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  • 650 NHK杯 最後の雄姿。
     村山聖について、彼の師匠森信雄七段は後年 彼について こう語った。「私が村山聖を好きなのは、将棋にひたむきだったことと、病気のことも含めて一切グチを言わなかったことである。無念さや切なさ、遣り切れなさ、口惜しさ..その思いをすべて黙って将棋にぶっつけていたような気がする。」    聖は幼時より腎臓に重い疾患を持っており、生きること自体が闘いであった。いつまで生きられるかという思いを心の片隅に置き、名人を目指して指す彼の将棋は その必死さ において尋常なものではなかった。
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  • 050 地酒「本因坊秀策」
    碁聖 本因坊秀策の生誕地を訪ねて  アルバム(表紙)      上の写真は、村上水軍城
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2013年11月の投稿

2013年11月18日 (月)

聖の青春・村山聖の足跡を求めて 再び。

○  11月17日(日)、今年も又、村山聖の面影を求めて大阪市内へ出てきた。電車の乗り換え時、JR天王寺駅で見た、来年3月オープンする「あべのハルカス」の偉容(高さ300m)が眩しかった。Ts3r0001

○  JR環状線福島駅のホームから見た、なにわ筋南北の風景。

       北側:中央に村山の根城だったこげ茶色の関西将棋会館が見える。                          Ts3r0003

       南側:中之島方面。村山が入院していた住友病院がある。Ts3r0002

○  ガード下の1番街にある村山がよく利用した「更科食堂」は休日でシャッターが下りていた。

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○  今日は、福島駅の北側を西に伸びる聖天通り商店街に足を向けた。飲み屋、雀荘などもあり、森師匠や村山もよく通った所だった。

             写真下:福島駅ホームから見た聖天通り方面  Ts3r0005

             写真下:聖天通り商店街(此処を右に行くと聖天さんがある)Ts3r0008

 皆から「聖天さん」と呼ばれ、親しまれているが、歓喜天をお祀りしていて、お祈りすれば、富を与えて、男女仲睦まじくなり、子宝に恵まれるとか。境内は奥へ広く、朝早いのに参拝者がチラホラ見えた。Ts3r0009

○  聖天さんから、北へ阪神高速道とJR東海道線のガードをくぐって少し歩くと、広い道路に出て、向かいに金蘭女子中高校が見えた。

 写真下:左が金蘭女子中高校、右に見えるのはお寺の建物。村山は、前田アパート          からの行き帰りに、同年輩の女子高生と顔を合わせるのが恥ずかしく、下を向いて歩いた。「聖の青春」よりTs3r0016_2
 写真下:金蘭女子中高校のある福島7丁目北交差点辻向かいに村山が羽生さんと歓談した福島食堂があった。ビルが取り毀され、跡地には、現在コンビニが盛業中。

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○  前田アパートと浦江公園。金蘭女子中高校の北側に浦江公園があり、その西側に村山ファンにとっての聖地「前田アパート」がある。

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            写真下:中央に前田アパート。2階真ん中の窓が村山の部屋。

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             写真下:広い浦江公園。常緑樹の幹は太く、市民憩いの場である。Ts3r0027
 写真下:公園の隅にあるベンチ。村山の母が一夜を過ごそうとしたのもこんな所だった。

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 写真下:村山の母が泊めてもらった大淀南交番の北側すぐの所にある八阪神社。森師匠の住まい大淀ハイツへ行く途にある。Ts3r0030
 写真下:八阪神社の近くにある梱包材料屋。村山が東京へ引越す時、荷物を梱包する段ボール箱をここで買った。

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○  上福島北公園とシンフォニーホール前の並木道。

         写真下:村山が前田アパートからの行き帰り、トボトボと歩いた道。Ts3r0032
             写真下:シンフォニーホール前の並木道。Ts3r0033
○  村山は、体調の良い時、梅田方面へ漫画本や推理本を探しに遠出した。また、棋士仲間や奨励会の友人達と大阪駅の東側にある阪急東通りの飲み屋街にまで足を伸ばした。

 写真下:環状線福島駅から、梅田方面への道。15年余の歳月がこのように高層ビルが林立する風景に変えてしまった。Ts3r0041
 写真下:阪急東通り商店街。横丁へ入れば、原色のネオンが輝く飲み屋街もある。
年齢制限で奨励会を退会する親友加藤昌彦との1件も横丁の飲み屋街であった。
無二の親友が去っていく心の淋しさと悔しさに村山は耐えられなかったのだ。

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○  今年は、村山が日常行動していたトライアングル福島界隈から、脱線

して遠くまできてしまった。随分歩いて少々疲れた。

 最後に、途中で立ち寄った関西将棋会館の1階に飾ってあった将棋の駒を写真でどうぞ。

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                      おわり。

2013年11月 8日 (金)

正倉院展を観る。

○ 今年も、11月6日(水)に奈良国立博物館における第65回正倉院展を観に行った。

 先に西ノ京・薬師寺東塔の水煙降臨展を拝観し、感動の静まりを待って、大修理の成った法華堂にも足を延ばした。

 正倉院展の会場へ着いたのは午後4時半を過ぎていた。(この時間になると、入場待ち時間はゼロになる)

○ 今回の目玉出陳は、「漆金薄絵盤(うるしきんはくえのばん)」で、間近で観るための待ち時間は20分だった。

               写真下:撮影不可のため、案内パンフより。H25

       写真の上でクリックすると、一杯に拡大する。是非、大画面でご覧下さい。

○ 蓮の花の形をした仏具で、香(こう)をたく炉盤の台座として使われていたと考えられる。(台座の裏面に墨で「香印坐」の記載あり)

  金箔をはった木製の花びらの部分には、極楽浄土にいるという鳥「迦陵頻伽」、くちばしに花をくわえた「花喰鳥」、獅子、唐花文様などが描かれている。

 造形美と極彩色の華麗さでは、正倉院のなかでも屈指の宝物である。また、一連の宝物として「黒漆塗香印押型盤」(香印の押し型)、「黒漆塗平盆」(香印の受け皿)が展示されているが、香を長時間にわたり焚く手法を知って、古代人の知恵の卓抜さに舌を巻いた。

○ ほかに印象に残った出陳品。

平螺鈿背円鏡(へいらでんはいのえんきょう)

 作られたのは、中国・唐の時代で、アジア各地から貴重な素材が集まる唐の都・長安あたりだろうとは、専門家の見解。

 尚、正倉院宝物は、外国製が多いように思われるが、数から言えば全体の5%程度に過ぎない。

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 夜光貝やトルコ石、琥珀、ラピスラズリを散りばめた豪華な鏡で、聖武天皇の愛用品だった。

 手の込んだ技法で、花模様の中に群れる小鳥たちは、貝を使った螺鈿細工で可愛らしく丁寧に描かれている。4羽の小鳥が集まり何やら話合っている様子が微笑ましい。是非、写真を拡大してご覧下さい。

                      おわり

 

2013年11月 7日 (木)

不空羂索観音立像 再見

○ 11月6日、正倉院展を観に奈良を訪れた。会場へ行く前に、毎年 東大寺周辺を散策するのだが、今年は修理を終えた法華堂を拝観することとした。

○ 法華堂は、須弥壇及び諸尊像修理の為、平成22年度から拝観を中止していたのだが、本年1月に略修復を終え、5月18日から拝観を再開した。

                             写真下:修理前の諸尊像配置。Photo_2

              写真下:修理完了後の諸尊像配置。Photo

○ 上の写真2枚では判り難いが、現在安置されている諸尊像は、本尊の不空羂索観音菩薩、梵天、帝釈天、金剛力士(阿吽)、四天王、執金剛神(秘仏)の10躰。 

○ 本尊の両脇にあった日光・月光菩薩、弁財天、吉祥天、地蔵菩薩、不動明王の6躰は、免震構造の東大寺ミュージアムに安置、公開されている。

○ 薄暗い堂内での写真撮影が不可な為、下の写真2枚は法華堂パンフからのものだが、堂内の光線を極度に抑えているのでこの写真のようには細部の様子を見ることはできない。昨秋、東大寺ミュージアムで間近かに鑑賞し得た頭上の宝冠も暗くてよく見えない。(宝冠の素晴らしさについては、昨年11月1日付エントリー:天平文化に酔う。その1.をご参照)

             Photo_2

Img014○ この度の修理事業で分かった新事実(収獲)は、今は大仏殿西側の戒壇堂にある「四天王」像が、嘗ては法華堂にあったこと、日光・月光両菩薩像は後世に他の堂から持ち込まれた客仏だったとの通説を覆し、もともと眷属として本尊の両脇に立っていた可能性が強まったことである。

○ 嘗ては、本尊「不空羂索観音」立像の周りは、裏側にある「執金剛神」の他に、前記「四天王」像、「日光・月光両菩薩」像を加えた7躰が、立像をぐるっと取り囲んでいた......。そんな堂内の様子を想像しながら、静かに座して本尊と対面した。

                      おわり

《追記》 記事・写真:平成25.12.30付読売新聞(朝刊)より。

〇  東京芸術大学の研究チームは、法華堂の創建時の堂内をコンピューターグラフィックス(CG)で復元した。金色に輝く本尊・不空羂索観音立像を中心に日光・月光両菩薩立像、四天王立像など7体が囲む創建当時の荘厳な様子を再現した。Photo 写真の上でクリックすると画面一杯に拡大します。

                       以上

 

奈良・薬師寺 東塔の「水煙」に酔う。

○ 創建当時の美を現在に伝える奈良・薬師寺の東塔は、凛とした姿

から“凍れる音楽”と称賛されている。

    写真下:若草山を背景にした薬師寺(右から東塔、西塔、金堂)

Img008

Photo

○ 東塔は、1300年の歳月と自然災害で傷みが激しい為、現在、史上初の全面解体修理が行われている。(解体修理は110年振り。2018年度の完成予定)

○ その東塔の美を象徴するのが、高さ約34㍍の塔上を飾る「水煙」だ。

今、塔上に聳える金属の装飾「相輪」を含め、「水煙」が地上に下ろされ、

公開中で(11月末まで)、昨日(6日)観に行ってきた。

Imgp2578○ 写真左:水煙は、高さが

2㍍近い青銅製。火事や災

害を避ける為のお守りといえ

る部分で、東塔の「水煙」は、

その華やかな意匠と精巧な

細工から芸術的な価値が高

い。火焔の形をした飛雲が

レースのように透かし彫りに

され、その間を24人の天人

が散華し、笛を奏でながら

軽やかに舞う。1300年前の

職人の技巧に圧倒される。

Imgp2586_2写真の上でクリックすると拡大happy01

○ 写真右:「相輪」の全容と

各部名称。

○ 塔上にある「相輪」は、

水煙を含め高さは約10㍍、

重さは約3トン。

○ 支柱最下部には、

「東塔檫銘」と称する建立発

願の趣旨が刻まれている。

Imgp2581_2
            写真上:水煙に彫られた笛を奏でる天人。

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          写真上:伸びやかな肢体で舞う天人と風に靡く衣。

○ 薬師寺伽藍の中で、最古の建築物である東塔の魅力に惹かれ、明治以降、多くの文化人が訪れて随筆や歌を残している。

  最後に、会津八一 の 詠える

    “すいえん の あまつ をとめ が ころもで の

               ひまにも すめる あき の そら かな”

                                   おわり

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  • 140 シンフォニーホール前の並木道
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