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2017年11月の投稿

2017年11月 7日 (火)

東大寺 東塔(七重の塔)再建の夢。

○ 平成29年11月6日、正倉院展を観賞に奈良へ行った。客足の減る
 午後4時過ぎに会場(奈良国立博物館)へ入る迄、1時間ほど
 余裕があったので、散策がてら、東大寺の東塔史跡や相輪
 レプリカを観に行った。

         大仏殿周辺案内図 (東塔跡は、右下隅の緑色で表示した所、
                       相輪レプリカは、東塔跡の左斜め上)
                     案内図の上で、クリックすると、拡大図になります。

Photo_2

○ 平安時代の記録によると、東大寺には8世紀半ばに100m級

 の巨大な東塔と西塔が建てられた。その後、平安中期に西塔を

 焼失。1180年には平重衡による南都焼き打ちで東塔も焼失。

 東塔は鎌倉時代に再建されたが、1362年に落雷で焼失し基壇

 の跡だけが残って現在に至った。

     ◎奈良時代の東大寺の復元模型(東大寺蔵)

Photo_3

○ 現在の大仏殿(模型の中央)の高さが約46mだから、その
 倍前後の高い塔が両脇に建っていたのだ。実(まこと)に、想像
 を超える風景ではある。


○ 既に、東塔跡の発掘調査が進み、塔の土台(基壇)の規模を
 確認し、1階の柱の間隔や、塔に入る石段の位置が判明し、建
 物の実像が解明されてきた。昨年には塔の瓦が出土したりして
 次第に三度目の再建期待が高まってきている。
 
             写真下:東塔跡(2015年の調査)

H27_2

             
             写真下: 2017年11.06現在の東塔跡地
                   略、調査が終わり埋戻し中。

Photo_4

○ 戦後、東塔(七重の塔)を復活させたのが1970年(昭和45年)
 の大阪万博に出展した古河グループ。パビリオンに高さ86mの
 レプリカを建てた。実物と同様、頂には金属製の飾りの相輪
 (23m)を掲げた。塔は万博終了後に解体。相輪だけは、東大
 に寄贈され、大仏殿の東南回廊脇に立派な台座を設え、今も燦
 然と輝き、大仏殿を見つめている。(古河グループが昨年、洋金
 粉の吹付けを行ない改装した。)

       大阪万博に於ける古河グループのパビリオン(写真中央)

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      写真上: 寄贈されたレプリカの相輪。2017年11.06撮影。


      写真下: 相輪の台座脇の「相輪由緒書き」案内金属板。
           写真の上で、クリックすると拡大します。

Photo_7

○ 「相輪由緒書き」の文章末尾は、「何時の日か後世に遺すべき
 優れた七重塔が大地に湧出する日を宿願とする」と結ばれている。

○ 東塔の再建の機運は熟しつつあるが、こんな大伽藍を創建時
 と同じ高さ100mの木造七重の塔として建築可能なものか。

○ 自然災害に抗すべくもない現状から見れば、不可能だろう。
 大地震や台風災害にも耐えられる建築技術、材料、工法を加える
 必要があろう。

○ 遠い将来には、西塔の再建も成し遂げ、金堂(大仏殿)を中心と
 した、天平文化の昇華した東大寺一大伽藍が完成することを夢と
 したい。
                                  おわり

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