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     村山聖について、彼の師匠森信雄七段は後年 彼について こう語った。「私が村山聖を好きなのは、将棋にひたむきだったことと、病気のことも含めて一切グチを言わなかったことである。無念さや切なさ、遣り切れなさ、口惜しさ..その思いをすべて黙って将棋にぶっつけていたような気がする。」    聖は幼時より腎臓に重い疾患を持っており、生きること自体が闘いであった。いつまで生きられるかという思いを心の片隅に置き、名人を目指して指す彼の将棋は その必死さ において尋常なものではなかった。
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2013年6月の投稿

2013年6月30日 (日)

村山聖ファンの聖地 :福島食堂がなくなった!

○  歳の所為か5月下旬から体調を崩し、つらい日々を送っていた為、暫くネットへのアクセスやブログ友・メル友との交流を怠ってきた。先日(28日)偶々、ネットを開け、ブログ更新情報を見て吃驚。福島食堂閉店の記事に目が釘付けとなった。

○  以下、そのブログ記事の一部を貼り付け。

2013-06-24 07:24:31

福島食堂がナイ

テーマ:ブログ

故 村山聖先生が かつて利用されていた


福島食堂


閉店して数ヶ月、跡は ただのコンビニになりました。



弥吉様が見られたら ガッカリされるだろうな、と思いつつ


景色がどんどん変わっていく様子を


眺めた私なのでした。

                  ー以下、略ー

  この記事をアップされたのは、関西将棋会館のお近くにお住まいで、昨年から趣味で将棋の勉強をされている若い女性(勿論、村山聖ファン)なのだが、ブログは一般には公開されていない。

○  故村山聖九段が、昭和58年の春、森信雄師匠のアパートに内弟子として住み込んで以来、永年に亘り馴染んだ福島界隈の風景がまた一つ消えてしまった。村山が高段者になった晩年の、羽生さんとの交流の舞台が消滅した。

○  小生(弥吉)は、3年前に福島食堂で晝食を認めながら店内を見回し、10余年前に此処の何れかの席で、ふたり(村山と羽生)が向かい合って焼き魚をつつきながら、楽しく談笑している夢のような光景を思い浮かべていた。

  写真下、H22.11.21に撮影した福島食堂。

221121
  村山ファンにとっての聖地がまた一つ消えていってしまった。

  止(や)んぬるかな。                       おわり

≪追記≫ H25.7.18

福島食堂跡地の現況。

  写真下:交差点角にあったキシュウビルという6~7階建の古い建物
       は取毀され、平屋建てのコンビニになっている。
 

H257 

   写真下:金蘭女子中高校側から見た福島7丁目北交差点(H25.7月)。
           右下方にコンビニが見える。

7h257

     上の写真2枚は、“福島食堂がナイ” の記事を書かれた村山ファン(若い女性)
     より、後日提供受けたものです。

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