マイフォト≪聖の闘魂≫   ↑ここをクリックして下さい

  • 650 NHK杯 最後の雄姿。
     村山聖について、彼の師匠森信雄七段は後年 彼について こう語った。「私が村山聖を好きなのは、将棋にひたむきだったことと、病気のことも含めて一切グチを言わなかったことである。無念さや切なさ、遣り切れなさ、口惜しさ..その思いをすべて黙って将棋にぶっつけていたような気がする。」    聖は幼時より腎臓に重い疾患を持っており、生きること自体が闘いであった。いつまで生きられるかという思いを心の片隅に置き、名人を目指して指す彼の将棋は その必死さ において尋常なものではなかった。
フォト

マイフォト≪因島紀行≫ 

  • 050 地酒「本因坊秀策」
    碁聖 本因坊秀策の生誕地を訪ねて  アルバム(表紙)      上の写真は、村上水軍城
無料ブログはココログ

« 2012年11月 | トップページ | 2013年3月 »

2012年12月の投稿

2012年12月 8日 (土)

大東亜戦争勃発当日の新聞号外。

○ 今日は、12月8日。日本が71年前に大東亜戦争に突入していった日だ。不肖 弥吉は、まだ3歳だった。

Ts3r0002_2○ 今日の読売・日経2紙の新聞記事をみると、読売では「気流」という投書欄で、78歳と80歳の二氏が当時のことに触れておられ、日経では「文化」欄に最後通告の遅れに関する新事実についての興味ある記事が掲載されていた。しかし、新聞社サイドで書いた記事は皆無であった。

 ○ 大東亜戦争という言葉そのものが、戦後の社会では意識して使われなくなった。日本人は、終戦を機に自虐趣味に陥り、古いものを全て放擲してしまったのだ。

 ○ 写真左は、田舎の家(生家)の二階にあった当時の新聞束の中から見つけたもので、現物は紙質も悪くすっかり黄ぃばんでいる。

 ○ 71年後の現在、日本を取り巻く国際社会は当時と変わらぬ複雑さがあり、日本も安閑としては居れない。平和・自由・平等主義の下に惰眠を貪っていた日本も、もう そろそろ目を覚まし 背筋を伸ばしてもよい頃なのではないか。

« 2012年11月 | トップページ | 2013年3月 »

マイフォト≪聖の青春≫   ↑ここをクリックして下さい

  • 140 シンフォニーホール前の並木道
    故村山聖九段のアルバム (表紙)   ↓ アルバムへ入る をクリックして下さい。