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  • 650 NHK杯 最後の雄姿。
     村山聖について、彼の師匠森信雄七段は後年 彼について こう語った。「私が村山聖を好きなのは、将棋にひたむきだったことと、病気のことも含めて一切グチを言わなかったことである。無念さや切なさ、遣り切れなさ、口惜しさ..その思いをすべて黙って将棋にぶっつけていたような気がする。」    聖は幼時より腎臓に重い疾患を持っており、生きること自体が闘いであった。いつまで生きられるかという思いを心の片隅に置き、名人を目指して指す彼の将棋は その必死さ において尋常なものではなかった。
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  • 050 地酒「本因坊秀策」
    碁聖 本因坊秀策の生誕地を訪ねて  アルバム(表紙)      上の写真は、村上水軍城
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2011年10月の投稿

2011年10月10日 (月)

二上山と鐘楼

Photo

              ☆写真の上でクリックすると、一杯に拡大します。sun 

〇 右側遠景にかすむ二上山。太子町春日にある浄土真宗本願寺派
「光福寺」の境内からの眺めである。鐘楼の右には、地元では有名な鎌田邸の大楠が見え、大和造りの急勾配な屋根の民家も散見される。その向こうの集落の中を最古の官道“竹内街道”が貫き、遠く明日香へと続いている。

 尚、親鸞聖人の直弟性覚師の創立(1270年代)であるこの光福寺は、最近「北海道稲作の父」として知られる中山久蔵翁(1828~1919年)の檀那寺として、翁の足跡を辿って遠方より訪れる人が週末などに多いそうだ。

〇 寄進 石狩国月寒村 中山久蔵 と刻ってある光福寺山門前の石段石。                        Photo_2

Photo_3

〇北海道で功成った久蔵翁

は、檀那寺である光福寺に

お米二石、金三百
円、そして

境内参道石畳、山門下石段

(現存・左の写真・上の写真

は右側袖石の拡大写真)を

寄進した。

                                             おわり

           

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  • 140 シンフォニーホール前の並木道
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