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  • 650 NHK杯 最後の雄姿。
     村山聖について、彼の師匠森信雄七段は後年 彼について こう語った。「私が村山聖を好きなのは、将棋にひたむきだったことと、病気のことも含めて一切グチを言わなかったことである。無念さや切なさ、遣り切れなさ、口惜しさ..その思いをすべて黙って将棋にぶっつけていたような気がする。」    聖は幼時より腎臓に重い疾患を持っており、生きること自体が闘いであった。いつまで生きられるかという思いを心の片隅に置き、名人を目指して指す彼の将棋は その必死さ において尋常なものではなかった。
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  • 050 地酒「本因坊秀策」
    碁聖 本因坊秀策の生誕地を訪ねて  アルバム(表紙)      上の写真は、村上水軍城
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2018年7月の投稿

2018年7月30日 (月)

故村山聖九段の写真 ⑩ (七段時代)


○ ’93年3月12日、第51期順位戦 9勝1敗で
B級1組へ昇級。
  七段昇段へ。(23歳)

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写真左:鈴木輝彦七段との最終戦。

写真上:勝って機嫌よく検討戦を
     している村山さん。

写真下:’93年4月、昇級者への
免状授与式。(将棋世界8月号より)

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○ ’93年4月、第20回将棋大賞・敢闘賞を受賞。

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                写真上2枚:将棋世界の記事より。

  王将戦挑戦の実績を評価され、前年度の敢闘賞が決まった。


○ ’94年1月12日、森信雄師匠結婚披露宴。
 

  写真下:ユーモアたっぷりの祝辞を述べる村山さん。満場 大爆笑。
       右へ・媒酌人 作家の黒川博行氏、新郎 森信雄師匠、新婦 恵美子さん。  

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○ ’95年1月17日、阪神淡路大震災起こる。

  
神戸の惨状や、弟弟子の圧死に精神的ダメージ大きく、
 翌日から住友病院に入院。翌々日には
A級昇級を目指す順位戦
 対局に強行出場。
1月31日には強行退院し 順位戦対局に出場。

 
  大震災への義捐金募集には、多額を義捐する。

                          つづく。


2018年7月24日 (火)

故村山聖九段の写真 ⑨ (六段昇段 ・ 王将戦 初挑戦)

○ ’91年10月、六段昇段。(22歳)

○ ’92年3月10日、第50期順位戦最終局を勝ち、10戦全勝。
 B級2組に昇級。(体調の不安定もあって停滞、昇級に4年かかった。)


    写真下:’92年3月11日於:大阪城公園 撮影者 森信雄師匠。

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  いつもは逃げ回る写真嫌いの村山さんも、この日は上機嫌でカメラに
 向き合った。長い停滞を乗り越えた喜びと自信が画面に溢れている。
 真っ直ぐ天に伸びる梅の木々の新枝も、村山さんの目線を指している
 かの
ようだ。



○ ’92年12月28日。第42期王将戦リーグは、米長・ 羽生・村山の
 三者プレーオフで挑戦権を争った。

  第1戦で羽生を破った村山は、この日米長をも下し、谷川王将への
 タイトル初挑戦を決めた




○ 王将戦第1局
(’93.1.13~14 於:静岡県・伊東温泉)
 写真下:池の鯉を眺める二人。       写真下:背広姿の村山挑戦者。

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          写真下:棋神ー中野英伴写真集より(2枚)

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写真左:終局後の感想戦。
 第1局は、最後の最後迄優劣不明
の大激戦となったが、最後は147手・
指運で谷川王将が制した。


○ 第2局は、三重県・湯の山温泉
 で行なわれ、94手で谷川王将が
 が勝った。



○ 王将戦 第3局
(’93.2.9~10 於:滋賀県・彦根プリンスホテル)

写真下:対戦前の二人 。村山さんは、森師匠に誂えて貰った紋付羽織袴姿。 

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写真下:100畳以上もある和室で、一般公開対局として行われた。写真は第2日目

      のもので、70人を超えるファンが緊張感を共にしている。

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写真下:村山挑戦者の優勢で進んだ最終盤、異変が起った。村山挑戦者の
     1時間を超える大長考。頬が紅潮、苦しそうな村山。涼やかな谷川。

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写真上下:将棋世界(H5年4月号)グラビアより。上の写真撮影は何れも弦巻勝氏

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○ 王将戦 第4局。(’93.2.17~18 於:山口県・大島温泉)
 
                       写真下(3枚共):撮影者 故 中野英伴氏

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 第1日目を封じる村山さん。           第2日目、盤面を見入る村山さん。

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写真左:終局後の感想戦。



○ 村山さんにとって、
 1勝も挙げられない
 儘、王将戦は終った。




○ しかし、このタイトル戦を通じ、村山さんは大きな自信を得た
 ことも事実だった。名人というタイトルを取るための現状との
 距離感がはっきり把握できたことである。


  名人へは、もう一歩だ
と呟いた。


                         
 つづく


  



 

 


 


 

2018年7月22日 (日)

故村山聖九段の写真 ⑧ (前田アパート その2 と 五段昇段)


○ 前田アパートの部屋内を覗いた人は5指に満たない
って本当?

         
写真下:撮影者 故 炬口勝弘氏( '87.6.13写す)
          (写真の上でクリックすると、画面一杯に拡がります。)

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 ≪当時の炬口氏談≫  窓側を除く三方の壁面に、びっしりと
 漫画が
積み重ねられていて、足の踏み場もない。床には音楽
 テープが散乱し、万年床の上には足つきの粗末な
将棋盤が置
 かれていた。

 駒も乗っていたが、その上にハサミやヤカンが置かれている。

 誰でも皆、一目見ただけで逃げ出す。テレビも電話もない。
 新聞も取っていない。
今どき珍しい仙人のような生活振りで
 ある。まさに聖(ひじり)だと..。

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写真左:

○ 村山さんが、珍しく背広
 を着ている。万年床を捲り
 畳が見えている。

  今日は雑誌社の企画で、
 新四段の村山さん宅?を
 米長永世棋聖が訪れて
 いるのだ。

  左手の前には、彼が
 どこへ行くにも鞄替わり
 に持参する大きな紙袋
 が置かれている。






○ ’88年3月、第46期順位戦 9勝1敗で、C級1組に昇級。
 五段昇段。(18歳)

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  写真上:左より、森師匠、矢倉級位者、村山五段、
            井上慶太五段(何れも当時)



写真下:第12回若獅子戦準優勝。     写真下:NHK杯中原棋聖戦の感想戦
(’89.9.6) 対羽生戦           (’89.11.27)

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写真下:’90年1月、撮影者 故 池崎和記氏

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写真上:’90年1月、関西将棋会館前で、
撮影者 弦巻勝氏(近代将棋’90年3月号)



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写真左:撮影者 上の写真と同じ。

弦巻氏は、

「麻雀した時、村山先生が勝って
いた時は“体調が悪いから帰らない
と...と言っていたのに、その後、負け
始めると、一向に止めない。結局、
朝まで打って、それから飲んで帰り
ました。」と近代将棋紙上で述べて
いる。

将棋は云うに及ばず、勝負事に
おいては、勝つことに全力を盡す
村山さんの面目躍如たるところが
表れている。










○ ’88~’91年の五段時代は、頭髪や髭を伸ばして
  いることが判る。


               写真下:撮影者 弦巻勝氏             

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  高段者の域に近づくに従い、相応しい雰囲気と貫禄が

 出てきた。



○ ’90年10.1 第13回若獅子戦優勝。(vs佐藤康光五段)


                                                                    つづく。

2018年7月20日 (金)

故村山聖九段の写真 ⑦ (前田アパート と 奨励会卒業・四段へ)

○ ’84年4月(中学2年)、村山さんは中学生として
 生活のリズムを正す為、広島の実家へ帰り、府中中学へ
 転校。月2回の奨励会(対局)へは、新幹線で大阪へ通った。

○ ’85年3月、府中中学校卒業。(奨励会1級)
   同 年 8月、初段に昇段。


○ この年、大阪の将棋会館近くの“前田アパート”に一部屋
 を借り、一人暮らしを始めた。

  写真下:浦江公園西側にある(写真中央の建物)1階三谷工業の左斜め上の窓の部屋。
      (写真の上で、クリックすると、画面一杯に拡がります。)happy01

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            写真下:前田アパート・部屋内の様子。撮影者 故 炬口勝弘氏。

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    テレビも電話もない。文明の利器といえば、
    冷蔵庫・扇風機・ラジカセだけ。あとは漫画
    が3000冊。

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写真上:前田アパート入口のある路地。


写真上:路地の角に立つ村山さん。(撮影者 故 炬口勝弘氏)

○ ’86年1月、二段に昇段。同年7月、三段昇段。(17歳)


  ’86年11月、四段に昇段、プロ・デビュー。

   
(病気不戦敗が度々あるにも不拘、奨励会在籍

   2年11ヶ月は、谷川、羽生を超えるスピード出世。)

         写真下:同時に四段になった神崎健二四段との記念写真。

              撮影者 故 池崎和記氏

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写真下: ’87.6.19初の上京対局(西村八段戦) 撮影者 故 炬口勝弘氏

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写真上:対局中の表情。

生命を賭けているように、

鋭い目と引き締まった口許。


○ 東京での対局が多くなり、棋士の控室「桂の間」では、東の羽生、西の村山 との評判が高まった。

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                                   つづく

2018年7月13日 (金)

故村山聖九段の写真 ⑥ (森信雄師匠との出会いー奨励会入り)

〇 村山さんのプロ入り希望には時期尚早との反対意見も
 あったが、村山さんは「谷川を倒すには、今行くしかない」
 との強い信念で、自らの進むべき道を切り拓いていった。

〇 ’82年9月、中1(13歳)の村山さんは、大阪の将棋会館
 で師匠となる森信雄四段(当時)と対面した。

〇 村山さんにとっても、師匠となる森さんにとっても運命的
 な出合いとなった。森さんは、一目見てこの子を弟子にする
 ことにした。 森信雄師匠 30歳、一番弟子 村山聖 13歳。

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写真左:森信雄四段。
(’78年5月将棋世界より)

写真右:第11期新人王
タイトル獲得の喜び。
(将棋世界’81年1月号)

この写真、本当にモリノブ
さんなのかな?若い頃から
散髪・髭剃り・洗面・歯磨き・入浴など滅多にしない人だと聞いていたが、同一人とは、とても思えない。


〇 奨励会入りは、将棋界の煩瑣な事情があって1年遅れた
 が、’83年11月 5級で合格(14歳)。
     
写真撮影 弦巻勝氏(以下同じ)

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      写真下:’83.11.3 奨励会研修会(左前が村山5級)

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      写真右下:’83.12 新入会19名記念撮影。
        前列左端が村山聖5級。 中列右から2人目が中井弘恵6級。

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○ 森師匠の住まい 市山ハイツでの共同生活は、1年足らずの
 短い期間だったが、森師匠の人生観、生活姿勢などから多大な
 影響を受けた。又、師匠を取り巻く多くの人々共、心豊かな人間
 関係を築いた。

                            つづく。

2018年7月11日 (水)

故村山聖九段の写真 ⑤ (プロへの夢 その2)

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〇 ’82年1月、少年時代5年間を過ごした国立原療養所を退所。療養
 生活の過半をベッドの上での将棋の勉強で過ごし、四段の認定
 を得るまでに到った。

  同年3月、小学校卒業。  
写真下:色々な将棋大会で優勝。

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〇 ’82年4月、府中中学校入学。同7月(中1、13歳)、東京に
 於ける中学生名人戦(全国大会)に参加し、ベスト8迄勝ち進み
 敗退。

〇 帰途、東京・西日暮里将棋センターで、偶然、アマ名人戦を
 2連覇している小池重明に出遭い、対局して勝利した。対局後、
 トップ・アマのオーラを放つ小池名人から 「僕、強いなあ」
 「がんばれよ」と優しく励まされ、意気高揚して故郷・広島へ
 帰っていった。


 写真下:’80,81年アマ名人連覇の小池重明氏。撮影者弦巻勝氏

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〇 愈々、プロ入りを目指す具体的な道を模索する時が来たよう
 だ。昨年、トップ・プロの森安九段との指導碁に勝ち、今度は、
 小池アマ名人に頑張るよう励まされた。

  村山さんのプロへの思いは募り、「大阪へ行って奨励会に入り、
 プロになる。」と両親に訴えた。

                           つづく。

2018年7月 8日 (日)

故村山聖九段の写真 ④ (プロへの夢 その1)


〇 村山さんの国立原療養学校での生活は、誠に充実して

 いただろうと
思う。自由時間の殆どは将棋の勉強に充てられ、

 貪るように
将棋にのめり込んでいった。やがて、将棋には、勉強

 すればするほど
限りなく広がりのある世界があることを知る。

 名人という最高の地位のあることも
知る。名人になりたい。

 夢が広がる。



〇 ’794年生(11歳)の時、将棋教室で四段の認定を受ける。

          ≪腕まくりして対局中の可愛らしい村山さん≫

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〇 ’80年、5年生(11歳)で、第14回中国こども名人戦で優勝。

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〇 ’81年秋(6年生) 広島そごうでのイベントで、初めてプロ棋士

 森安九段と飛車落ちで指導対局を受け、勝利。

              ≪森安九段との記念撮影≫

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  この対局で、棋聖位をもつプロのトップ棋士に勝利したことが

 非常な自信となり、プロ入りを目指す気持ちが急速に膨らんで

 きたようだ。

                                  つづく。

2018年7月 1日 (日)

故村山聖九段の写真 ③ (発病 と 将棋との出会い)

○ 村山さんは、3歳になった初夏高熱に見舞われて以来、屡、発熱を

 繰り返した。2年後、5歳になった初夏、面相の変わった村山さんを診

 て、広島市民病院は病名「腎ネフローゼ」を告げた。

  両親の苦渋と悔悟は如何許りだったか。直ちに入院することと

 なる。(5ヶ月間)


             ≪入院前後の写真≫

写真下: 幼時、眠る前に母が読み聞かせる哀しい童話に、母と一緒になって
      泣き出してしまう心優しい子だった。

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○ 6歳になった’75年8月、再び入院(4ヶ月)。初秋、父が将棋盤と

 と駒を買ってきてくれて、父より将棋というゲームを教わる。


            ≪ベッドの上で父と将棋をする≫ 

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○ ’76年4月、府中小学校入学。5月再々入院(院内学級へ転校)。

     ≪初めて母から古本屋で買ってきてもらった将棋の本≫
 
    スピード上達法「将棋は歩から」 八段加藤治郎著(初刊はS23年

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○ ’77年6月、国立 原療養学校(現・廿日市市)へ転校。(小学2年)

 ’77年(S52年) 秋、初めて月刊誌「将棋世界」を読み始める。


          ≪「将棋世界」S52.9~12月号≫

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         ≪’78年(S53年)5月16日の 日記≫ 小学3年生

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       毎日、将棋の勉強を6~7時間続けていることが判る。


                     つづく

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