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2011年6月13日 (月)

本因坊道策の生誕地を訪ねて。

○東漸する低気圧を気にしながら、6月11、12の2日間 島根県へ旅をした。

○小生が主宰する囲碁クラブの第2回研修旅行として、第1日目は近代囲碁の祖といわれる本因坊道策(1645~1702)の生家を訪ね、墓詣をした。

○日本海に面する大田市仁摩町馬路にある道策の生家山崎家は、十三代続く同地の旧家。道策は父三代目七右衛門、母ハマの二男として生れた。幼くして俊才で7歳の頃から母に囲碁を習い、13歳で江戸へ出て本因坊三世道悦の門人となった。

下の写真は生家正面全景で、人が立っている所が駕籠を下す石の台。 尚、家は居住中のため、内外とも一般公開はしていない。

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下の写真は、「折檻の井戸」と伝えられている。母ハマは気丈な賢夫人で、子女の教育には特に心を砕き、時には裏にあるこの井戸に道策を吊るしたという逸話がある。

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写真上は、道策が幼少時使用した碁盤・碁笥・石。 

下は、松江市で行われた第66期本因坊戦第1局の前日(5月10日)、対戦者と立会人が見学と墓参に訪れた時の揮毫色紙。写真上でクリックすると拡大する。

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〇山崎家は、毛利元就の家臣で一万石を領していた松浦但馬守を祖としており、馬路に定着後は土地の庄屋として重きをなしてきた。

下の写真は、広い玄関土間から見上げた屋根裏の重厚な太梁組み と 入口横の壁際に掲げられた家紋入りの提燈。

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Photo_2

       

   本因坊道策の生誕地を訪ねて -その2- (6月20日付の記事)へ つづく。

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