今年も8月8日、故村山聖九段十三回忌。
「将棋世界」1998年(平成10年)10月号(特別追悼号)
さようなら、村山聖九段。
8月8日、午後零時11分、進行性膀胱癌のため村山聖九段が広島市民病院に於て死去した。わずか29年の、あまりにも苛酷で鮮烈な生涯を、村山は風のように全力で駆け抜けた。
将棋界の天才集団をすべてまとめて、ごぼう抜きできるとしたら、村山の他にいないと多くの棋士は思っていた。「終盤は村山に聞け」といわれる定評の終盤力と洗練された序盤の構想力は多くの棋士の心胆を寒からしめた。ただし、いつも彼自身の体調との戦いでもあった。
(P.147、P.155より)
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(補記) 村山の師匠 森信雄七段のブログへ十三回忌になることのコメントをいれましたら、 ご丁重なお返事(コメント)を頂きました。
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今川 弥吉様
早いもので十三年目を迎えました。夏を迎えると、村山聖が浮んできて、自分の非力さを感じて青空が悲しい空に見えます。
そして「何やっているのですか?」と言われないように生きなければと思います・・
by モリノブ (2010-08-09 07:31)
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数日前に「聖の青春」を読んだ。
それ以来、あまりの衝撃に何も手につかない・・・・・。
読書量は豊富たと思うが、今の今まで知らなかったのは迂闊としか言いようがない。
真剣師・小池重明との運命的な出会い、森信雄師匠との深夜の公園での遣り取り、水滴の音で自らの生存を確かめる場面、そして羽生氏を定食屋におずおず(ここに彼の人となりが出ている)と誘うシーンは読む者に鮮烈な印象を与えずにはいられない。
「・・・・・・2七銀」
この言葉を最後に逝ってしまった村山聖。
無論面識はないが私の中でも忘れがたい人物となった。
なお、彼が少女漫画を好んでいたというのはとても興味深い。
学園生活や恋愛という所謂「普通の青春」に憧れを持っていたのだろうか・・・・?
だとしたら、これも切ない。
投稿: Gracehermit | 2012年8月12日 (日) 16時07分