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  • 650 NHK杯 最後の雄姿。
     村山聖について、彼の師匠森信雄七段は後年 彼について こう語った。「私が村山聖を好きなのは、将棋にひたむきだったことと、病気のことも含めて一切グチを言わなかったことである。無念さや切なさ、遣り切れなさ、口惜しさ..その思いをすべて黙って将棋にぶっつけていたような気がする。」    聖は幼時より腎臓に重い疾患を持っており、生きること自体が闘いであった。いつまで生きられるかという思いを心の片隅に置き、名人を目指して指す彼の将棋は その必死さ において尋常なものではなかった。
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  • 050 地酒「本因坊秀策」
    碁聖 本因坊秀策の生誕地を訪ねて  アルバム(表紙)      上の写真は、村上水軍城
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2015年10月の投稿

2015年10月27日 (火)

正倉院展を観る。

○  昨日(10月26日)、正倉院展を鑑賞した。本年の出陳宝物は、

 63件(初出陳12件)であった。小生の趣味である囲碁関連の宝物の

 出陳はなかった。

○  宗教心の希薄な小生にとって、目につくのは聖武天皇のご遺愛品

 や工芸的に優れた宝物だった。

 その1.紫檀木画槽琵琶(したんもくがのそうびわ)

                  裏面          表面H271025_2                    裏面の一部拡大Photo_9
   茄子のような形の胴に、4本の弦が張られている。裏面は、紫檀の木や象牙
  などを組み合わせて花の文様を作っている。現代でも通用しそうなモダンな
  デザイン。とても、1260年以上前のものとは思えない。

 

 その2.彫石尺八  彫石横笛(ちょうせきのしゃくはち、よこぶえ)

H271025_3

                      彫石尺八H271025_4
    聖武天皇のご遺愛品。両品とも、蛇紋岩という石から作られている。
   石製なのに、節を表わし竹製に見せかけている。胴はどうして
   刳り貫いたのか。表面の指孔の周りを花びらで飾り、胴には花や鳥を
   彫刻するなど、隅々まで細かな装飾が施されている。
   (写真の上でクリックすると拡大され、当時の職人の技巧がよく解る。)

  その3.紅牙撥鏤尺(こうげばちるのしゃく)

             部 分 (左:表          右:裏)Photo_11   
   象牙を紅色に染めた物差し。撥ね彫りして緑を塗っている。表側は
  唐花文と瑞鳥を交互に描き、裏は雲や蓮華などの他、飛天を表わして
  いる。めでたい文様を集めて理想郷を表現しょうとしたのか。
  長さ:29.7cm 幅:2.3cm

                                     おわり

≪余談≫

○  全国からの観覧客で、例年かなりの時間待ちを要する正倉院展

 だが、今年は若干並んでいるだけで空いていた。(午後4時過ぎ)

○  その代りか、東大寺南大門に通ずる土産物店の連なる通りは、

 外国語が飛び交い、中・韓の観光客でごった返していた。3年前は、

 両国との政情悪化で中・韓人は皆無だったのに。

唐招提寺に憩う

○  平成27年10月26日、正倉院展に行く途(みち)、奈良・西ノ京の

 唐招提寺を訪れた。

Photo

               平成20年、平成の大修理を終えた金堂。H271025

       左:千手観音立像  中央:本尊盧舎那仏坐像、 右:薬師如来立像、Photo_3

             金堂内の仏像の様子Photo_4

             鑑真和上御廟へ行く道から見る 苔の絨緞が美しい。  Photo_8

○  唐招提寺は、唐の高僧・鑑真大和上により759年に創建された。

 当寺には、唐で出家し高僧となった鑑真が苦難を乗り越えて来日し、

 多くの日本人僧に戒律を伝えた後、亡くなるまでの場面を描いた

 「東征伝絵巻」(鎌倉時代作)が奉納されている。絵巻は、全5巻・

 83㍍に及ぶため、劣化を虞れて、これまで公開の機会が少なかった。


○  この度、専用のスキャナーで撮影し、高精細な画像にした
デジタル

 絵巻が完成し、これを機に、大型スクリーンに映し出して(音声説明付)

 一般公開された(11/3迄)。

              デジタルで見る「東征伝絵巻」 公開パンフPhoto_5

              写真下2枚:東征伝絵巻の一部Photo_6

  当時の航海は極めて難しく、五度の失敗を重ね、盲目の身となり、六度目の
  航海で遂に来朝を果した。 写真下:嵐に遭い、浪に翻弄される渡航船。Photo_7

○  鑑真和上(688~763年)は日本からの熱心な招きに応じ、苦節

 10年目の753年12月、六度目の航海でやっと来日を果した。その後

 朝廷から仏教行政の最高指導者“大僧都”に任命されて仏教界の風紀

 の改善などに多大なる貢献をした。

○  五年間、東大寺で過ごした鑑真和上は、大和上の称号を賜ったが

 大僧都を解任され、西ノ京の旧宅地を宛がわれた。鑑真和上は、朝廷に

 体よく利用されたような気がしなくもない。

○  鑑真大和上は、西ノ京の地に戒律の専修道場を創建(のちの

 唐招提寺)。また、社会福祉施設・悲田院を設立し、貧民の救済にも

 取り組んだ。そして来日から10年余、763年5月に異国の私寺で

 永遠の眠りについた。

  数奇な運命に弄ばれながらも、仏教の為に常に前向きに生き、万民に

 慕われた聖者が1250年前 此処に居た。

                                     おわり

2015年10月26日 (月)

荒鋤き

H271024

H271024_2
○  丹波の田舎で2反歩の稲作を始めて足掛け16年になる。大阪から

 片道約120㌔m離れており、年間に農作業で往復する回数・費用を考慮   

 すると、とても採算には合わない。

○  それでも何故続けているのかと云うと、汗塗れ泥塗れでする農作業

 や土の匂いが好きなのだろう。これ許りは都会生活では味わえない。

○  好天の続く10月24日に大阪より出張し、本年最後の大仕事「荒鋤き」

 を無事終えた。 

 (写真上は、荒鋤きを終えた田圃。遠くで畔草の野焼きをする炎と煙が見える。)

                                         おわり

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