マイフォト≪聖の闘魂≫   ↑ここをクリックして下さい

  • 650 NHK杯 最後の雄姿。
     村山聖について、彼の師匠森信雄七段は後年 彼について こう語った。「私が村山聖を好きなのは、将棋にひたむきだったことと、病気のことも含めて一切グチを言わなかったことである。無念さや切なさ、遣り切れなさ、口惜しさ..その思いをすべて黙って将棋にぶっつけていたような気がする。」    聖は幼時より腎臓に重い疾患を持っており、生きること自体が闘いであった。いつまで生きられるかという思いを心の片隅に置き、名人を目指して指す彼の将棋は その必死さ において尋常なものではなかった。
フォト

マイフォト≪因島紀行≫ 

  • 050 地酒「本因坊秀策」
    碁聖 本因坊秀策の生誕地を訪ねて  アルバム(表紙)      上の写真は、村上水軍城
無料ブログはココログ

« やっと、稲刈りが済んだ!  | トップページ | 奈良・東大寺境内を散策。 »

2014年10月21日 (火)

大下 弘 選手のカラーポスター

○  古いプロ野球選手の話。皆さんは背番号 3 と言えば誰をイメージし

  ますか?西鉄黄金期の四番バッター大下弘選手?九連覇時代の巨人

  の四番バッター長嶋茂雄選手?日本のプロ野球が今日のように繁栄を

  迎えるために、この二つの背番号3は大きく貢献しました。大下が廃墟

  からの英雄、長嶋が高度経済成長期の英雄として君臨し得たのは観客

  に共感と感動を与えるその「佇まい」にありました。プレー中のみ ならず

  静止している時ですら、その姿は美しかったのです。

○  小生(弥吉)が野球に熱中し始めたのは昭和24年(小学5年)でした。

  川上の赤バット、大下の青バットの時代でした。大下選手を見たのは昭

  和24年10月11日(火)のことです。福知山市営球場に於ける、東急フ

  ライヤーズvs大陽ロビンス戦を観に行きました。東急の3番打者で守備

  はレフトの大下選手は、子供好きで、毎回守備につく都度、フェンスに齧

  り付いている我々子供の間近まで来て、ニコニコ笑いながら 話しかけて

  くれました。その屈託のない大下選手の笑顔が未だに忘れられません。

  生家(福知山)にある当時小生が使っていた部屋の片隅には、65年後

  の今も、大下選手の華麗な打撃フォームの(すっかり くすんだ)カラーポ

  スターが貼ってあります。(下の写真)

Photo
        2階の奥にあるこの部屋は、50年以上誰も使用していません。

Photo_2

・                                          おわり 

« やっと、稲刈りが済んだ!  | トップページ | 奈良・東大寺境内を散策。 »

スポーツ」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1366102/57742159

この記事へのトラックバック一覧です: 大下 弘 選手のカラーポスター:

« やっと、稲刈りが済んだ!  | トップページ | 奈良・東大寺境内を散策。 »

マイフォト≪聖の青春≫   ↑ここをクリックして下さい

  • 140 シンフォニーホール前の並木道
    故村山聖九段のアルバム (表紙)   ↓ アルバムへ入る をクリックして下さい。