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2010年10月27日 (水)

失せ物(うせもの)見付かれり! 大刀二本! 大仏の膝下に!

 

〇 756年に歿された第45代聖武天皇の遺品六百余点を

 光明皇后は東大寺大仏に献納された。その際の目録「国家

 珍宝帳」に記載され、その後「除物」といふ付箋が付され

 所在不明となってゐた二本の大刀が見付かった。

 

Img033〇 何と、それは大仏様

 の右膝下に埋納されて

 ゐたのだった。

 

〇 1907~8年(明治

 40~41年)大仏殿

 改修の際、蓮華座の

 近辺で見付かった二

 本の大刀をエックス

 線調査をした結果

 れと判ったのださう

 だ。

〇 100余年前に見付か

 った大刀などの埋納品

 は、従来大仏の地鎮具

 だと考へられてゐた。

〇 しかし、此度の発見によって、地鎮具ではないことが

 明白となった。

 

〇 何故かといへば、大仏開眼法要は752年に済んでをり、

 大刀は756年に東大寺に献納された後、光明皇后崩御の

 前年759年に持ち出されてゐるからだ。

 

〇 単なる地鎮具ではなく、そこには聡明で慈悲深く広い

 心を持ち先帝をこよなく愛された光明皇后の大きな意思

 が感ぜられる。

 

〇 正倉院展に足を運ぶ度に思ふのは、光明皇后の存在が

 如何に大きかったかといふことと、1250年前の人では

 なく、息遣ひの聞へる身近かな存在として親しみを感じ

 ることである。

 

                    をはり

 

 

 

 

   

 

 

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