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文化・芸術

2017年1月24日 (火)

キトラ古墳壁画の第2回公開。

○  1月23日、奈良県明日香村の特別史跡キトラ古墳壁画の第2回特別

 公開に参加した。昨年9、10月の壁画「朱雀」「白虎」「天文図」の公開に

 続き、今回は北壁の「玄武」の公開だった

   同時期に描かれた高松塚古墳の玄武は、亀と蛇の頭部が削られ図像

 が判然としないが、キトラ古墳の玄武(写真下)は、略、完全な姿で残って

 いる。

     写真下:キトラ古墳壁画体験館 四神の館内の壁に映写された玄武。Photo

     写真下:北壁の玄武部分拡大。(四神の館展示を撮影し拡大)Photo_2

     写真下:公開展示室に展示された北壁の実物(撮影不可の為、パンフより)Photo_3

     写真下:北壁図像配置図(上の写真では判然としないが、四神の下には
            3体ずつ、頭は獣、体は人間の姿をした十二支が描かれている。損傷が
      激しく不鮮明で実物を見ても肉眼では不明。) (パンフより)

Photo_4
○  石室内からは、木棺飾り金具、刀装具、玉類(展示品)の他に、被葬 

  者の人骨と歯牙も出土し、分析で50~60歳代の男性1体分のものと 

  分かっている。

○  キトラ古墳は、7世紀末期~8世紀初期に造られたもので、中国・

  朝鮮の文化的影響を受けた貴重な遺産である。33年前に発見されて

  からの基本動作・対応が甘く、石室内の彩色壁画の劣化変質を来たし

  た。(高松塚なども同じ) 保存完了までに時間がかかり過ぎた憾みは

  あるが、今後の初動・判断の大切さを教えられた貴重な経験となった。

 

<参考> 第1回公開の 「朱雀」、「白虎」。

「朱雀」Photo_10

     南壁の朱雀(写真右上は盗掘時の侵入取壊し穴。辛うじて朱雀は残った)Photo_11

Photo_12

「白虎」

Photo_13

     西壁の白虎(雨水などの侵入で胴体・足などが見づらい)Photo_14

Photo_15

「青龍」 東壁の青龍は保存状態が悪く、公開されていない。
Photo

     写真下:東壁 青龍の下にある3体の十二支(寅・卯・辰)の中の寅の線刻。Photo_2

                                            おわり

2017年1月21日 (土)

飛ぶ鳥を落とす勢いは誰? -苦々しい日本語のみだれ-その2

○  1月20日民進党・両院議員総会での蓮舫代表の挨拶(終りに近い箇

 所)。「・・・安倍内閣は支持率が高いです。・・・でも私達は・・・国民に寄り

 添って、今の政権が見えていない、聞こえていない声への対案を持ってい

 る。だからどうか今年1年、皆さん!飛ぶ鳥を落とす勢いで、しっかりと戦

 っていきたい。その先頭に立って発信をしていく・・・」と決意を述べた。


○  “飛ぶ鳥を落とす勢い”という表現方法は現在の状況を説明する場

 に使用するのであって、上掲の如く将来あるべき(ありたい)状況を表現

 るのに使用するのは誤用である。・・安倍内閣は飛ぶ鳥を落とす勢いです

 ・・と現状(権勢、人気など)を表現する場合に使用すべきなのである。


○  民進党という内輪の会合といえども、TVニュースやネットなどで公表

 される公人の発言(用語)は慎重でなければならない。正しく美しい日本

 語を話せる日本人は、必ず、知性と品性の高潔さを内包しているからで

 ある。 過日、国会で、某党の質問者が「・・・耳ざわりの良い・・・」と発言

 していたが、誠に“耳障り”な発言であった。

                                          おわり  

 

2016年10月26日 (水)

正倉院展を観る。

○  本日(10月26日)、正倉院展を鑑賞した。奈良国立博物館(会場)の

 ある奈良公園周辺は、どこへ行っても外国語が飛び交い、国際色豊か

 だった。会場内でも外国人の姿が目立った。

  出陳宝物は64件(初出陳9件)で、今年は、入場者が十重二十重に

 取り巻くような人気のある目玉出陳品はなかった。

〇  今年は、光明皇后が756年に聖武天皇の遺愛品を献納されてから

 1260年、天皇が身近に置かれていた品々も多く、それが時の流れを感じ

 させずに瑞々しく迫ってくる。また、工芸的に優れた宝物も驚きだ。それら

 の中から宮廷生活の匂いの感じられる2点だけを紹介する。

その1. 漆胡瓶(しっこへい)

H281026                 (高さ41.3cm 胴径18.9cm)                                    聖武天皇が身近で利用されていた水差しか?ペルシャ(イラン)風のデザインで、

  器の文様は、黒漆を塗った上に銀の薄板で鹿や草花を表わしている。制作当初

  は、銀が白く輝く美しいものであったろう。中国・唐で制作されたとみられる。

その2. 牙櫛(げのくし)

H281026_2                   (長さ10.2cm)

  高価な板状の象牙(ぞうげ)を使った櫛。124本の細かい歯を作るには高等技術が

  必要で、唐から入ってきたものようである。(3本展示中の1本)

  このような宮廷で日常使用される道具が、海を越えて運ばれてきたものであること

  に感動する。それにしても、電動の道具などなかった当時、どんな方法で制作した

  のか、その精巧な技術に舌を巻く。

                                     おわり

2016年9月30日 (金)

キトラ古墳壁画の第1回公開。

○  奈良県明日香村にあるキトラ古墳の石室から剥ぎ取った壁画「朱雀」

 「白虎」「天文図」などの修理が完了したのを機会に、9月24日から10月

 23日までの期間限定で、特別公開された。 本日(9/30)見学してきた。

 (同時に開館した「キトラ古墳壁画体験館 四神の館」(写真下)は、年末

 年始と水曜日を除き、予約不要で無料公開中。)

Photo_7

       以下、写真の上でクリックすると画面一杯に拡がる。

○  第1回特別公開された壁画 「白虎」・「朱雀」・「天文図」 (写真順)

        西壁 白虎   (幅 約42㎝、 高さ 約24㎝)Photo

 西壁上部に描かれている。前脚を前方に突き出し、後脚を前後に開いて踏ん張るような姿をしている。両耳や両肩に長毛を生やし、脚の付け根に蕨手(わらびて)状の赤い電気文を表わすのは、霊獣であることの証。向って右(北側)を向くのは白虎の図像としては珍しく、長い尾を後脚の間に挟む表現も特徴的。(以下、説明はパンフより)

        南壁 朱雀   (残存幅 約39㎝、 高さ 約15㎝)Photo_2

 南壁上部に鮮やかな朱色で描かれている。両翼を広げ、長い尾羽を後方に伸ばし、右脚を後ろに蹴り出したような動きのある姿が特徴的。南壁には盗掘の際に大きな穴が開けられたが、僅かに位置が外れたため、図像の損壊は免れた。大画面に単独で描かれたものとしては国内現存最古の作例であり、極めて高い価値がある。 

        天井 天文図   (金箔で表された星は直径6~9㎜)Photo_3

 天井に描かれた天文図(キトラ天文図)は、天の北極を中心にした円形の星座。金箔と朱線で中国の星座が表されており、現状で74星座確認できる。天文図の東には金箔で太陽が、西には天帝が治める世界が広がっていると考えられており、キトラ天文図も、その天の世界観に則り描かれている。
 キトラ天文図の大きな特徴は朱線で描かれた4つの大円。3つの同心円は、内側から内規、赤道、外規を表し、もう1つの北西にずれた円は黄道を示す。この4つの円を備えることから、本格的な中国式星図としては世界最古の遺例といえる。

○  石室内から出土した、木棺の飾金具、刀装具、玉類などやその

 復元品の展示もあった。

Photo_2

Photo_3

○  キトラ古墳壁画 体験館 「四神の館」(予約不要)の展示概要。

   原寸大の石室レプリカや壁画発見から保存までの道程を纏めた

 パネル展示、古代飛鳥の暮らしがわかるジオラマ、映画シアターなどが

 ある。

        原寸大の石室レプリカ (奥が玄武の見える北壁)Photo_4

        石室の内部を北東側床下外より見た図絵Photo_5

        石室内部の展開図Photo_6

   石室内部に壁画が描かれたのは、そこに葬られた人物の魂を鎮める

 ため。壁には四神像、十二支像が描かれ、天井には天文図が描かれて

 いる。古代中国では天文図、四神図、十二支の人形(俑)を置いて、棺

 が模擬世界の中心に置かれていることを表現した。

  キトラ古墳の場合、人形(俑)としてではなく、壁画として描き、葬られた

 人の魂を邪悪なものから避ける守護霊としたと考えられている。

        古代人の暮らしぶり ジオラマPhoto_8

○  国営飛鳥歴史公園キトラ古墳周辺地区も同時に開園した。農作業や

 古代技術に関する様々な体験ができる「五穀の畑・キトラの田んぼ」

 「体験工房」などがある。

○  キトラ古墳周辺の風景

Photo_9 

       キトラ古墳発掘調査時の写真(平成14年)H     

       キトラ古墳展望台からの眺め(北方)Photo_10

       西方の眺望 (大阪府との境に聳える金剛・葛城山系が遠方に霞む)Photo

                                   おわり

 

 

2016年3月 1日 (火)

 -苦々しい 日本語の乱れ-

             2015.10.04 フィリーズ戦の8回、マーリンズ4番手の

             投手としてメジャー初登板したイチロー投手。Photo

○  イチロー、将来は得票率95%超で米殿堂入り?「彼の数字は常軌

    逸してる」

   これは、過日、ある“野球・MLBの総合コラムサイト”を見ていたら、目

 に飛び込んできた記事の見出しで、マーリンズ最古参の番記者の発言を

 訳したものだ。番記者はイチローの安打数や盗塁数が偉大だと言って

 いるのに、日本の訳者は日本語の使い方を誤ったのだ。

  「常軌を逸する」の用法は、悪い性質や状態を表現する場合であって、

 用例 「ーーー振る舞い」のように使用するものだ。                                    

 

○  「生き様(ざま) ・・・ 「死に様」からの連想で使われだした語で、用法は

 “凄まじいまでのーーー”のように、その人の生きる態度(姿勢)を表わす

 肯定的な意味での使用法だ。然し、’90年代以前の辞典には、「死に様

 (ざま)」しか記載されていない。「死に様」を転用した新しい言葉なのだろう

 が、本来、「様(ざま)」とは、「無様(ざま)」、「この様(ざま)」、「様(ざま)みろ」のように

 あまり良くない意味合いを含む言葉なので、恬として恥じず無神経に使用

 するマスコミ・芸能人などの気が知れない。「生き様(ざま)」は使いたくない

 (定着して欲しくない)言葉の一つである。

  

○  「憮然(ぶぜん) ・・・ 「憮然たる面持(おももち)で」の意味を問う調査(H19年

 文化庁)をみると、①腹を立てている様子・・・70.8%、②失望してぼん

 やりしている様子・・・17.1%という結果が出ている。

  本来的には、「憮然」は、失意のさまを表わし、悵然(悲しみ嘆くさま)、

 憫然(憐れむべきさま)に近い意味の言葉なのだ。従って、用例としては、

 「---として溜息ばかり吐(つ)いて」のように使用して欲しいものだ

 

○  「姑息(こそく) ・・・ 用例 「姑息な手段」 ・・・ “その場しのぎの手段で

 ごまかそうとする”など、良くない場面で多用されているため、卑怯、不正

 の意味を強調する誤った使用例が多い。本来、「姑」は、“しばらく”、「息」

 は“休息”の意味だから、「一時の間に合わせ、その場しのぎ」の意味に

 限って使用して欲しいものだ。

                                        弥吉

   

2015年10月27日 (火)

正倉院展を観る。

○  昨日(10月26日)、正倉院展を鑑賞した。本年の出陳宝物は、

 63件(初出陳12件)であった。小生の趣味である囲碁関連の宝物の

 出陳はなかった。

○  宗教心の希薄な小生にとって、目につくのは聖武天皇のご遺愛品

 や工芸的に優れた宝物だった。

 その1.紫檀木画槽琵琶(したんもくがのそうびわ)

                  裏面          表面H271025_2                    裏面の一部拡大Photo_9
   茄子のような形の胴に、4本の弦が張られている。裏面は、紫檀の木や象牙
  などを組み合わせて花の文様を作っている。現代でも通用しそうなモダンな
  デザイン。とても、1260年以上前のものとは思えない。

 

 その2.彫石尺八  彫石横笛(ちょうせきのしゃくはち、よこぶえ)

H271025_3

                      彫石尺八H271025_4
    聖武天皇のご遺愛品。両品とも、蛇紋岩という石から作られている。
   石製なのに、節を表わし竹製に見せかけている。胴はどうして
   刳り貫いたのか。表面の指孔の周りを花びらで飾り、胴には花や鳥を
   彫刻するなど、隅々まで細かな装飾が施されている。
   (写真の上でクリックすると拡大され、当時の職人の技巧がよく解る。)

  その3.紅牙撥鏤尺(こうげばちるのしゃく)

             部 分 (左:表          右:裏)Photo_11   
   象牙を紅色に染めた物差し。撥ね彫りして緑を塗っている。表側は
  唐花文と瑞鳥を交互に描き、裏は雲や蓮華などの他、飛天を表わして
  いる。めでたい文様を集めて理想郷を表現しょうとしたのか。
  長さ:29.7cm 幅:2.3cm

                                     おわり

≪余談≫

○  全国からの観覧客で、例年かなりの時間待ちを要する正倉院展

 だが、今年は若干並んでいるだけで空いていた。(午後4時過ぎ)

○  その代りか、東大寺南大門に通ずる土産物店の連なる通りは、

 外国語が飛び交い、中・韓の観光客でごった返していた。3年前は、

 両国との政情悪化で中・韓人は皆無だったのに。

唐招提寺に憩う

○  平成27年10月26日、正倉院展に行く途(みち)、奈良・西ノ京の

 唐招提寺を訪れた。

Photo

               平成20年、平成の大修理を終えた金堂。H271025

       左:千手観音立像  中央:本尊盧舎那仏坐像、 右:薬師如来立像、Photo_3

             金堂内の仏像の様子Photo_4

             鑑真和上御廟へ行く道から見る 苔の絨緞が美しい。  Photo_8

○  唐招提寺は、唐の高僧・鑑真大和上により759年に創建された。

 当寺には、唐で出家し高僧となった鑑真が苦難を乗り越えて来日し、

 多くの日本人僧に戒律を伝えた後、亡くなるまでの場面を描いた

 「東征伝絵巻」(鎌倉時代作)が奉納されている。絵巻は、全5巻・

 83㍍に及ぶため、劣化を虞れて、これまで公開の機会が少なかった。


○  この度、専用のスキャナーで撮影し、高精細な画像にした
デジタル

 絵巻が完成し、これを機に、大型スクリーンに映し出して(音声説明付)

 一般公開された(11/3迄)。

              デジタルで見る「東征伝絵巻」 公開パンフPhoto_5

              写真下2枚:東征伝絵巻の一部Photo_6

  当時の航海は極めて難しく、五度の失敗を重ね、盲目の身となり、六度目の
  航海で遂に来朝を果した。 写真下:嵐に遭い、浪に翻弄される渡航船。Photo_7

○  鑑真和上(688~763年)は日本からの熱心な招きに応じ、苦節

 10年目の753年12月、六度目の航海でやっと来日を果した。その後

 朝廷から仏教行政の最高指導者“大僧都”に任命されて仏教界の風紀

 の改善などに多大なる貢献をした。

○  五年間、東大寺で過ごした鑑真和上は、大和上の称号を賜ったが

 大僧都を解任され、西ノ京の旧宅地を宛がわれた。鑑真和上は、朝廷に

 体よく利用されたような気がしなくもない。

○  鑑真大和上は、西ノ京の地に戒律の専修道場を創建(のちの

 唐招提寺)。また、社会福祉施設・悲田院を設立し、貧民の救済にも

 取り組んだ。そして来日から10年余、763年5月に異国の私寺で

 永遠の眠りについた。

  数奇な運命に弄ばれながらも、仏教の為に常に前向きに生き、万民に

 慕われた聖者が1250年前 此処に居た。

                                     おわり

2014年10月29日 (水)

-天皇皇后両陛下傘寿記念- 正倉院展を観る。

○ 昨日(10月28日)、正倉院展を鑑賞した。本年の出陳宝物は、

 59件で、両陛下のご長寿を寿ぐような、華やかな宝物が多いようだ。

 囲碁が趣味の小生は、やはり囲碁関連の宝物(2件)に興味を持った。

 その1.桑木阮咸(くわのきげんかん)

  円形の胴を持つ四絃の楽器で、中国製と推定される。阮咸とい名前は、
  「竹林七賢人」の一人で琵琶の名手とされる阮咸に由来するといわれている。
  胴の中央にある模様は、八弁の赤い花を描き、その中に描いた松や竹の下で、
  囲碁を楽しむ3人の高士が描かれている。(写真下)20141029_3

             部分絵:(近赤外線撮影)クリックすると拡大する。20141029_4

 

 その2.緑地錦碁局覆(みどりじにしきのききょくのおおい)

Photo_2
  六弁花を五の目に配し、間に2羽の綬帯を咥えた鳥を表した錦を用い、箱状の
  覆いとしている。

  明治時代に、碁盤を保護するための覆いと推定されたため、この名称がついた。
  本来の用途は不明。平面的な姿でなく、当初から立体的な形状を留めている
  のは貴重である。  (縦48、横66、高23)

 その他1:衲御礼履(のうのごらいり)

20141029_6

   爪先が反り上がって、先端は二つに分かれている。白い厚革を芯材として、
  表面には赤く染めた牛革が、内面には鹿革の白革が用いられている。表面に
  13箇の花形の飾りを取付け、装飾を加えている。内側には、手のこんだ内布と
  底敷きがある。
   この履物は、大仏開眼会(かいげんえ:752年4月9日)で、聖武天皇が
  履かれたものと推測されている。なお、履箱が付属、出品されている。

 

 その他2 :鳥獣花背方鏡(ちょうじゅうかはいのほうきょう)

20141029_005              写真をくりっくすると拡大する。 

   正倉院に納められた多くの鏡の中で唯一の四角い鏡。まず一見して驚く
  のは、白銅の輝きが今でも保持されている見事な鋳造技術である。鳥の羽根
  先の繊細さ、葡萄(ぶどう)の粒、獅子の形や表情・・。白銅の成分から中国・唐
  で作られたもののようだが、現在日本の鋳造技術でも制作は至難のようだ。

○ 正倉院御物を観て感じ入るのは、それが単なる過去の宝物ではなく、

  1250年以上前の天平人の息遣いをもって迫った来ることである。

   今年も、天平時代を身近に感じるひとときを持てて感謝。

                                     おわり

奈良・東大寺境内を散策。

○ 毎年のこと乍、正倉院展鑑賞の前に東大寺境内を散策した。

 まず、何はともあれ、屋根葺き替え工事が終わり、約3年振りに

 その外構が公開された正倉院 正倉へ。               

               平成26年2月9日見学時。(素屋根取り外し前)Photo
               撮影:平成26年10月28日現在。20141028_00220141028_012

○ 写真下は、建物東側の屋根。今回、葺き替えられた瓦の状況が

 くっきりと分かる。20141028_00336              屋根瓦配置図。写真の上でクリックすれば拡大する。

○ 正倉院の南方には、木の間越しに大仏殿が見え、紅葉が美しい。

2014102820141028_015

○  次に、正倉院の西側にある「転害門」 を見に行った。20141028_016

 この門は、平重衡の兵火(1180年)、三好・松永の戦い(1567年)にも焼け残った

寺内でも数少ない建物で、天平時代の伽藍建築を想像できる唯一の遺構とのこと。

              写真下:三間一戸八脚門を支える南西隅角の柱。 20141028_018
   

○ 次は、車で移動して、法華堂(三月堂)の不空羂索観音立像を見に

 行った。昨年12月16日以来だ。来客が少なく、静かに対座できた。

              西日に映える法華堂(上)と二月堂(下)20141028_01920141028_020

                          鐘楼20141028_022

               中門前の鏡池。紅葉が映え、美しい。20141028_025

○ 大仏殿の前に下りてきた。正面から大仏殿を覗くと修学旅行生や、

 外人客で一杯。一時激減した中国人客も戻ってきたようだ。        

20141028_024

              南大門前も観光客でごった返していた。阿形像は工事中。20141028_034
               珍しく 鹿が1頭、吽形像の前にいた。20141028_032

○ 南大門前の土産物店はどこも賑わっていた。大仏饅頭を買った。

  午後4時を過ぎた。そろそろ、奈良国立博物館(正倉院展)へ行こう。

                                       おわり

 

2014年2月10日 (月)

正倉院の屋根葺き替え工事完了現場見学

○ 大正2年以来、約100年ぶりの正倉院正倉屋根葺き替え工事は、平成23年10月から始められたが、平成25年11月に無事終了した。今後、素屋根の解体、周辺復旧を行ない、平成26年11月から正倉院外構公開を再開する予定だ。

○ 宮内庁は、工事開始以来、過去4回工事現場の公開を行なってきた。瓦の葺き替えが終わり、素屋根解体を前に、第5回(最終)の現場公開が2月7日から5日間行われたので、昨日素晴らしく葺き上がった大屋根や建物内部を見学してきた。

○ 正倉院正倉は、南倉、中倉、北倉の3倉(内部は2階建)からなり、屋根は寄棟造瓦葺、北倉と南倉は校倉造り、中倉は板倉造りとなっている。規模は、正面が約33.1m、奥行きが約9.3mである。

               (以下の写真は、一部 宮内庁パンフによる)33

34

                写真下: 素屋根に覆われた正倉院正倉Photo

   ○ 正倉の構造 (写真の上でクリックすると拡大する)35

   ○ 正倉屋根の配置 (写真の上でクリックすると拡大する)36


○ 正倉建物内および葺き替え済み大屋根の写真(見学順)

        10列×4列の礎石の上に直径60cmの丸柱が立ち、高さは約2.5mある。10cm27m

               下:勅封された南倉の入り口扉Photo_2

               下:南倉(校倉造)と中倉(板倉造)の境目。Photo_3

                下:中倉の2階内部(ガラス戸棚が見える)Photo_4

               下:中倉1階内部(右側は北倉=校倉造=との境目)Photo_5

               下:北倉の内部(1階と2階)Photo_6

               下:北東隅の校倉造壁。Photo_7

               校倉造の木組み。    Photo_8

     ○ 北東隅からの大屋根(今回北東隅二の鬼瓦だけが新規製作 更新された)Photo_9

               鬼瓦や丸瓦に導線を這わせてあるのは、避雷設備。Photo_12

             写真下: 新規製作された北東隅二の鬼瓦。
                 右側面に「倣旧北東隅一之鬼作之
                 (まえの北東隅一の鬼に倣いこれを作る)と刻してある。
                 (写真の上でクリックすると画面一杯に拡大する)                                      Photo_14

      写真下:北西隅からの大屋根:左(北面)、右(西面)とも新規製作瓦で葺いた。Photo_15

            写真下: 今回新規製作された軒の丸瓦、平瓦の文様。Photo_16

               下: 南西隅からの大屋根。Photo_17

               下: 南東隅からの大屋根。Photo_18

              下: 南東隅の瓦(室町・慶長再用軒瓦)Photo_19

        下: 南面の大屋根(丸瓦、平瓦とも天平時代以降、各時代の再用瓦
                   を再使用している=上掲の正倉屋根の配置図ご参照)Photo_20

                下: 棟瓦の断面見本展示。             Photo_21

               下: 大正再用瓦の裏面に押字された瓦師名と縄目文様。Photo_22

○ 以上で見学の全行程が終わった。以下は、正倉院周辺の美しい風景。

      正倉院正倉を覆った素屋根3階から見た大仏殿。手前は聖語蔵。

             (写真の上でクリックすると、画面一杯に拡大します)26

               正倉院の正門。中央 奥に素屋根が見える。Photo_23

               正倉院南側に長く続く白壁塀。Photo_24

               南側に聳える大仏殿の威容。Photo_25

               正倉院と大仏殿の間に広がる草地。(鹿が1頭草を食んでいる)Photo_26

○ 今回の見学で感銘したのは、正倉院創建以来、気の遠くなるような歳月(約1250年)、その時々に如何に多くの人々がこの得難い宝物を未来に引き継ぐべくその職分を尽くしたのだろうか...ということである。

                     おわり

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