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  • 650 NHK杯 最後の雄姿。
     村山聖について、彼の師匠森信雄七段は後年 彼について こう語った。「私が村山聖を好きなのは、将棋にひたむきだったことと、病気のことも含めて一切グチを言わなかったことである。無念さや切なさ、遣り切れなさ、口惜しさ..その思いをすべて黙って将棋にぶっつけていたような気がする。」    聖は幼時より腎臓に重い疾患を持っており、生きること自体が闘いであった。いつまで生きられるかという思いを心の片隅に置き、名人を目指して指す彼の将棋は その必死さ において尋常なものではなかった。
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    碁聖 本因坊秀策の生誕地を訪ねて  アルバム(表紙)      上の写真は、村上水軍城
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2011年6月の投稿

2011年6月20日 (月)

本因坊道策の生誕地を訪ねて -その2-

〇6月11日(土)は、朝 大阪を出発する時土砂降りだったが次第に明るくなり、仁摩町(島根県)に着く頃には青空が広がった。昨年6月に因島(広島県)に秀策の墓参をした時も雨模様のあと好天になった。道策、秀策の両先生とも、囲碁をこよなく愛するものを温かく迎えるべく気を使って下さったのだろう。

〇道策の生家を見学し、長屋門や広い中庭をはさんで建つ母屋の重厚さに甚く感心したのち、近くの丘にある墓所と顕彰碑に向かった。

 写真下: 現当主 山崎尚志氏による顕彰碑改設の碑。

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写真下: 左から井上因碩道砂(道策の実弟)、道策、山崎家開祖善右衛門の碑。
                            (平成13年改設建立の新しい碑)

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下の写真: 改設前の古い碑。(以前は近くの菩提寺満行寺の鐘楼脇にあった由)

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    写真下: 兄弟である道策(右まえ)、因碩(左うしろ)の墓碑。

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 尚、道策の墓所は、他に東京(本妙寺)、京都(寂光寺)にもあるそうだ。

 

平成25年5月追記: 山崎家当主 山崎尚志氏は、平成25年5月9日に死去された)

〇地元が生んだ幕末の名棋士 岸本左一郎の顕彰碑を訪ねて。

 翌朝(6月12日)、道策の生家から約3km程の天河内にあるという岸本左一郎顕彰碑を捜し訪ねた。

 岸本左一郎は文政5年(1822)に石見銀山のある大森に生れた。幼くして俊才。

   天保8年(1837)には江戸へ出て本因坊丈和の門に入った。そして同年遅れて入門

   してきた のちの秀策を知ることとなる。岸本は家の都合で一時帰郷し、地元で囲碁

   の普及活動に尽力するが、秀策とはその後も様々に親交を重ねた。

 浄土真宗満行寺の境内を少し外れた、山道脇の笹竹の中に、隠れて見過ごしそうな案内碑を見つけた。よく見ると「岸本橘堂先生之碑」と読めた。付近を捜してみると裏の小高い雑木林の中にそれはあった。

 下の写真が、岸本左一郎の顕彰碑。

             本因坊秀和が万延元年(1860)7月に碑文を書いている。

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〇小雨の降りかけた暗い森の中なので碑文の文字が見えづらかった。囲碁史ではよく知られているが、地元ではすっかり忘れ去られているようだ。安政5年(1858)病いをえて37歳で早世した石見の生んだ名棋士の碑をもう少し人の目にふれ易いところに移すなど心配りが欲しい。

                                   おわり

2011年6月13日 (月)

本因坊道策の生誕地を訪ねて。

○東漸する低気圧を気にしながら、6月11、12の2日間 島根県へ旅をした。

○小生が主宰する囲碁クラブの第2回研修旅行として、第1日目は近代囲碁の祖といわれる本因坊道策(1645~1702)の生家を訪ね、墓詣をした。

○日本海に面する大田市仁摩町馬路にある道策の生家山崎家は、十三代続く同地の旧家。道策は父三代目七右衛門、母ハマの二男として生れた。幼くして俊才で7歳の頃から母に囲碁を習い、13歳で江戸へ出て本因坊三世道悦の門人となった。

下の写真は生家正面全景で、人が立っている所が駕籠を下す石の台。 尚、家は居住中のため、内外とも一般公開はしていない。

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下の写真は、「折檻の井戸」と伝えられている。母ハマは気丈な賢夫人で、子女の教育には特に心を砕き、時には裏にあるこの井戸に道策を吊るしたという逸話がある。

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           写真上は、道策が幼少時使用した碁盤・碁笥・石。

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      写真上は、本因坊秀策揮毫の扇子。(嘉永三年・ 1850年)

 

下は、松江市で行われた第66期本因坊戦第1局の前日(5月10日)、対戦者と立会人が見学と墓参に訪れた時の揮毫色紙。

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〇山崎家は、毛利元就の家臣で一万石を領していた松浦但馬守を祖としており、馬路に定着後は土地の庄屋として重きをなしてきた。

 下の写真は、広い玄関土間から見上げた屋根裏の重厚な太梁組み と 入口横の壁際に
掲げられた家紋入りの提燈。

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 本因坊道策の生誕地を訪ねて -その2- (6月20日付の記事)へ

                                              つづく。

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