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2015年10月27日 (火)

唐招提寺に憩う

○  平成27年10月26日、正倉院展に行く途(みち)、奈良・西ノ京の

 唐招提寺を訪れた。

Photo

               平成20年、平成の大修理を終えた金堂。H271025

       左:千手観音立像  中央:本尊盧舎那仏坐像、 右:薬師如来立像、Photo_3

             金堂内の仏像の様子Photo_4

             鑑真和上御廟へ行く道から見る 苔の絨緞が美しい。  Photo_8

○  唐招提寺は、唐の高僧・鑑真大和上により759年に創建された。

 当寺には、唐で出家し高僧となった鑑真が苦難を乗り越えて来日し、

 多くの日本人僧に戒律を伝えた後、亡くなるまでの場面を描いた

 「東征伝絵巻」(鎌倉時代作)が奉納されている。絵巻は、全5巻・

 83㍍に及ぶため、劣化を虞れて、これまで公開の機会が少なかった。


○  この度、専用のスキャナーで撮影し、高精細な画像にした
デジタル

 絵巻が完成し、これを機に、大型スクリーンに映し出して(音声説明付)

 一般公開された(11/3迄)。

              デジタルで見る「東征伝絵巻」 公開パンフPhoto_5

              写真下2枚:東征伝絵巻の一部Photo_6

  当時の航海は極めて難しく、五度の失敗を重ね、盲目の身となり、六度目の
  航海で遂に来朝を果した。 写真下:嵐に遭い、浪に翻弄される渡航船。Photo_7

○  鑑真和上(688~763年)は日本からの熱心な招きに応じ、苦節

 10年目の753年12月、六度目の航海でやっと来日を果した。その後

 朝廷から仏教行政の最高指導者“大僧都”に任命されて仏教界の風紀

 の改善などに多大なる貢献をした。

○  五年間、東大寺で過ごした鑑真和上は、大和上の称号を賜ったが

 大僧都を解任され、西ノ京の旧宅地を宛がわれた。鑑真和上は、朝廷に

 体よく利用されたような気がしなくもない。

○  鑑真大和上は、西ノ京の地に戒律の専修道場を創建(のちの

 唐招提寺)。また、社会福祉施設・悲田院を設立し、貧民の救済にも

 取り組んだ。そして来日から10年余、763年5月に異国の私寺で

 永遠の眠りについた。

  数奇な運命に弄ばれながらも、仏教の為に常に前向きに生き、万民に

 慕われた聖者が1250年前 此処に居た。

                                     おわり

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