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2018年8月 2日 (木)

故村山聖九段の写真 ⑫ (A級復帰 )

○ ’97年4月18日、A級復帰を目指して広島大付属病院に
              入院。排尿手術をする。

○ 同 年6月16日、棋戦復帰のため、膀胱と前立腺摘出
              手術をする。(8時間半かかる)

○ 同 年7月14日、順位戦(対丸山七段戦)に、看護婦付き
              で出場。

○ 同 年8月 1日、広大病院を退院。
              7日以降、大阪の前田アパートを本拠地
              として棋戦に参戦。



写真下:’97.9.20 弟弟子 増田裕司新4段昇段祝賀会で。

97920

Kimg0876
写真上:広島・呉での老人会多面指し。

97nhkvs

写真左:’97年度NHK杯トーナメント

(郷田六段vs丸山六段戦)の解説者

として出演。

聞き手は、山田久美女流二段。




   棋戦の合間には、上のように西に東にとハードな活動をこなした。

  月に1度は、定期健診で広島へ帰った。

Photo

                  写真上:撮影者 故 炬口勝弘氏



○ 棋戦は、東京と大阪で半々あり、毎月4~6局をこなした。

 何としても、A級に昇り、名人を目指したい。村山さんは必死だった。


○ ’98年2月13日、順位戦第11回戦で田丸昇八段に勝ち、A級

  復帰が決まった。大手術の困難を乗り越え、名人への道を一歩

  踏み出した。


                              つづく。




 




              

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