本因坊道策の生誕地を訪ねて -その2-
〇 6月11日(土)は、朝 大阪を出発する時土砂降りだった
が次第に明るくなり、仁摩町(島根県)に着く頃には青空が
広がった。昨年6月に因島(広島県)に秀策の墓参をした時
も雨模様のあと好天になった。
道策、秀策の両先生とも、囲碁をこよなく愛するものを
温かく迎へるべく気を使って下さったのだらう。
〇 道策の生家を見学し、長屋門や広い中庭をはさんで建つ
母屋の重厚さに甚く感心したのち、近くの丘にある墓所と
顕彰碑に向かった。
写真下: 左から井上因碩道砂(道策の実弟)、道策、山崎家
下の写真: 改設前の古い碑。(以前は近くの菩提寺満行寺
の鐘楼脇にあった由)
写真下: 兄弟である道策(右まえ)、因碩(左うしろ)の墓碑。
尚、道策の墓所は、他に東京(本妙寺)、京都(寂光寺)にも
あるさうだ。
(平成25年5月追記: 山崎家当主 山崎尚志氏は、平成25年
5月9日に死去された)
〇 地元が生んだ幕末の名棋士 岸本左一郎の顕彰碑を
訪ねて。
翌朝(6月12日)、道策の生家から約3km程の
天河内にあるといふ岸本左一郎顕彰碑を捜し訪ねた。
岸本左一郎は文政5年(1822)に石見銀山の
ある大森に生れた。幼くして俊才。
天保8年(1837)には江戸へ出て本因坊丈和
の門に入った。そして同年遅れて入門してきた のち
の秀策を知ることとなる。岸本は家の都合で一時帰
郷し、地元で囲碁の普及活動に尽力するが、秀策と
はその後も様々に親交を重ねた。
浄土真宗満行寺の境内を少し外れた、山道脇の笹竹
の中に隠れて見過ごしさうな案内碑を見つけた。よく
見ると「岸本橘堂先生之碑」と読めた。付近を捜して
みると裏の小高い雑木林の中にそれはあった。
下の写真が、岸本左一郎の顕彰碑。
本因坊秀和が万延元年(1860)7月に碑文を書い
〇 小雨の降りかけた暗い森の中なので碑文の文字が見え
づらかった。囲碁史ではよく知られてゐるが、地元では
すっかり忘れ去られてゐるやうだ。
安政5年(1858)病ひをえて37歳で早世した石見の生んだ
名棋士の碑をもう少し人の目にふれ易い所に移すなど
心配りが欲しい。
をはり
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