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2017年3月16日 (木)

村山将棋は生きていた! 

○  昨日(3月15日)、第66期王将戦第6局(郷田真隆王将vs挑戦者

 久保利明九段)は、挑戦者の久保利明九段が勝ち、対戦成績4勝2敗で

 6期振り通算3期目の王将位を獲得した

○  久保九段はこれまで王将位のほか、棋王位を3期獲得するなど、戦

 歴は赫々たるものがある。小学6年で奨励会に入った久保少年を可愛が

 った村山さんは、泉下でさぞかし喜んでいることだろう。

○  村山さんも遠い昔、王将のタイトルに挑戦したことがあった。平成5年

 1~2月の第42期王将戦だった。当時六段だった村山さんにとって、7大

 タイトルへの初挑戦だった。谷川王将の厚い壁にはね返されたが、遠か

 った名人への道程(みちのり)を測定できたことが大きな自信となった。

     写真下:第42期王将戦第4局 谷川王将戦Photo_2

○  村山と久保との出会い

   久保は’86年(小学6年)秋、奨励会6級に入ったが、右も左も判らぬ

 久保に親切に声をかけてくれたのが当時17歳で四段に昇段が決定して

 いた村山だった。毎日将棋会館に通うようになった久保に村山はいつ

 でも将棋を教えてくれた。毎日、毎日、6、7番以上指してもらった。村山

 はやがて7段(B級1)に昇段し、久保も念願の奨励会を卒業し四段(プロ

 入り)となった。それでも二人は将棋を指す。一体、何千局指したのだろう

 か。

○  久保は云う。「自分の将棋の半分以上は村山将棋です。村山さん

 の将棋が血となり肉となって今でも自分の中に流れている」と・・・・。

             写真下:第59期王将戦第3局(2010.2.11)の久保八段。Photo_5

○  村山は久保に対してだけでなく、来る者を拒まず、多くの奨励会会員

 に将棋を教えた。関西在住の時は云うに及ばず、東京に行ってからも

 奨励会員と将棋を指した。村山は多くの少年達に将棋の技術だけでなく、

 自分の将棋に打ちこむ懸命さ、将棋観、直観力など全てのものを、駒と

 将棋盤(対局)を通じて身につけて欲しいと切実に思っていたのだろう。

○  久保は再び言う。「村山将棋は、指し手となって、未だにこの将棋

 世界に生きている」のだと・・・。

                                     おわり 

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