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2016年11月の投稿

2016年11月27日 (日)

「聖の青春」への想い。

○  映画「聖の青春」を11月19日(公開初日)に観た。

   日(27日)まで鑑賞後の感慨を記事にしようとの衝動に駆られないで

  もなかったが、どうしても心が動じなかった。この映画の作為に同意し

  乍、自分の中に塗り重ねられてきた村山聖像への深い想いと調和させ

  る作業が極めて困難だったためである。この映画はノンフィクションでは

  なかった。それが為の諸々の抵抗感を消すことは、最後迄できなかった。


○  
一昨日(25日)の夜、村山聖への想いを共有するメル友Tさんから

  1通のメールが届いていた。Tさんも、物足りなさと抵抗感を拭えない

  ようだった。

   Tさんと遣り取りしたメールの量(コピー)は、過去6年間にA4ファイル

  で2冊に達しており、その殆どが「聖の青春」・故村山聖九段に関わる

  ものであることから、この映画に期待していたTさんの想いは痛い程

  よく解った。


○  
ネガティブなことを羅列する代わりに、写真などで、Tさんや小生の

  この映画への複雑な想いをご想像願いたい。

 

     写真下:映画冒頭のシーン。浦江公園の満開のさくら。中央は八坂神社。Photo  

     写真下:2016.04.06撮影。上の写真と同じ所。毎年、晩秋に訪れるのだが、
     今年は、偶々、満開の万朶の桜に出合えた。中央下の御神燈は八坂神社
     (素戔烏尊神社)。社頭には、寛政年間より鎮座する「子宝延命地蔵尊」あり。 H2846

     写真下:2012.11.18撮影。浦江公園。中央奥に八坂神社、金蘭女子高あり。Ts3r0032

   写真下:映画のシーン。浦江公園のベンチに憩う村山。中央上に御神燈が見える。Photo_2
○  村山は、前田アパートを終生借りていたと言っていい。 その間

  関西将棋会館や近くにある更科食堂、森師匠の住まい大淀ハイツ等

  「聖の青春」に書かれた所謂トライアングルを毎日のように歩き続けた。

   春には万朶のさくらが咲き競い、秋には万葉が色づき地上に散り敷

  いた。村山は、こんなに美しい風景をどのように心に刻んだのか。病い

  と将棋が生活の全てであった村山には、美しい季節の移ろい心に

    映らなかったのではなかろうか。



○  小池重明との巡り合いの不思議さ。

   昭和55年5月24日 真剣師小池重明は、「アマ・プロ対抗リーグ戦」

  で、5人のプロと対局した。2番目の相手が、後に村山聖の師匠となる

  森信雄四段(当時)だった。対局は、終盤に強い小池が、先番167手迄

  で大逆転勝ちをした。尚、4番目には、森の兄弟子である滝誠一郎五段

  (当時)とも対局し終盤に逆転勝利している。(対プロ:4勝1敗)


   昭和57年7月、 村山聖は、上京して全国中学生将棋名人戦に出場

  した。ベスト8で敗退したので、帰途新幹線までの余裕時間を利用して

  西日暮里の将棋センターで将棋を指した。村山は、対局する相手に悉く

  勝ち、帰り支度をしているところに店に入ってきたのが真剣師小池重明

  (昭和55、56年連続アマ名人位獲得)だった。

Photo 村山は、将棋月刊誌を通じ

て、アマ名人小池重明のこと

を知っていた。席主から話を

聞いた小池は「僕、強いんだ

なあ」と褒め、一局指すこと

なった。戦いは手に汗握る

熱戦となり、長い戦いを制し

たのは中学生の村山だった。

  先程まで鬼のような形相だった小池は、にこやかに「僕、強いなあ」

  「がんばれよ」と村山をやさしく励ました。

   広島へ向かう新幹線の中で、村山は、「僕、強いなあ」という屈託

  のない小池の笑顔が脳裡をよぎって一時も離れなかった。

   村山にとって小池に出遭ったことは、運命的な出来事であった。大阪

  の奨励会に入り、プロになりたいという思いが募った。


   2ヶ月後の9月、大阪の森信雄四段に会い弟子入りが叶った。森に

  村山の弟子入りを紹介したのは、森の兄弟子・滝誠一郎五段だった。

   もし、あの時、店に真剣師小池重明が来るのが1分間遅く、村山との

  出遭いがなかったら、森への弟子入りもなかったかも知れない。


   小池には不可思議な魅力があった。人間の不純性と純粋性を兼ね

  合わせ持っていた。“新宿の殺し屋”“プロキラー”と恐れられた小池の

  持つ将棋への純粋性が、村山の全人格的純粋性に共鳴し、村山の

  つ将棋へ情熱を滾らせ、切実な行動に結びつけていったものと思わ

  ざるを得ない。真剣師小池重明との不思議な巡り合いは、村山の将棋

  人生の行方に方向を与える大きな力となった。


   小池は、中学生村山と激戦する2年前に、森信雄四段と対戦していた

  (如上)。プロとアマが対戦する機会は、そう多くない。森四段(プロ)は

  関西所属なので、小池(アマ)と対局する機会など稀有のことだ。

   世の中には不思議なことが起こるものだ。


   村山とこの二人との巡り合いが、村山聖という“希代の将棋指し”の

  誕生に大きく係わったことは間違いない。もし、村山が真剣師小池に

  巡り合わなかったら、大阪行きの決断が遅れ、別の師匠のところに

  入門していたかも知れない。そして、森師匠に巡り合えていなかったら

  没後18年経ってもこんなに多くの人々の心に残る「聖の青春」は存在

  し得なかったであろう。


                                        おわり

         羽生さんに首肯しかねる科白を言わせるフィクションに興ざめ。

 

 

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