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2010年9月 2日 (木)

初代若乃花 賛歌。 もう こんな 凄い力士は出ない!

 

〇 9月1日大相撲第45代横綱初代若乃花逝去。82歳。

 

〇 写真下:新横綱若乃花(太刀持 琴ヶ浜)華やかな栃若時代

      の二人。 Photo

Photo_2

 

〇 若乃花くらいその相撲振りを多彩に表現された力士が居た

 だらうか。

  曰“土俵の鬼” 曰“異能力士”、曰“かかとに目がある” 

 曰“ 足の裏に目がある” 、曰“ 仏壇返しの荒技” 曰“二枚

 腰”、曰 “膝に遊び(ゆるみ)がある”、

 曰“小さな大力士” ets...。

 

〇 若乃花の相撲の特徴

1.どんな大きな相手であっても頭をつけずガップリ四つに

 組む。

 (入幕78㎏,最重105㎏)

 

2.技の切れがよく、強烈。(それを、彼は“投げは八百長に

 打たない”と表現してゐる)いい加減な打ち方をせず、決ま

 らない時は自分が負ける時といふ位徹底してゐた。

  だから良く決まったし、相手は土俵にたたきつけられた。

 

3.うっちゃり腰がない。(決まり手「うっちゃり」で勝った

 ことは一度もない)

  土俵際まで寄られても左右に逃げたり うっちゃらうとし

 ない。強力な足腰で残し堂々と寄り返す。彼の両足の指は

 砂に食い込むやう鉤形に曲がってゐた。

 

4.土俵上で転がされて負けることが殆どない。(足腰が強靭

 で、投げを食はない)

 

5.相撲振りがきれい(清澄)で潔く屈託がない。立ち渋りが

 殆どなく、さわやか。

 

6.無口。自分の相撲について多くの説明・批評をしない。

 取組後、記者から訊かれても「見たとほり」と一言述べる

 のみだった。

 

〇 もう こんな 凄くて人気のある力士は出ない。

1.上述(6項目)の全てを満たす「けれん味」のない力士

 はもう出現不可能だ。

2.荒稽古で鍛へた鋼(はがね)の様な一種凄みのある体を

 持つ力士の出現はもう期待し得ないこと。若乃花の荒稽古

 は生きるか死ぬかの様な激しいもので、思はず目を背けた

 くなる位の凄みがあった。

 

3.その鋼鉄の様に鍛へた体から繰り出される絢爛・華麗な

 技に相撲ファンは酔った。

  若乃花が左四つ右上手を取ればあの容赦のない土俵にた

 たきつける様な上手投げがいつ出るか、右四つ左上手を

 れば右からの呼び戻しの荒技がいつ出るか館内は熱狂し大

 歓声と拍手の渦で騒然となった。

  こんなにも相撲ファンを興奮させる魅力を持った力士は

 もう出現不可能だ。

 

4.栃錦と並んで若乃花が昭和の名横綱と呼ばれる所以は

 なにか。

  彼以降、彼以上に数字の上での成績を残した力士は

 大鵬をはじめとして5指に余る。しかし、彼以上に館

 内を大歓声で沸かせた力士を知らない。若乃花は負け

 ない相撲を取った力士ではない。要は勝ち方の質の問

 題なのだ。彼への大歓声は鍛えに鍛えた小さな体で、

 大きな相撲を取り相撲ファンに夢を与へ続けた彼への

 オマージュだったのだ。

 

〇 すり足の芸術 
 
1.栃若時代の終焉となる昭和35年春場所千秋楽に於ける

 14戦全勝同士の対決は史上初といふことで異常な盛り上

 がりをみせた。

 

2.栃はいくつかの連続わざの中から勝利を導きだすのに

 対し、若は一発必殺に運命を賭ける。まさに“名人”と

 “異能”の最後の対決だった。もう50年以上経ってしまっ

 たが、その攻防は時に応じニュースや特集番組等で報じら

 れてきた。

 

3.ところがこの取組の一部始終が流されることはまずない。

 従って両者が攻防の合ひ間に見せる“すり足”の妙(みょう)

 に気づかれ、記憶されてゐる方は余程の見巧者だけだらう

 と思ふ。

 

4.技を極めた両者ががっぷり左四つに組んだら、そう簡単

 に業が決まるものではない。数度の攻防の末、相手の技を

 警戒して土俵中央に戻らうする両者の“すり足”がなんとも

 素晴しいのだ。土俵上の芸術にまで昇華してゐると言って

 も過言ではない。こんなに美しい“すり足”は今に至るも見

 たことがない。

 

○ 最後に、全盛時の豪快・華麗な土俵を写真でどうぞ。

      S32九州・三根山を呼び戻しの大技で破る。S32             

 

           S33秋・信夫山を豪快な上手投げで破る。S33

  

    S33秋・身長2㍍を超える巨漢大内山をすくい投げで破る。S33_2

 

〇 S35春千秋楽・史上初の横綱14戦全勝同士の決戦。

 ドーと立って左四つ。両者うわ手、した手を十分に取る。

 互ひに若の寄り身、栃の吊り身、栃土俵中央に寄り返し

 て内掛け。その後両者 技を出し合ひ、また数呼吸。長期

 戦の模様。栃錦(右)は、長引いては不利と、左差手

 抜き若乃花(左)の右上手を切りにいった。その機を逃さ

 ず、若は怒涛の寄り身で栃を白房下に寄り切った。

 

    仕切りに入る貫禄十分の両力士。

    (写真画報:栃若時代より)Photo_6
                  立ち上がった瞬間(左:栃錦、 右:若乃花)       Photo_5

 

      差し手の攻防

    (検査役は、左:元横綱双葉山、右:同 吉葉山)Photo_2

 

    栃錦(右)、差し手をぬいて若乃花のうわ手を

   切りにいく。Photo_3

 

        若乃花、その瞬間を逃さぬ怒涛の寄り身。Photo_4

 

                                   をはり

   

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
               

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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