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2013年3月24日 (日)

歌枕のさと “生野の里”

○ 小生が米作りをしている田舎のすぐ近くに、古来 歌枕で知られた

“生野の里”がある。百人一首にある和泉式部の娘・小式部内侍が詠んだ

   “大江山生野の道の遠ければ まだふみも見ず天橋立” 

               金葉集 大治元年(1126年)は、あまりにも有名。

○ 昨日(3月23日)早朝、大阪を発ってお彼岸の墓参りに田舎へ行った。

 田舎の家に着く途、思いついて撮ってみたのが以下の写真。

  (写真の上でクリックすると、拡大しますhappy01

 写真下:国道9号線沿いに立っているPR看板。

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 写真下:JRバス生野の里バス停留所と傍らにある石碑(裏は歌碑)。

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Ts3r0005_2

 写真下:生野の里の案内板と本陣もあった街道(宿場)の新旧写真。

Ts3r0013

Ts3r0011

Photo

 旧写真の右端の家(江戸時代は桶屋だった)の佇まいは、90年後の

 現在も殆ど変っていない。

 

                   おわり

 

 

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コメント

先日はコメントありがとうございました。
アルバムを拝見しました。
本当に彼をずっと追いかけていたんですね。
今川さんのおっかけ13年は長い、でも彼の人生は短かったですね。
短すぎた・・・

聖の青春アルバムをご覧頂き有難うございました。この本が一人でも多くの人に読まれるよう周りの方々にご吹聴下さればうれしいです。 弥吉 拝

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