・でも私達は・・・国民に寄り

 添って、今の政権が見えていない、聞こえていない声への対案を持ってい

 る。だからどうか今年1年、皆さん!飛ぶ鳥を落とす勢いで、しっかりと戦

 っていきたい。その先頭に立って発信をしていく・・・」と決意を述べた。


○  “飛ぶ鳥を落とす勢い”という表現方法は現在の状況を説明する場

 に使用するのであって、上掲の如く将来あるべき(ありたい)状況を表現

 るのに使用するのは誤用である。・・安倍内閣は飛ぶ鳥を落とす勢いです

 ・・と現状(権勢、人気など)を表現する場合に使用すべきなのである。


○  民進党という内輪の会合といえども、TVニュースやネットなどで公表

 される公人の発言(用語)は慎重でなければならない。正しく美しい日本

 語を話せる日本人は、必ず、知性と品性の高潔さを内包しているからで

 ある。 過日、国会で、某党の質問者が「・・・耳ざわりの良い・・・」と発言

 していたが、誠に“耳障り”な発言であった。

                                          おわり  

 

2016年11月27日 (日)

「聖の青春」への想い。

○  映画「聖の青春」を11月19日(公開初日)に観た。

   日(27日)まで鑑賞後の感慨を記事にしようとの衝動に駆られないで

  もなかったが、どうしても心が動じなかった。この映画の作為に同意し

  乍、自分の中に塗り重ねられてきた村山聖像への深い想いと調和させ

  る作業が極めて困難だったためである。この映画はノンフィクションでは

  なかった。それが為の諸々の抵抗感を消すことは、最後迄できなかった。


○  
一昨日(25日)の夜、村山聖への想いを共有するメル友Tさんから

  1通のメールが届いていた。Tさんも、物足りなさと抵抗感を拭えない

  ようだった。

   Tさんと遣り取りしたメールの量(コピー)は、過去6年間にA4ファイル

  で2冊に達しており、その殆どが「聖の青春」・故村山聖九段に関わる

  ものであることから、この映画に期待していたTさんの想いは痛い程

  よく解った。


○  
ネガティブなことを羅列する代わりに、写真などで、Tさんや小生の

  この映画への複雑な想いをご想像願いたい。

 

     写真下:映画冒頭のシーン。浦江公園の満開のさくら。中央は八坂神社。Photo  

     写真下:2016.04.06撮影。上の写真と同じ所。毎年、晩秋に訪れるのだが、
     今年は、偶々、満開の万朶の桜に出合えた。中央下の御神燈は八坂神社
     (素戔烏尊神社)。社頭には、寛政年間より鎮座する「子宝延命地蔵尊」あり。 H2846

     写真下:2012.11.18撮影。浦江公園。中央奥に八坂神社、金蘭女子高あり。Ts3r0032

   写真下:映画のシーン。浦江公園のベンチに憩う村山。中央上に御神燈が見える。Photo_2
○  村山は、前田アパートを終生借りていたと言っていい。 その間

  関西将棋会館や近くにある更科食堂、森師匠の住まい大淀ハイツ等

  「聖の青春」に書かれた所謂トライアングルを毎日のように歩き続けた。

   春には万朶のさくらが咲き競い、秋には万葉が色づき地上に散り敷

  いた。村山は、こんなに美しい風景をどのように心に刻んだのか。病い

  と将棋が生活の全てであった村山には、美しい季節の移ろい心に

    映らなかったのではなかろうか。



○  小池重明との巡り合いの不思議さ。

   昭和55年5月24日 真剣師小池重明は、「アマ・プロ対抗リーグ戦」

  で、5人のプロと対局した。2番目の相手が、後に村山聖の師匠となる

  森信雄四段(当時)だった。対局は、終盤に強い小池が、先番167手迄

  で大逆転勝ちをした。尚、4番目には、森の兄弟子である滝誠一郎五段

  (当時)とも対局し終盤に逆転勝利している。(対プロ:4勝1敗)


   昭和57年7月、 村山聖は、上京して全国中学生将棋名人戦に出場

  した。ベスト8で敗退したので、帰途新幹線までの余裕時間を利用して

  西日暮里の将棋センターで将棋を指した。村山は、対局する相手に悉く

  勝ち、帰り支度をしているところに店に入ってきたのが真剣師小池重明

  (昭和55、56年連続アマ名人位獲得)だった。

Photo 村山は、将棋月刊誌を通じ

て、アマ名人小池重明のこと

を知っていた。席主から話を

聞いた小池は「僕、強いんだ

なあ」と褒め、一局指すこと

なった。戦いは手に汗握る

熱戦となり、長い戦いを制し

たのは中学生の村山だった。

  先程まで鬼のような形相だった小池は、にこやかに「僕、強いなあ」

  「がんばれよ」と村山をやさしく励ました。

   広島へ向かう新幹線の中で、村山は、「僕、強いなあ」という屈託

  のない小池の笑顔が脳裡をよぎって一時も離れなかった。

   村山にとって小池に出遭ったことは、運命的な出来事であった。大阪

  の奨励会に入り、プロになりたいという思いが募った。


   2ヶ月後の9月、大阪の森信雄四段に会い弟子入りが叶った。森に

  村山の弟子入りを紹介したのは、森の兄弟子・滝誠一郎五段だった。

   もし、あの時、店に真剣師小池重明が来るのが1分間遅く、村山との

  出遭いがなかったら、森への弟子入りもなかったかも知れない。


   小池には不可思議な魅力があった。人間の不純性と純粋性を兼ね

  合わせ持っていた。“新宿の殺し屋”“プロキラー”と恐れられた小池の

  持つ将棋への純粋性が、村山の全人格的純粋性に共鳴し、村山の

  つ将棋へ情熱を滾らせ、切実な行動に結びつけていったものと思わ

  ざるを得ない。真剣師小池重明との不思議な巡り合いは、村山の将棋

  人生の行方に方向を与える大きな力となった。


   小池は、中学生村山と激戦する2年前に、森信雄四段と対戦していた

  (如上)。プロとアマが対戦する機会は、そう多くない。森四段(プロ)は

  関西所属なので、小池(アマ)と対局する機会など稀有のことだ。

   世の中には不思議なことが起こるものだ。


   村山とこの二人との巡り合いが、村山聖という“希代の将棋指し”の

  誕生に大きく係わったことは間違いない。もし、村山が真剣師小池に

  巡り合わなかったら、大阪行きの決断が遅れ、別の師匠のところに

  入門していたかも知れない。そして、森師匠に巡り合えていなかったら

  没後18年経ってもこんなに多くの人々の心に残る「聖の青春」は存在

  し得なかったであろう。


                                        おわり

         羽生さんに首肯しかねる科白を言わせるフィクションに興ざめ。

 

 

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2016年10月26日 (水)

正倉院展を観る。

○  本日(10月26日)、正倉院展を鑑賞した。奈良国立博物館(会場)の

 ある奈良公園周辺は、どこへ行っても外国語が飛び交い、国際色豊か

 だった。会場内でも外国人の姿が目立った。

  出陳宝物は64件(初出陳9件)で、今年は、入場者が十重二十重に

 取り巻くような人気のある目玉出陳品はなかった。

〇  今年は、光明皇后が756年に聖武天皇の遺愛品を献納されてから

 1260年、天皇が身近に置かれていた品々も多く、それが時の流れを感じ

 させずに瑞々しく迫ってくる。また、工芸的に優れた宝物も驚きだ。それら

 の中から宮廷生活の匂いの感じられる2点だけを紹介する。

その1. 漆胡瓶(しっこへい)

H281026                 (高さ41.3cm 胴径18.9cm)                                    聖武天皇が身近で利用されていた水差しか?ペルシャ(イラン)風のデザインで、

  器の文様は、黒漆を塗った上に銀の薄板で鹿や草花を表わしている。制作当初

  は、銀が白く輝く美しいものであったろう。中国・唐で制作されたとみられる。

その2. 牙櫛(げのくし)

H281026_2                   (長さ10.2cm)

  高価な板状の象牙(ぞうげ)を使った櫛。124本の細かい歯を作るには高等技術が

  必要で、唐から入ってきたものようである。(3本展示中の1本)

  このような宮廷で日常使用される道具が、海を越えて運ばれてきたものであること

  に感動する。それにしても、電動の道具などなかった当時、どんな方法で制作した

  のか、その精巧な技術に舌を巻く。

                                     おわり

2016年10月25日 (火)

聖の青春・村山聖ファンは必見!

 村山聖を回顧した特集番組が、本日、10月25日(火)午後10時よりNHK総合「クローズアップ現代+」で放送される。11月19日から公開される映画「聖の青春」の予告番組としてもタイミングが良い。

 村山さんの師匠森信雄七段が結婚された時の仲人である人気作家
黒川博行氏が出演されるのが興味深い。まずは、NHKの番組紹介を
篤とご覧あれ。

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  <ご参考> 下記のURLをクリックすると、映画の予告篇が見られます。

<iframe width="610" height="374" src="https://www.youtube.com/embed/9KRblK92ubw" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

                                        おわり

2016年10月12日 (水)

二上山 朝焼け。

○  9~10月によく見られる二上山の息を呑むように美しい朝焼けが

 近年は少なくなった。今朝は、今一歩乍、久し振りに写真に撮りたくなる

 ような朝焼けだった。

     写真下: 平成28年10月12日 05:55 南河内・太子町に自宅庭より。

H281012_0555

                     <過去の朝焼け写真>       H24106_0552

H14831

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                                     おわり

2016年10月11日 (火)

聖の青春 ポスター (その2)

「聖の青春」映画広告ポスターその2を紹介します。

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                                             おわり

«キトラ古墳壁画の第1回公開。

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  • 140 シンフォニーホール前の並木道
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