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  • 650 NHK杯 最後の雄姿。
     村山聖について、彼の師匠森信雄七段は後年 彼について こう語った。「私が村山聖を好きなのは、将棋にひたむきだったことと、病気のことも含めて一切グチを言わなかったことである。無念さや切なさ、遣り切れなさ、口惜しさ..その思いをすべて黙って将棋にぶっつけていたような気がする。」    聖は幼時より腎臓に重い疾患を持っており、生きること自体が闘いであった。いつまで生きられるかという思いを心の片隅に置き、名人を目指して指す彼の将棋は その必死さ において尋常なものではなかった。
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  • 050 地酒「本因坊秀策」
    碁聖 本因坊秀策の生誕地を訪ねて  アルバム(表紙)      上の写真は、村上水軍城
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田舎暮らし

2015年10月26日 (月)

荒鋤き

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○  丹波の田舎で2反歩の稲作を始めて足掛け16年になる。大阪から

 片道約120㌔m離れており、年間に農作業で往復する回数・費用を考慮   

 すると、とても採算には合わない。

○  それでも何故続けているのかと云うと、汗塗れ泥塗れでする農作業

 や土の匂いが好きなのだろう。これ許りは都会生活では味わえない。

○  好天の続く10月24日に大阪より出張し、本年最後の大仕事「荒鋤き」

 を無事終えた。 

 (写真上は、荒鋤きを終えた田圃。遠くで畔草の野焼きをする炎と煙が見える。)

                                         おわり

2013年3月24日 (日)

歌枕のさと “生野の里”

○ 小生が米作りをしている田舎のすぐ近くに、古来 歌枕で知られた

“生野の里”がある。百人一首にある和泉式部の娘・小式部内侍が詠んだ

   “大江山生野の道の遠ければ まだふみも見ず天橋立” 

               金葉集 大治元年(1126年)は、あまりにも有名。

○ 昨日(3月23日)早朝、大阪を発ってお彼岸の墓参りに田舎へ行った。

 田舎の家に着く途、思いついて撮ってみたのが以下の写真。

  (写真の上でクリックすると、拡大しますhappy01

 写真下:国道9号線沿いに立っているPR看板。

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 写真下:JRバス生野の里バス停留所と傍らにある石碑(裏は歌碑)。

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 写真下:生野の里の案内板と本陣もあった街道(宿場)の新旧写真。

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Photo

 旧写真の右端の家(江戸時代は桶屋だった)の佇まいは、90年後の

 現在も殆ど変っていない。

 

                   おわり

 

 

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  • 140 シンフォニーホール前の並木道
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