今年も村山聖に逢いに来た。
○ 11月20日(日)、午前11時半からの所用ありて大阪へ出かけた。やゝ早めに家を出て近鉄、JR環状線を乗り継いで、環状線福島駅で降りた。
○ 写真(左)は駅のホームから見た「なにわ筋」。中程よりやゝ右上に関西将棋会館の茶色いビルが細長く見える。(9:41分)
○ ガード下にあるOK1番街の入口。今日は日曜日で休みのためシャッターが下りている。(9:44分)
○ 聖と森師匠が母親のいない父子に間違えられるほどよく通った
「更科食堂」は、入口を入って右側にある。
○ 因みに、OK1番街とは、大阪で一番の食堂街 の意なる由。
年配の男性が友達が来るのを待っている。2階にある道場で将棋を指すのだろう。(9:47分)
○ 今日ここへ来た目的の第1は「市山ハイツ」のあった場所を写真に撮ることである。時間に余裕がないため、会館には寄らず「市山ハイツ」の場所へ急いだ。
○福島6丁目の交差点(写真左)を左に見ながら長い歩道橋を渡り、北側のブロックへと入る。(9:55分)
○ 「市山ハイツ」は、聖が森師匠との約1年間に亘る共同生活を終え広島へ帰って間もなく、地上げで取毀されてUZビルという6階建のビルに建替えられているのだ。
○ 6年前に撮ったUZビルの写真(下の写真)を片手に隈なく探したが見つからない。人に尋ねても分らない。
○ 周りの風景などを参考に約20分探した結果、漸く分った。 ○ 4年前に隣のビル所有者に買収され新しく建替えられていたのだ。それが左下の写真。(10:22) ○ 聖が森師匠と奇妙な共同生活をしていた場所に やっと辿り着いた。 ○ 聖は、ここで森の友人達、「必死」創りの名人来条克由等と慣れ親しんだのだ。そして、聖はここで 自然人で純なる心の持主 森師匠からも多大な影響を受け、心豊かに成長していったのだ。
写真上はシンフォニーホール。(10:27分) 写真下はシンフォニーホール前の並木道。(10:31分) 写真の上でクリックすると画面一杯に拡大します
○ ふたりで何度歩いただろう。紙袋を提げた村山聖の姿が焼きついている。時々、バッタリ会うこともあった。
(2007-05-17付 森信雄七段の大淀を歩く[写真日記]より)
写真下は、上福島北公園南側の舗道。(10:33分) 舗道をまっすぐ行くと前田アパート方面、右へ行くとシンフォニーホール前の並木道を抜け大淀ハイツ方面へ の別れ道。
○ 何も用事がないときは、ここで別れた。トボトボと歩く姿を見届けて(大淀ハイツへ)帰る。村山君の行動範囲は限られていて、前田アパート、関西将棋会館、大淀ハイツ、書店、食堂、その半径1キロ界隈がテリトリーだった。余計なもののない暮らしだった。(2007-05-17付 森信雄七段の大淀を歩く[写真日記]より)
○ 市山ハイツのあった場所探しに時間を取られ、金蘭女子高校、福島食堂を経由して急いで関西将棋会館前まで還ってくると10:45分だった。前田アパートまでは行けなかった。村山聖の姿を求めた1時間余の短い旅は終わった。
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