村山聖と更科食堂 -その2-
〇 村山聖は、更科食堂によく通った。13歳で森信雄四段
(当時)に弟子入りし、翌年師匠のアパート(市山ハイツ)
に住み込み始めてからは、二人で毎日のやうに通ひ、店の
人からは母親に逃げられた父子では?と思はれてゐた。
〇 その後、前田アパートで自立生活を始めてからも殆ど毎
日のように利用した。聖のお気に入りは「焼き魚定食」
だった。
〇 下の写真は、聖の弟弟子である山崎隆之現七段が自分
の修業時代を振り返って、更科食堂と 「焼き魚定食」を
推奨してゐる6年前(2005年)の新聞記事の切り抜き。
(更科食堂の壁に貼ってある)
☆ 写真の上でクリック→拡大します。
〇 店を経営するのはKさん夫妻。1971年、30才で独立。
「田舎臭いけど、ホッとする味」が売り物。
〇 1981年、近くに「関西将棋会館」ができると、プロ
棋士の卵らも来店するやうになった。その中に、当時
中学生だった村山聡九段もゐた。
〇 記事より、経営者の妻 紀美子さんの話。
彼(村山聖)は、店の左奥の席で、疲れ切ったやうに
、壁に身を傾ける姿が心に残る。幼い時から腎臓病と戦
ってゐたと死後、初めて知った。「塩加減を薄くしてあ
げたのに」と、今も悔やむ。
〇 同、山崎現七段の話。
「対戦する可能性がある僕らには、そんな様子は見せな
かった。」「ここは気を許せる場所だったんですね」
〇 村山の足跡(そくせき)を追ひ、店に足を運ぶファンが今
も絶えない。
をはり







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