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2018年7月 1日 (日)

故村山聖九段の写真 ③ (発病 と 将棋との出会い)

○ 村山さんは、3歳になった初夏高熱に見舞われて以来、屡、発熱を

 繰り返した。2年後、5歳になった初夏、面相の変わった村山さんを診

 て、広島市民病院は病名「腎ネフローゼ」を告げた。

  両親の苦渋と悔悟は如何許りだったか。直ちに入院することと

 なる。(5ヶ月間)


             ≪入院前後の写真≫

写真下: 幼時、眠る前に母が読み聞かせる哀しい童話に、母と一緒になって
      泣き出してしまう心優しい子だった。

Photo

Photo_2

Photo_3


○ 6歳になった’75年8月、再び入院(4ヶ月)。初秋、父が将棋盤と

 と駒を買ってきてくれて、父より将棋というゲームを教わる。


            ≪ベッドの上で父と将棋をする≫ 

756



○ ’76年4月、府中小学校入学。5月再々入院(院内学級へ転校)。

     ≪初めて母から古本屋で買ってきてもらった将棋の本≫
 
    スピード上達法「将棋は歩から」 八段加藤治郎著(初刊はS23年

S24

 

○ ’77年6月、国立 原療養学校(現・廿日市市)へ転校。(小学2年)

 ’77年(S52年) 秋、初めて月刊誌「将棋世界」を読み始める。


          ≪「将棋世界」S52.9~12月号≫

S52912

 
         ≪’78年(S53年)5月16日の 日記≫ 小学3年生

785163

       毎日、将棋の勉強を6~7時間続けていることが判る。


                     つづく

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