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     村山聖について、彼の師匠森信雄七段は後年 彼について こう語った。「私が村山聖を好きなのは、将棋にひたむきだったことと、病気のことも含めて一切グチを言わなかったことである。無念さや切なさ、遣り切れなさ、口惜しさ..その思いをすべて黙って将棋にぶっつけていたような気がする。」    聖は幼時より腎臓に重い疾患を持っており、生きること自体が闘いであった。いつまで生きられるかという思いを心の片隅に置き、名人を目指して指す彼の将棋は その必死さ において尋常なものではなかった。
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2010年6月16日 (水)

存命なら本厄

森先生へ

 毎日、「森信雄の日々あれこれ」を清々しく心洗われる思いで拝見しております。小生は、故村山聖九段にはまり、おっかけを続けている者です。昨日は、彼が存命なら41歳(本厄)の誕生日でした。彼が四段昇段時(S61年・17才)に 、「自分は年齢制限までに四段に昇段できれば良いと思っていた。でも、師匠に食事をして頂く度に強くならなくては、四段に早く昇らなくては、そう思うようになった。義務とも思っている。他の師匠ならば四段には昇れなかったと信じている」 と昇段の記で語っています。(聖の青春より)  

 ちかごろ、“森先生の存在がなかったら、或いは森先生との出会いがなかったら彼はどんな人生を辿ったのだろうか”と思ったりしています。

 このブログは、いつまで続くのでしょうか。森先生の御身ご自愛を祈りあげます。

    ㊟  以上は、ブログ「森信雄の日々あれこれ」に投稿したものです。
    (2010-06-16 09:48)

      森先生より、後日、以下のご丁寧なコメントを頂戴いたしました。

太聖様

 コメントありがとうございます。

村山聖九段が四段になったときのことは記憶が薄くて、多分いつかは必ず
上ると確信していたせいでしょうね。

 私との出会いは偶然ですが、必然でもあったような気がしています。
棋士になるのが義務と思っていた気持ちは理解できます。

 村山聖九段は将棋だけでなくて、与えられた運命を大切に生きる、
そんな自然なありようを教えてくれている気もしています。

 私も村山聖との出会いを大切にして、これからも暮らしていきたいと
思っています。
     (2010-06-19 07:07)

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