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  • 650 NHK杯 最後の雄姿。
     村山聖について、彼の師匠森信雄七段は後年 彼について こう語った。「私が村山聖を好きなのは、将棋にひたむきだったことと、病気のことも含めて一切グチを言わなかったことである。無念さや切なさ、遣り切れなさ、口惜しさ..その思いをすべて黙って将棋にぶっつけていたような気がする。」    聖は幼時より腎臓に重い疾患を持っており、生きること自体が闘いであった。いつまで生きられるかという思いを心の片隅に置き、名人を目指して指す彼の将棋は その必死さ において尋常なものではなかった。
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  • 050 地酒「本因坊秀策」
    碁聖 本因坊秀策の生誕地を訪ねて  アルバム(表紙)      上の写真は、村上水軍城
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2012年11月の投稿

2012年11月20日 (火)

村山聖の面影を求めて。

○ 11月18日(日)、今年も村山聖に逢うため大阪市内へ出てきた。大阪市内へ電車で足を踏み入れるのは今年始めてだ。近鉄阿倍野橋駅からJR環状線に乗り換える時、建築中の「あべのハルカス」(高さ300m)が青空に聳え、きらきらと光っていた。   以下、全て写真の上でクリックすると拡大します。happy01

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○ JR環状線福島駅へは午前9時半に着いた。早速、誰も居ないホームの東端で、なにわ筋の北側を撮影。写真中程やゝ右上に関西将棋会館の茶色いビルが細長く見える。改札口を通り南側の通りに出ると向かいに喫茶「ケニヤ」がある。 なにわ筋に出ると見えるのがガード下の食堂街「OK1番街」。

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写真下:昭和57年晩秋、この喫茶店で森師匠は「今年の奨励会は諦め、我慢するよう、広島の村山父子に電話した。

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村山聖ファンの聖地「更科食堂」はここにあるのだが、日曜日でシャッターが閉まっている。

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○ なにわ筋を北へ歩くと すぐに関西将棋会館がある。2階の道場使用は午前10時からのため、10人位の人が1階受付の前で待っていた。売店もまだ閉まっていた。

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写真下:北側の通りから見た会館。2階の窓には、関西将棋会館道場と大書してある。昭和57年初秋、ここで聖は森師匠と運命的に出合ったのだった。 村山聖 13歳、 森信雄 30歳だった。

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○ 関西将棋会館から東北に裏通りを少し歩くと、福島6丁目から来る広い通りに出た。その通りを北へ渡り裏通りを2~3分歩くと「市山ハイツ」跡に着いた。ここはもう2度もビルが建て替えられ、周りもビルが多くなって、聖が 森師匠と内弟子生活を始めた当時の面影は希薄になってきているようだ。   写真下は、「市山ハイツ」への途、渡る長い歩道橋より見た福島6丁目交差点方面。

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写真下:「市山ハイツ」の跡地に建っている2度目のビル。

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すっかりビル化した周りを歩いてみると、昔ながらの長屋住宅が一角に残っていた。

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○ 市山ハイツ跡から北へ少し歩き、大淀南公園に出た。ここは、内弟子となった聖が遠くの中学へ通学するため、自転車に乗る練習をしたところなのだ。すっかりビルに囲まれ狭く感じられる。

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写真下:大淀南公園から、なにわ筋を挟んで西側にある大淀中学校。学区外ながら、市山ハイツから至近距離にあり養護学級があるため、事情を話して転校した。

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○ 大淀中学校から西北へ少し歩くと広い通り あみだ池筋に出る。この通りを渡り、少し横丁へ入った所に森師匠が次に移り住んだ「大淀ハイツ」があり、少し南の横丁にはよく買い物をしたSM「ビバ大淀」があった。聖はトボトボ歩いて来て、この師匠の住まい「大淀ハイツ」で洗髪をしたとか...。

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○ あみだ池筋を少し南へ歩くと、大淀南交番前交差点に出る。この南西側角に交番がある(写真下)。前田アパートから追い出された聖の母トミコが一晩泊めてもらったのが此処だ。この交番の西側には野球のグランドやテニスコートがあり、浦江公園へと続く緑の多いところだ。もう落ち葉で一杯だった。浦江公園の西側の道の向かいに「前田アパート」がある。

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交番の西側にある浦江公園。常緑樹の一角。

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浦江公園。紅葉と落ち葉。聖はこんな美しい風景をどのように心に刻んだのか。将棋が生活の全てであった村山には、季節の移り変わりは心に映らなかったか。

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写真下:浦江公園から見える「前田アパート」。1階の「三谷工業」は日曜日で休み、シャッターが閉まっている。聖は2階真ん中の白いカーテンの部屋を終生借り通した。 聖は体調を崩すと、暗いこの部屋の蒲団の中で眼を閉じジーとして回復を待った。 北隣の木工所?のご主人に聞いてみると、今はこのアパ-トには誰も住んでいない由。時折、このアパートを捜して見に来る女性などがいる由。小生もここへ来るたび、もう取毀されていないか気が気でない。村山聖ファンを糾合して「前田アパート」の保存運動を起こしたい位。

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前田アパートから関西将棋会館へ通う道は、すっかりビルに囲まれて聖が見慣れた風景が少なくなった。 写真下は、前田アパートから浦江公園の南側をぬけ 金蘭女子中高校前へ出る途中の風景。中央にシティタワー西梅田の高層ビル、左が金蘭女子中高校。

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写真下:金蘭女子中高校の正門手前より見る福島7丁目北交差点。左の金蘭女子中高は明治38年の創立で 今年で107年目、新校舎に建替えて7年目の由(校門で出会った先生の話)。聖が恥ずかしそうに女子生徒とすれ違っていた頃は、しっとりと周りと調和したレトロ調の校舎だった由(村山聖ファンで将棋勉強中の あやさんのブログより)。中央に見えるドーム風のビルは何とお寺。右側の高いビルの1階に小さく「福島食堂」が見える。

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大きな交差点の角にある「福島食堂」。ここで村山は、敬愛する羽生さんと食事を

共にしながら、談笑したことがある。

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○ ドーム風のお寺(ビル)の北側の横丁に、聖が将棋研究や書籍保管用に借りていた「ライラックマンション」がある。阪神淡路大震災で被災した森師匠夫妻が一時住まいとしていた所でもある。その直ぐ東側に「シンフォニーホール」と上福島北公園がある。写真下はライラックマンションの入り口。

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写真下:シンフォニーホール。

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写真下:上福島北公園南側の歩道。

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○ 写真下:シンフォイーホール側から見た上福島北公園内の並木道。聖が、「弥吉さん、今年もよく来てくれましたね」と言って現れそうな幻覚に捉われる。

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○ 時に午前11時半。ここで、今年の村山聖の面影を求める2時間余にわたる紀行を終えることとした。少し疲れた。                                                      弥吉                                                          ・                                                        ・                                                        ・                                                        ・

2012年11月 1日 (木)

天平文化に酔う。 その2. -正倉院展を観るー

○ 今年も、10月31日(水) 奈良国立博物館における第64回正倉院展を観に行った。先に東大寺ミュージアムで法華堂の宝物展示を観たり、工事中の正倉院方面を散策したりして時間が過ぎ、入館は午後4時55分だった。(この時間になると待ち時間はゼロになっていた)

○ 今回の目玉出陳は「瑠璃坏(るりのつき)」で、間近で観るための待ち時間は15分間だった。(待たなくても、1.5m位までは近づける)

         写真の上でクリックすると拡大するhappy01

Photo_3○ コバルトの発色が鮮やかで、周囲に同質のガラスリングが22個貼りめぐらされた斬新なデザインのガラス坏。ペルシャで作られたとの説がある。シルクルートを通って何人の手を経て、どの様な運命を辿って海を渡り、聖武天皇の愛用品となったのであろうか。銀製鍍金の台脚には、先端が霊獣の頭部に変化した唐草文が毛彫りされている。脚は朝鮮半島の製品と考えられている。

○ ほかに印象に残った出陳品。

螺鈿紫檀琵琶(らでんしたんのびわ)

 濃い紫檀の地に、夜光貝の貝殻を貼り付けた螺鈿細工が映える。
  左右に顔が人、体が鳥という特異な生き物を配している。

        写真の上でクリックすると拡大するhappy01
 

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画紫檀双六局(もくがしたんのすごろくきょく)

 当時、人々を熱中させた遊び、双六のボード。
 側面や脚に細やかな図柄は木画で、本体に象牙や鹿の角、黒檀などをはめこんで
 描いている。

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密陀彩絵箱(みつださいえのはこ)

 黒塗りの木箱に、白と橙色の顔料で鳳凰や唐草、雲などがダイナミックに
 旋回する図柄を描いている。大仏開眼会で使った献物箱と思われる。
  中央の貼り紙には、納 丁香青木香 会前東大寺 と書いてあるそうだ。

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○ 正倉院宝物約9000件のうち中核となるのは、光明皇后が東大寺に献納された故聖武天皇のご遺愛品なのであり、上掲 螺鈿紫檀琵琶や木画紫檀双六局などの出陳品を観ていると、それらを扱った往時(1250年以上前)の華やかな天平びとの姿や 立ち振る舞いが 現代に蘇ってくるような感覚にとらわれる。

                            おわり 

                     (左斜め下の ≫続きを読む をクリックして下さいhappy01
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天平文化に酔う。 その1. ー不空羂索観音立像を観るー 

○ 昨日(10月31日)、正倉院展を観るため、奈良へ行った。今年は、もう一つの目的があった。東大寺の一堂である法華堂(三月堂)の本尊 不空羂索観音(ふくうけんさくかんのん)立像を観ることだった。

○ 東大寺南大門を入った左側に平成23年10月10日に開館した「東大寺ミュージアム」がある。法華堂が修理中であるため、不空羂索観音立像は、今 ここに展示してあるのだ。

○ この立像の左右にかしずくように立っている日光菩薩、月光菩薩の二像もここに展示してある。    写真下は展示中の3像。

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○ 更に、今年3月に修理の終わった立像の宝冠(法華堂では像高362㎝の立像頭上に載っているので暗くて見えにくい)も、頭上から外して展示してあるから正に間近に観られるのだ。

Photo○ 写真(左)は、法華堂で撮影されたもので、右下が日光菩薩、左下が月光菩薩像。(いずれも国宝)

写真は法華堂写真集より。
写真上でクリックすると拡大するhappy01

○ 中央の不空羂索観音立像は、現在宝冠、光背、持物を外し、素の姿で展示されている。

○ この立像は、漆や麻布などを用いる乾漆造という方法で中空に作られているが、重さは500㎏以上もある重量級の仏像である。

○ 8本の手のうち、2本は胸の前で合わせている。その両掌の中には、あらゆる願いを叶えるという宝珠(水晶)が包み込まれている。 (写真下)

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○ 左右に立つ日光、月光両菩薩像は、後世に他の堂から法華堂に移された「客仏」と考えられてきたが、最近の調査で、もともとこの場所に眷属(けんぞく)として立っていた可能性が強まった。

 なお、両菩薩像は塑像のため、修理完了後も安全を期して免震構造の整ったこのミュージアムに安置される。
         
下の写真は、東大寺ミュージアムのパンフより。
           写真上でクリックすると拡大するhappy01

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写真の上でクリックすると、拡大する。happy01

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○ 写真(左)は、不空羂索観音立像の頭上に載っている宝冠。(修理が終わり、本年4月から展示中=間近で観られる)

○ 緻密な技術と意匠の華やかさから、天平工芸の最高峰の一つとされており、1万数千個の翡翠、琥珀、水晶、真珠、吹玉などは積年のほこりや汚れが拭き取られ、まばゆいばかりの華やかさ。正面に銀製の阿弥陀如来像がついている。

○ 法華堂内の修理が終った後の、平成25年(来年)1月15日以降は、本尊の不空羂索観音立像と共に法華堂に帰るため、この宝冠を間近に鑑賞できるのも、あと2か月余となった。

 この機を逃すと、もうこの素晴らしい天平工芸の粋を間近に観ることは当分できないだろう。 是非、東大寺ミュージアムへ足を運んで欲しい。

                                おわり

<追伸>

平成25年11月7日付で「不空羂索観音立像 再見」と題し、修復完了後の

法華堂・不空羂索像 再見の記事をアップしております。是非、ご覧下さい。

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  • 140 シンフォニーホール前の並木道
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