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  • 650 NHK杯 最後の雄姿。
     村山聖について、彼の師匠森信雄七段は後年 彼について こう語った。「私が村山聖を好きなのは、将棋にひたむきだったことと、病気のことも含めて一切グチを言わなかったことである。無念さや切なさ、遣り切れなさ、口惜しさ..その思いをすべて黙って将棋にぶっつけていたような気がする。」    聖は幼時より腎臓に重い疾患を持っており、生きること自体が闘いであった。いつまで生きられるかという思いを心の片隅に置き、名人を目指して指す彼の将棋は その必死さ において尋常なものではなかった。

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  • 050 地酒「本因坊秀策」
    碁聖 本因坊秀策の生誕地を訪ねて  アルバム(表紙)      上の写真は、村上水軍城
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2021年1月 3日 (日)

千歳碑へ初詣

令和3年1月2日(土)

 

〇 京都・東山 霊山観音の傍にある千歳碑(旧陸軍歩兵第60連隊

 慰霊碑)に初詣した。

 

写真下:殉国の英霊並びに大戦による犠牲者の冥福を祈念するため、
     昭和30年6月に建立された霊山観音。

20210102-1129051


写真下:旧陸軍第60連隊諸霊の偉勲を顕彰しその冥福を祈るため、
     昭和42年4月建立された慰霊碑 「千歳輝」碑。

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〇 小生(82歳)の叔父は、大東亜戦争敗戦の約1年前・昭和19年

 7月25日にビルマ・インパール作戦の戦闘で戦傷死した。

  22歳の若さだった。

 

〇 亡き叔父の実母(小生の祖母)は、終生、我が子の戦死を

 信じかった。遺骨一つ還って来ないのに、腹を痛めた我が子

 22歳の死を 村役場からの知らせだけで信じられようか。


〇 彼が出征したのは小生が5歳になる年で、生活を共にした記憶

 は残っていない。しかし、彼が小生の人生に与えた影響は計り知れ

 ない。(詳細は、本ブログ令和2年9月7日付「大東亜戦争戦死者

 への慰霊」をご参照賜度。) 然るに、叔父がインパールで戦病死

 した以外、予備知識のない小生だった。

 

〇 歳を経るに従って彼のことをもっと知りたいとの思いが嵩じてきた。

 そして、我が人生に多大な影響を与えてくれた亡き叔父に感謝の念を

 伝える方途はないかと思索した。


〇 そして京都府庁やネット等での調査により、昨年8月、やっと

 第60連隊の霊が祀ってある標記慰霊碑を知り得たのだった。


〇 昨年9月に初めてお参りして、碑を護持されている千歳碑護持会を

 知り、その活動(年間行事)の説明を受けた。 


〇 今日(1月2日)は、千
歳碑護持会による年間行事「千歳碑初詣

 の集い」があった。参詣者の中で、叔父と同時期に出征し 叔父とは

 同一部隊で、戦死が一日違いだという戦友のご遺族とも出逢った。


〇 「千歳輝」碑には、後年インパールの戦地で集められた石が聖石

 として戦友の御霊と倶に安置されていると聞いた。参詣は3度目だが

 叔父を身近に感じるところだ。長生きして詣で、亡き叔父に感謝を

 続けたい。

                       おわり

 

 

         

 

  

 

 

 

2020年10月 6日 (火)

二上山の美しい朝焼け。

令和2年10月6日

 

〇 今朝の二上山は、今秋初の美しい朝焼けが見られた。

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             撮影:午前5時50分 於・太子町拙宅庭

〇 二上山は、「万葉集」に「ふたかみやま」と詠まれ、様々な

 歴史のエピソードに彩られた古人(いにしえびと)の霊山だ。


〇 二上山は大阪と奈良の府県境にある。金剛・葛城山系の

 北端に位置しており、雄岳(517m)と雌岳(474m)が対と

 なって美しい山容をなしている。雌岳の頂上からの眺望は

 素晴らしく、大和三山を見下ろす大和平野や大阪・河内

 平野までパノラマの如く拡がっている。

  政務で、斑鳩から明日香へ馬で疾駆する聖徳太子の姿

 を彷彿する。歴史好きの人にとっては垂涎の風景になろう。

 
  話が朝焼けからすっかり離れてしまった。

 

                      おわり

 

 

 

2020年9月 7日 (月)

史上初の全面解体修理を終えた薬師寺東塔を見る。

令和2年9月7日(月)

 

〇 平成21年より始まった薬師寺東塔の解体修理は約10年を経て、

 昨年末に本体の大修理が完了した。本年4月下旬に行なわれる筈

 だった国宝東塔大修理落慶法要は、思いも由らぬ「コロナ禍」の為、

 延期されている。


〇 7年前(平成25年11月)に、塔上に聳える金属の装飾「相輪」を

 含め、「水煙」が地上に下ろされ、公開された。青銅製の2㍍近い

 「水煙」の傷みは厳しかったが、1300年前の職人の芸術・技巧に

 圧倒され、昨日観たような新鮮な感動の記憶が蘇る。


〇 昨日(9月6日)、所用の帰り、薬師寺境内を拝観した。以下は、

 大修理なった東塔を中心とした境内建物を撮ったものであるが、

 写真の巧拙を見ず、金堂を中心に東西両塔、講堂、回廊などの

 たたずまい(白鳳伽藍の美しさ)をご覧頂きたい。

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写真下:解体修理なった東塔。”凍れる音楽”の愛称で呼ばれる。

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写真下:東塔の塔上にある「相輪」、水煙を含め高さ約10㍍、重さ約3トン
                 (但し解体前の数字)

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写真下2枚:昭和56年4月、453年ぶりに復興再建された華麗な西塔。

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写真下:金堂。裳階(もこし)をつけた美しいお堂で、龍宮造りと呼ばれて
 いる。堂内には、薬師三尊像(薬師如来、日光菩薩、月光菩薩)を安置。

Img_20200906_120949


写真下:大講堂。正面41㍍、奥行20㍍、高さ17㍍ある伽藍最大の
    建造物。
堂内には、本尊として彌勒三尊像を安置。

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写真下:左より東塔、金堂、西塔(相輪、水煙のみ)、大講堂。

Img_20200906_123515-1

 

                      おわり

 

 

 

大東亜戦争戦死者への慰霊。

令和2年9月7日(月)

 

〇 小生(82才)の叔父(大正11年1月生まれ)は、昭和19年7月ビルマ

 で戦死した。満22才だった。丹波の山奥にある尋常小学校高等科2年

 卒業後、大手製糸会社尼崎工場で6年余勤務。赤紙が来たのは昭和

 17年12月、20才。働き盛りの青年だった。

 

〇 その叔父達戦没者の慰霊碑が京都・霊山観音にあることを知り、昨日

 (9月6日)、初めて霊前にお参りをさせてもらった。


写真下:京都・東山の麓にある霊山観音・本院

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写真下:歩兵60連隊の慰霊碑 「千歳輝」  昭和42年4月建立。

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〇 叔父が戦死したのは、小生が6才になる1ヶ月前。殆ど生活の記憶は

 残っていないのだが、カメラを持っていた彼が生前撮ってくれたスナップ

 写真、月刊雑誌、書籍、レコード類(歌謡曲、浪曲ほか)が大量に残って

 いたのだ。

〇 小生は幼年時から小学校時代に、これを徹底的に読み、観、聴きした

 ので、かなり ませた(大人びた)子供に成長してしていったのだ。


〇 小生がその後の人生において、学校では習わない諸々の知識・教養

 を豊富に持ち得たのは、幼年時に得た知識が嚆矢となっているのだ。


〇 叔父の実母(小生の祖母)は、彼の戦死を信じなかった。戦後、戦没者

 慰霊祭には参加しなかった。昭和42年4月に死去するまで、毎年の慰霊

 祭開催通知は(弁当引換券と共に)タンスの奥に終われた儘だった。後年

 (20年程前)、タンスにそれを見て、小生は祖母の思いに涙を禁じ得なか

 った。


〇 亡き叔父は、初めて、自分の血の通った甥にお参りしてもらい、喜んで

 くれただろうか。小生は、叔父へ感謝の念を伝え得て気が休まった。

                          

                           おわり   

 

 

 

2020年9月 4日 (金)

二上山の日の出。

令和2年9月4日

 

〇 8月の炎暑が漸く過ぎ、台風9、10号が九州の西方を通り過ぎようと

 している。夜になると涼風が秋の気配を感じさせてくれる。

 

〇 今日(4日)は4月上旬と共に年に2回、二上山の馬の背の真ん中から

 お日様が昇って来る日だ。

 

写真下:午前6時6分49秒 於・拙宅庭

R20904-060649

写真下:午前6時8分24秒 於・同上 

R20904-060824


〇 写真を撮った30分後には、台風到来の影響で雨降りとなった。

 

〇 尚、一昨日(2日)は、田舎に出張して稲田の畔の草刈りをした。

 昨日(3日)は、好天に恵まれ、2反歩の稲刈りが完了した。

  刈り取りにご協力頂いた地元営農組合の皆様に感謝。

 

                          おわり  

2020年8月11日 (火)

二上山の朝焼け。

令和2年8月11日(火)

 

 

〇 立秋は過ぎたが余りに炎暑が続くので、先日、嘗ての囲碁同好会友人

 達「残暑お見舞い」の葉書を出状した。

  今日は朝5時に起床、東方 二上山の空を眺めると、今秋?初の素晴

 らしい朝焼けが展開しつつあった。

Img_20200811_051109
写真上:8月11日 午前5時11分 拙宅庭で撮る。

 

〇 二上山の朝焼けは、9月初から10月にかけて目を瞠る美しい

 朝空が見られるのだが、今朝の風景も相当のものだった。

 

以下の写真は、過去の美しい朝焼け。

H24106-0552

2002

2002831

Photo_20200811094701 

 

                       おわり

 

2020年8月 3日 (月)

テレビ体操 その2

令和2年8月3日(月)

20200802

写真上:左より、吉江晴菜さん、戸塚寛子さん、今井菜津美さん(椅子)
        原川 愛さん、清水沙希さん。

〇 NHKテレビ体操を永年やっている。月末、月初の2日間は仕事で体操

 が出来ず。翌8月2日(日)TV画面をよく見ると、新人の戸塚寛子さん

 が初めて前列(左)に並んでいる。約4ヶ月間、後列許りで顔がよく見え

 なかったが、可愛い美人顔をはっきり拝まして頂きました。頑張って!

                      おわり

 

2020年4月17日 (金)

テレビ体操

 

令和2年3月30日(月)

Photo_20200417085601


〇 テレビ体操を永年やっている。NHK Eテレのアシスタントは、

 今日(3/30)からメンバーが少し替わった。


〇 可愛い姿が見られなくなった 五日市祐子さん 長いことご苦労

 さんでした。新人 戸塚さんが登場、どうぞよろしく。


〇 矢作さん目出度く中央の椅子席へ。


〇 清水さん、原川さん、舘野さん、吉江さん、今井さん、今後とも

 どうぞよろしく。


〇 平成25年9月、東京オリンピック開催が決定した時、あと7年間

 (82歳まで)は元気で前向きに生きていくメルクマールができたと

 喜んだものだった。  


〇 今年82歳になる小生、腕立て伏せは、120回できるようになった。

 いつまで続けられるか。メルクマールとした東京オリンピックは、来年

 に延期となってしまった。世の中、予想もできないことが出来しゅったい

 するものだ.......。

                          おわり

 

2020年3月30日 (月)

櫻・花見に出かけられない方々へ。

 

令和2年3月30日

〇 新型コロナウィルスの世界的拡散が急で、各界の著名人まで、感染

 入院や死亡の報が届き始めた。感染・死者急増中の米・ニューヨーク市

 の現状を考慮すると、日本でも2、3週間以内に大都市に於いて、感染

 爆発する危険性を孕んでいる。


〇 感染蔓延が各所に及んでいるが、感染経路が特定できない感染者が

 増加しているので、要注意である。日本人各人が、毎日の生活の中で、

 感染・死と向き合っていることを牢記し、節度ある行動に徹すべきである。


〇 ウィルスが治まるまでは、大勢集まる行事を行わない、大勢集まる

 処近寄らないことが肝要である。  


〇 時、将に花見の季節。万朶の櫻花の下、酒気を帯びて蹣跚と歩き度き

 御仁もあろうが、以下の写真を眺め、ぐっと自重の日々を送って欲しい。

 写真下:真っ青な空との見事な櫻(PL)。
20150402-015

  201803303
201803306
201803307

もっと、写真を見たい方は、本ブログ左欄のカテゴリー(花見・PLなど)

をご覧下さい。

                         おわり 

2020年3月26日 (木)

宮城まり子さんを偲ぶ。

 

令和2年3月26日

〇 3月21日に、嘗ての人気女性歌手 宮城まり子さんが逝去された。

 93歳の長寿だった。


〇 思えば、昭和31年(64年前)の今日(3月26日)、東京の日劇

 「春のおどり」の実演で、人気絶頂の彼女が唄う「ガード下の靴みがき」

 を聴いた。小生が、高校3年生(18歳)になる年だった。

写真下:日劇 春のおどり のパンフより。
    若い日のダーク・ダックスもゲスト出演している。

  (写真の上でクリックすると、画面一杯に拡大します。) 

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〇 彼女は、幼時に母との死別や父の事業失敗などがあって、不幸

 な過去を背負っていたため、戦時中に若くして芸能界に入っている。


〇 小生が彼女を知ったのは、昭和28年に歌手として「毒消しゃいらん

 かね」がヒットして有名になってからだった。無論、彼女の過去の苦労

 など何も知らなかった。


〇 あの華やかな日劇の大舞台で、しんみりと唄う「ガード下の靴みがき」

 は素晴らしく、大勢のゲスト歌手の中では群を抜いて光り輝いていた。


〇 この歌は昭和30年に発表され、江湖の好評を博し大ヒットしたが、

 戦後10年、上野駅などでは、まだ身寄りのない小・中学生の靴みがき

 が大勢居て、上野の森などを起居の場としていた。


〇 彼女は、それから10余年の後には社会福祉方面に転身するのだが、

 その後の歩んだ長い道程(みちのりについては詳しくは知らない。


〇 今年82歳になる小生にとって、宮城まり子さんと日劇の華麗な舞台

 は、64年も前のこと乍、未だに瞼に焼き付いて離れない。

                            おわり

 

 

 

 

 

 

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