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2018年7月13日 (金)

故村山聖九段の写真 ⑥ (森信雄師匠との出会いー奨励会入り)

〇 村山さんのプロ入り希望には時期尚早との反対意見も
 あったが、村山さんは「谷川を倒すには、今行くしかない」
 との強い信念で、自らの進むべき道を切り拓いていった。

〇 ’82年9月、中1(13歳)の村山さんは、大阪の将棋会館
 で師匠となる森信雄四段(当時)と対面した。

〇 村山さんにとっても、師匠となる森さんにとっても運命的
 な出合いとなった。森さんは、一目見てこの子を弟子にする
 ことにした。 森信雄師匠 30歳、一番弟子 村山聖 13歳。

78_3

11

写真左:森信雄四段。
(’78年5月将棋世界より)

写真右:第11期新人王
タイトル獲得の喜び。
(将棋世界’81年1月号)

この写真、本当にモリノブ
さんなのかな?若い頃から
散髪・髭剃り・洗面・歯磨き・入浴など滅多にしない人だと聞いていたが、同一人とは、とても思えない。


〇 奨励会入りは、将棋界の煩瑣な事情があって1年遅れた
 が、’83年11月 5級で合格(14歳)。
     
写真撮影 弦巻勝氏(以下同じ)

S58121_14_2
      写真下:’83.11.3 奨励会研修会(左前が村山5級)

11319_2_2

      写真右下:’83.12 新入会19名記念撮影。
        前列左端が村山聖5級。 中列右から2人目が中井弘恵6級。

8312_3_2

○ 森師匠の住まい 市山ハイツでの共同生活は、1年足らずの
 短い期間だったが、森師匠の人生観、生活姿勢などから多大な
 影響を受けた。又、師匠を取り巻く多くの人々共、心豊かな人間
 関係を築いた。

                            つづく。

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