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  • 650 NHK杯 最後の雄姿。
     村山聖について、彼の師匠森信雄七段は後年 彼について こう語った。「私が村山聖を好きなのは、将棋にひたむきだったことと、病気のことも含めて一切グチを言わなかったことである。無念さや切なさ、遣り切れなさ、口惜しさ..その思いをすべて黙って将棋にぶっつけていたような気がする。」    聖は幼時より腎臓に重い疾患を持っており、生きること自体が闘いであった。いつまで生きられるかという思いを心の片隅に置き、名人を目指して指す彼の将棋は その必死さ において尋常なものではなかった。

マイフォト≪因島紀行≫ 

  • 050 地酒「本因坊秀策」
    碁聖 本因坊秀策の生誕地を訪ねて  アルバム(表紙)      上の写真は、村上水軍城
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2019年11月12日 (火)

小望月が馬の背から昇る二上山。

写真下:11月11日午後5時6分二上山馬の背から昇る月。

20191111-1706-1015

〇 昨日(11日)は、旧暦では10月15日だが、月カレンダーでは月齢

 14日で小望月になる。満月の前夜で、幾望(きぼう)ともいうそうだ。

 幾は「近い」の意である。

〇 今日(12日)は、満月が昇る。残念乍、雄岳の左肩から、午後5時

 40分過ぎに昇ってきた。急速に暗くなり、掲載できる良い写真が撮れな

 かったのが残念だった。

                     おわり

   

2019年11月 1日 (金)

御即位記念 第71回 正倉院展を観る。

令和元年11月1日

 

〇 暖かい秋晴れの昨日、例年の如く正倉院展を観に行った。今年は
 出陳41件で、幾分少な目であった。
  素人目にも素晴らしく見える出陳品から5件を選び紹介したい。

 

 

1、紫檀金鈿柄香炉(したんきんでんのえごうろ)
20191030-1029371

写真上:僧侶が手で持ち、お香をたく道具。紫壇を使っており高級品。
    紫檀はバラのような香りのする 別名 ローズウッド
    大きさ:長さ39.5cm、高さ7.6〃、炉径11.0〃

20191030-1028051
写真上・下:炉の側面には、金象嵌(きんぞうがん)の技法で、花や
      蝶、鳥の装飾が施され、豪華な宝石も鏤められている。

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2、鳥毛立女図屏風(とりげりつじょのびょうぶ)
20191027-1345431

 聖武天皇遺愛品で、1帖6扇の屏風。上の写真は第4扇で保存状態が
最も良い。各扇は、樹の下に立ったり、岩に掛ける婦人が描かれており、
「樹下美人図」の名で有名。衣服や木の部分に、ヤマドリや雉の羽根が
貼られていたが、現在では殆ど剥落している。盛唐時代の美人図を
彷彿とさせる天平美人の図で、面貌描写の画技が優れている。


3、紺玉帯残欠(こんぎょくのおびざんけつ)
20191027-134704_20191102085401
 紺玉=青い宝石(ラピスラズリ)で飾った革帯。方形や半円形の
 紺玉を表側から銀の鋲で留めている。バックルは、銀に金メッキ
 を施した高級品。帯は小動物の皮を使用。一部欠けている。

4、螺鈿箱(らでんのはこ)
Img_20191027_134632
 上掲の紺玉帯の円形納め箱。檜材をろくろで成形し、表面
は黒漆塗り。表、側面には螺鈿や水晶などで、鳥や花の文様
を表わしている。華やかな円形の収納箱で正倉院の貴重品。

5、衲御礼履(のうのごらいり)
Img_20191027_134338
 爪先が反りあがった鼻高履とも呼ばれる浅型の靴。表面は赤く
染めた牛革で、真珠や水晶を嵌めた花型金具で飾ってある。
752年の大仏開眼会で聖武天皇が履いたとされる。

 1260年以上経過して、色鮮やかさを失わない靴や至宝の
数々を観て、長きに亘る多くの人々の管理努力に深甚の敬意を
表したい。日本人は凄い。

                     おわり

 

2019年9月 5日 (木)

二上山の日の出。

 

令和元年9月5日

〇 7月下旬からの熱暑が漸く去り、草むらから聞こえる虫の声に

 秋の気配が感じられる頃となった。

 

〇 早秋の二上山の朝の眺め(4日間)をご覧下さい。

    写真は何れも拙宅猫額の庭より撮影。
              (写真の上でクリックすると、画面一杯に拡がります)

 9月2日(月) 6時05分
20190902-060541

 9月3日(火) 6時06分
20190903-060621

 9月4日(水) 6時10分
20190904-061050

 9月5日(木) 5時32分
20190905_053244

 同 日   5時42分
20190905_054258

 同 日   6時14分
20190905_061401     

〇 9月3日は、馬の背(雄岳と雌岳の間)の真ん中から日が昇った。

 4日、5日は朝雲が邪魔をして日の出の瞬間が拝めなかった。

  5日の縦長の雲は、未だ嘗て見たことがない。飛行機雲にしては

 幅が広すぎるし、左右に曲がっているのが面白い。

 

                      おわり

 

2019年4月 9日 (火)

二上山の日の出

 

  写真下: 4月9日 朝 6時11分 於: 拙宅庭で撮る。   

20190409-061112

 

◎ 長く寒い冬が去り、漸くお日様が二上山の馬の背に戻って来た。

 雄岳(左)と雌岳(右)の間を”馬の背”と呼ぶ。4月と9月の各上旬に

 馬の背からお日様が昇って来る。今年は、幸いに早朝より快晴にて

 素晴らしい日の出だった。

 

◎ 今年は暖冬だったが、3月の中旬から気温の低い不順な気候が

 続いたため、桜の開花が遅れ、大阪の南河内(太子町)では漸く昨日

 辺りから満開となった。例年なら、疾っくに散り果てている頃である。

 

                       おわり

 

 

 

2018年11月11日 (日)

300年振りに再建された興福寺中金堂 と 第70回正倉院展を観る。

 

○ 11月6日、奈良国立博物館に於ける第70回正倉院展を観に行った。

 午後4時過ぎに着いたが、入場者の少なるなる夕方5時過ぎに入館する

 迄の余裕時間を利用して、約300年振りに再建された興福寺の中金堂を

 観に行った。

  写真下:2018年10月7日落慶法要式のあった興福寺中金堂(ちゅうこんどう)の威容。

Img_20181106_170227

 

○ 中金堂は藤原不比等の発願で710年に創建されたが、これまでに兵

 火や落雷などで7度も焼失。その都度、創建当時の規模や様式で再建

 されてきたが、1717年(享保2年)の火災以降は再建されなかった。

 1991年に再建計画がスタートし、総工費約60億円で301年振りに

 10月7日に完成、再建落慶法要が営まれた。


第70回正倉院展

〇 正倉院宝物の件数は、約9000件とされる。その中、95パーセント

 程は日本で製作されたと思料されるが、中国(唐)、朝鮮(新羅)など

 東アジア諸国、西方のペルシャや東南アジアからの貴重な品々も数

 多く見られる。

 

 〇 今年の出陳品では、外国製のもので凄味のある品が数点目についた

 が、その中の2点を写真で紹介する。

 

 1.≪玳瑁螺鈿八角箱≫(たいまい らでん はっかく の はこ)

  法要などでお供え物を入れた箱。ウミガメの一種、玳瑁の甲羅を箱全体

  に貼っている。貝殻をうすく切って嵌めこむ螺鈿の技法で花や鳥の文様

  を表現している。(明治時代に修理され、美しさを保っている)

Img_20181003_114828

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2.≪繍線鞋≫(ぬい の せんがい)

  光明皇后が履いたかも知れない女性用の室内履き。絹や麻などで

 制作。つま先に刺繍を施した花形の飾りがついている。

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   正倉院宝物は、756年に聖武天皇薨去を悲しんだ光明皇后が天皇の

 

 身近な貴重品を東大寺大仏に奉納したことを嚆矢とする。民間出身の

 

 光明皇后の存在の大きさと身近さを実感する正倉院展ではある。

 

                            おわり


 

 

 

 

 

 

 

2018年10月16日 (火)

二上山の朝焼け

○ 二上山の朝の眺めは、日の出前の一瞬(2~3分)の変化が美しい。
 特に9~10月は、早朝の空と雲の輝きが刻々と変化していく短い時
 間が見逃せない。
          写真下:2018.10.06 05:57 於: 太子町自宅庭

20181006_557

 

            写真下:2018.10.16 05:58  於: 同 上

20181016_558

 

                                      おわり

 

 

 

 

 

2018年9月 3日 (月)

二上山の日の出。




○ 二上山は、古来、遠つ飛鳥人
(とおつあすかびと)からは、西方にある

 雄岳・雌岳の間に日が沈む様子から神聖な山岳として崇められてきた。

         
写真下:大和・飛鳥側から見た二上山に沈む夕陽。

20091010_1725_2




○ 大阪・南河内の近つ飛鳥人(ちかつあすかびと)から見れば、東方に

 ある 二上山は、
朝陽の昇る希望に満ちた眺め の山である。

  早秋に見られる朝焼け
の二上山は、数分間に過ぎないが実に美しく

 来るべき今日一日
の幸せを胸一杯に感じさせてくれる。

         写真下:大阪・南河内(太子町)から眺める日の出前の鮮やかな朝焼け。

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○ 南河内・太子町の拙宅からは、年2回(4、9月の各上旬)、二上山の

 馬の背(雄岳と雌岳の間)から太陽が昇る。ところが、中々、雲のない

 青天の朝には巡り会えない。本年は、今日 9月3日朝6時過ぎから、


 まったく雲が消えて青天となった。庭掃除をしていて気づき、

 カメラを持ち出したが、少し遅きに失し、うまく撮れていない。


 
 写真下:日の出直後の二上山。2018年9月3日 06:09

2018903_0609


       残念                             

≪追記≫ 2018年9月9日 05:32 日の出前の朝焼け。

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                                        おわり。



2018年8月 8日 (水)

故村山聖九段の写真 ⑭ (永遠の別れ)

 

○ 現在、村山聖ファンが、村山さんの対局する姿を観ることができる

 最後の対局(絶局)は、前エントリーに載せた’98年(平成10年)3月

 30日の木村一基四段(当時)との王位戦 でした。表現の仕様がない

 ほど陰翳に富む良い写真でした。 再度、掲載致します。



     (写真は何れも、写真の上でクリックすると、画面一杯に拡がります。)

 

98330vs

 


○ 最後に、村山さんの思い出深い写真をアトランダムに掲載します。

 

Ts3r0011

 

Ts3r0044

 

Ts3r0032

 

 

 

 

 

Ts3r0034

 

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     写真上:’89.6.2 棋譜並べ、五段。

 

     写真下:’91.2.14 京都・詩仙堂で、五段。2枚共、撮影者 森信雄師匠。91214

 

Photo

 

93114

 

写真上:撮影者 弦巻勝氏。 写真右上:対局開始を待つ。六段。撮影者 故中野英伴氏

 

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Photo_3


  この写真2枚は、村山ファン

 

 にとって、只、眺めているだけで

 

 幸せになります。


 撮影者 森信雄師匠。



○ ’98年5月18日、村山さんは、広島市民病院特別室に入院。
                              (名札 不掲示)

○  同 年6月15日、29歳の誕生日。その日、主治医より、癌の

              肝臓への転移を知らされる。

○ 8月7日、朝から大量の汗を掻く。


○ 8月8日、血圧と体温低下。遠ざかる意識の中で将棋を戦う。

        将棋の符号を諳んじ始めた。「8六歩、同歩、8五歩

        ・・・」 そして、その声は 「2七銀」 で止まった。


        午後0時4分、心臓停止。11分に死亡を確認。


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                     写真上:日本将棋連盟の棋士データベースより。

 

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○ 写真上(
将棋世界’98年10月号・特別追悼号)の最終行の空白(死去)を

 見て、渇仰した「名人」へ 手の届く A級在位の儘、遠く宇宙の彼方

 へ飛び立って行ってしまったこと、そして 村山さんは もう永遠に還っ

 て来ないこと を自らに言い聞かせた。                     

                         弥 吉


                                                                  
おわり

 

 

 

 



  

   



 

 





 

 

 

 

 

 

 

 

 


 


 


 

 

 

 

2018年8月 3日 (金)

故村山聖九段の写真 ⑬ (癌再発・次期 休場決意)


○ ’98年2月16日、第47回NHK杯準決勝戦(vs島 朗八段)に勝ち、
              決勝進出。

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写真左

 解説者は、羽生善治四冠(当時)

 聞き手は、藤森奈津子女流二段(同)

 対局は、勝利したが、後日、再放送

 を観ると、村山さんの顔つきが冴えず

 かなり体調不良にみえる。




○ ’98年2月19日、広島へ帰った村山さんは、癌の再発をつげられる。

○  同 年2月21日、前日東京で棋聖戦対局を済ませ、大阪へ戻って

              きた村山さんは、独断で次期の休場を決意する。



○  同 年2月28日、第47回NHK杯決勝戦(vs羽生善治四冠)。

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                  写真撮影者 故 中野英伴氏


   対局は、村山さんの優勢裡に最終盤を迎えたが、秒読みに追われた

 村山さんの失着があって、羽生善治四冠が勝利し優勝カップを手にした。

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写真上:終局後の感想戦。


写真左:村山さんは準優勝に終わった

表情は穏やかで、「優勝するはず

だった
のですが、ポカをやてしまい

した」と、にこやかに微笑んでいた。



○ 村山さんが畏敬する羽生さんとの公式対局は、6勝7敗で

  終わった。




○ 村山さんは、2/28の羽生さんとのNHK杯の後、3月に入って

 5局指している。6日に竜王戦(vs森下)、13日に順位戦最終局

 (vs青野)、16日王位戦(vs日浦)、24日棋聖戦(vs森内)、30

 日に王位戦(vs木村)である。


 そして5局に全勝している。しかも、すべてが名局。

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写真上は、3/30の第39期王位戦挑戦者決定リーグでの木村

一基四段(当時)との村山聖八段の絶局、最後の対局姿である。



                                  つづく。


  6/15から始めた本写真シリーズの最終回⑭は、村山さんの命日である
  
 8月8日に掲載します。

                              弥吉  拝



 

2018年8月 2日 (木)

故村山聖九段の写真 ⑫ (A級復帰 )

○ ’97年4月18日、A級復帰を目指して広島大付属病院に
              入院。排尿手術をする。

○ 同 年6月16日、棋戦復帰のため、膀胱と前立腺摘出
              手術をする。(8時間半かかる)

○ 同 年7月14日、順位戦(対丸山七段戦)に、看護婦付き
              で出場。

○ 同 年8月 1日、広大病院を退院。
              7日以降、大阪の前田アパートを本拠地
              として棋戦に参戦。



写真下:’97.9.20 弟弟子 増田裕司新4段昇段祝賀会で。

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写真上:広島・呉での老人会多面指し。

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写真左:’97年度NHK杯トーナメント

(郷田六段vs丸山六段戦)の解説者

として出演。

聞き手は、山田久美女流二段。




   棋戦の合間には、上のように西に東にとハードな活動をこなした。

  月に1度は、定期健診で広島へ帰った。

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                  写真上:撮影者 故 炬口勝弘氏



○ 棋戦は、東京と大阪で半々あり、毎月4~6局をこなした。

 何としても、A級に昇り、名人を目指したい。村山さんは必死だった。


○ ’98年2月13日、順位戦第11回戦で田丸昇八段に勝ち、A級

  復帰が決まった。大手術の困難を乗り越え、名人への道を一歩

  踏み出した。


                              つづく。




 




              

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