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2018年7月20日 (金)

故村山聖九段の写真 ⑦ (前田アパート と 奨励会卒業・四段へ)

○ ’84年4月(中学2年)、村山さんは中学生として
 生活のリズムを正す為、広島の実家へ帰り、府中中学へ
 転校。月2回の奨励会(対局)へは、新幹線で大阪へ通った。

○ ’85年3月、府中中学校卒業。(奨励会1級)
   同 年 8月、初段に昇段。


○ この年、大阪の将棋会館近くの“前田アパート”に一部屋
 を借り、一人暮らしを始めた。

  写真下:浦江公園西側にある(写真中央の建物)1階三谷工業の左斜め上の窓の部屋。
      (写真の上で、クリックすると、画面一杯に拡がります。)happy01

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            写真下:前田アパート・部屋内の様子。撮影者 故 炬口勝弘氏。

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    テレビも電話もない。文明の利器といえば、
    冷蔵庫・扇風機・ラジカセだけ。あとは漫画
    が3000冊。

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20160406_009_3

写真上:前田アパート入口のある路地。


写真上:路地の角に立つ村山さん。(撮影者 故 炬口勝弘氏)

○ ’86年1月、二段に昇段。同年7月、三段昇段。(17歳)


  ’86年11月、四段に昇段、プロ・デビュー。

   
(病気不戦敗が度々あるにも不拘、奨励会在籍

   2年11ヶ月は、谷川、羽生を超えるスピード出世。)

         写真下:同時に四段になった神崎健二四段との記念写真。

              撮影者 故 池崎和記氏

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写真下: ’87.6.19初の上京対局(西村八段戦) 撮影者 故 炬口勝弘氏

87619_2

876

写真上:対局中の表情。

生命を賭けているように、

鋭い目と引き締まった口許。


○ 東京での対局が多くなり、棋士の控室「桂の間」では、東の羽生、西の村山 との評判が高まった。

878

                                   つづく

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