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2015年12月の投稿

2015年12月23日 (水)

野球殿堂入りなるか 元毎日オリオンズ榎本喜八選手。

〇  3年前の(2012年)3月14日・・・。プロ野球で、神の領域に限りなく近づいた男が

 逝くなった。 2度の首位打者に輝き、生涯安打 2314本を叩出した伝説化せる強打者、

 元毎日オリオンズ榎本喜八選手だった。享年75才、後継球団(千葉ロッテマリーンズ)が

 訃報を公表したのは半月後だった。偶然乍、没年月日と生涯安打の数字が一致しており

 運命的だ。まずは、現役時代の打撃フォーム(写真)を篤とご覧あれ。

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〇  綺羅星の如くいる名だたる強打者達が声を揃えて挙げる偉大な打者 榎本喜八。

 その本質は、只管に野球道を追い求めた孤高の、そして努力の、しかし不世出の

 天才打者だった。気障な言い回しをすれば、彼は究極の打撃を求めて未知の曠野を

 彷徨い歩いた求道者だった。

〇   略歴(1936.12.5~2012.3.14) 東京・中野区出身、早実高校卒、’55年に毎日

      オリオンズ入団。プロ入り時点で、既にハイレベルの打撃術を身につけている

   との 高い評価で、評判に違わず新人王を獲得。打撃の特徴は、バットを長く持って

   フルスィングする、抜群の選球眼を持ち、好球必打ができ、三振が少ない、小柄

   だが、長打力がある、ボールの真芯に当たるのでライナー性の強烈な打球が多い、

   軸が全くぶれない美しい打撃フォーム..etc. 現役時代から人と交わらず、内向的で

   引退後、野球界との付き合いを一切絶った。名球会には不参加を貫いた。

      ≪主な記録≫    初出場(’55.3.26) 最終出場(’72.10.4)

         首位打者 2回(’60、’66)  最高出塁率 2回(’60、’66)

         最多安打 4回(’60~’62、’66)  新人王 (’55)

         ベストナイン 9回      オールスターゲーム MVP 1回(’66)

         1000本安打  24才9ヶ月での達成は、史上最年少記録。

         2000本安打  31才7か月での達成は、NPB史上最年少記録。

〇  榎本は、早実の6年先輩 荒川博の一番弟子だった(二番弟子は王貞治)。荒川の

 紹介で合気道を学び、’60年には首位打者を獲得、’62年12月には居合(いあい)を教わ

 り始め、翌年7月には後述するような「神の域」に達することになった。

〇  如何に彼の打撃が凄味のあるものだったか。 

   同時代の一流野球人の感想から推測してみる。川上=「打撃の神様」の称号は、

 自分でなく、榎本が最も相応しい。野村=あんな恐ろしい打者には後にも先にもお目に

 かかったことはない。張本=首位打者を7回獲ったが、一騎打ちで争い負けたのは榎本

 さん只一人だった。西本監督=一番正確な打者は誰だと聞かれたら躊躇なく榎本と

 言う。荒川=お客さんを喜ばせるプレーができて初めて「芸」の域に達する。まず「技」

 があって、その上に「術」がある。「芸」はその上なんだ。「芸」の域に達した選手には

 川上さん、藤村さん、長嶋、王、金田(正)もそうだ。「芸」の上が「道」を極めるだ。野球

 でそれに挑戦したのは榎本だけだった。

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   写真下:昭和35年初の首位打者獲得(中)、MVP山内(右)、最多勝利小野(左)S35mvp
        写真下:昭和43年 2000本安打達成の記念ボールを手にニッコリ。S432000

〇  神の域への道。

   榎本の師匠・荒川博は、合気道にうちこんで「合気打法」を開発しかかっていた。その

  「荒川道場」に入門した若い頃の榎本について、荒川は「誠に真面目な男で、求道心

  の固まりのようなところがあった。私の家に来て、私が『もうよい』と言うまで何百回も

  バットの素振りをし、姿勢、間の取り方、足腰の位置などを徹底的に研究する毎日

  だった。昼間から庭で素振りをしていた榎本のことをつい忘れてしまい、深夜に思い出

  して庭をみると榎本はまだバットを振っていたこともあった」と・・・。

〇  「豪打列伝」(文芸春秋刊)によると、榎本は、荒川に学んだ合気打法について、

  「バッターボックスの中にお城を構えているのと同じなんです。私の体の前、ピッチャー

  方向に外堀と内堀があって、その間でボールを処理すると、バットは早い球にも負け

  ないんです。その幅は30~40cm位でしょう。死にもの狂いでバットを振っているうちに

  内堀と外堀のことが解ってきました。その年(’60年)に首位打者になった時、ひとつ山

  を越えたんです。

   そして、26才のとき、本筋でいくところ迄いかしていただきました。本筋というのは、

  自分の脳裡に自分のバッティングの姿がよく映るんです。目でボールを見るんじゃなく

  て、臍下丹田でボールを捉えているから、どんな早い球でもゆるい球でも精神的に

  ゆっくりバットを振っても間に合うんです。丁度、夢を見ているような状態で打ち終わる。

  その姿ははっきり脳裡に映っていながら、打ち終わるとスッと夢から覚めて我に還って

  走りだす、そういうような処まで行かせて頂きました。」と述べている。

〇  榎本のいう本筋でいくところ迄行った期間は、’63年7月14日から31日迄(約2週間)

  の11試合だったようで、この間、4安打2試合、3安打2試合、2安打4試合とかため打ち

  をして、実に43打数24安打(5割5分8厘)と打ちまくった。安打以外でも打ち損じはなく、

  殆ど外野手の正面をつく弾丸ライナーだった。残念乍、翌8月1日の東映戦の守備で

  足首を痛め10日間も欠場してしまい、神の領域に一歩足を踏み入れ乍、それを長く

  続けることができず、壊れてしまったのだ。(←下線部分は、本人が語った独特の表現)

〇  後年、座禅の行(ぎょう)にも熱心で、究極を求め、野球に対するあまりにも純粋な

  入れ込み、求道心から奇行も多くなり、その所為か、名球会からも遠ざかっている。

〇  野球殿堂入りについて

   「野球殿堂」は、プロ野球などで、顕著な活躍をした選手や監督・コーチ、または、

  野球の発展に大きく寄与した人物に対して、その功績を称え、顕彰するため創設された

  ものである。現在、野球殿堂入りを果たした方々を一覧して、何故、榎本喜八の名が

  そこにないのか不思議でならない。 野球殿堂は、殿堂入りを果たすに十分且つ顕著

  な活躍をし乍、あまりにも真面目で純粋に野球に取り組んだが為、人との交わり方を

  身につけ得なかった古い型の職業野球人を排除するのか。

〇  榎本は、冒頭に記した様に、2012年3月、75歳で誰にも知られず静かに逝去した。

  それまで忘れ去られ、候補にも挙がったことのない名前が、急にスポットを浴び、

  2014年に突如49票の支持を得た。翌2015年の野球殿堂入り選考で、競技者「エキス

  パート表彰候補」19選手の中で、トップ投票66票を得たが、有効投票の75%(81票)に

  達せず、外れてしまった。

   榎本は、2016年もエキスパート表彰候補者13名のトップに名前が挙がっているが、

  既に引退後40余年を経ており、投票権者で榎本の現役時代の姿を見たこともない人

  が増えている現状、2016年1月18日は、榎本喜八選手の野球殿堂入りの最後の機会

  になるであろうから、是非とも、全員、5名連記の一人に榎本喜八と書いて欲しい。

   天才と更なるあくなき探究心が生み出した打撃術で、多くのファンと同時代の選手達

  に鮮烈な印象を与え続けた榎本喜八の名前と像を野球殿堂にどうしても残したい

                                              おわり

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2015年12月 9日 (水)

初冬の二上山

H27129

                  写真上:自宅庭で、15:38分寫す。

○  12月9日(水)、朝帰りした。 昨日午後から、所属する囲碁クラブの

 例会兼忘年会に参加し、夜遅くまで囲碁に興じた。希望者は宿泊して

 朝食のあと、さらに一局打って散会したのだ。会場が山の高台にあって

 大阪平野が一望できる素晴らしい眺望だった。気分良く朝帰りした。

○  朝、自宅から快晴の二上山を見て、初冬の姿を写真に撮ろうと

 チャンスを狙ったが、天気が良すぎて雲がなく、漸く撮れたのが午後3時

 過ぎとなった。すっかり紅葉した二上山と刻々と変化する初冬のうろこ雲

 (巻積雲)に見蕩(みと)れた。

        ピンボケ乍、写真の上でクリックすると画面一杯に拡大します。                                                            

                                       おわり

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