マイフォト≪聖の闘魂≫   ↑ここをクリックして下さい

  • 650 NHK杯 最後の雄姿。
     村山聖について、彼の師匠森信雄七段は後年 彼について こう語った。「私が村山聖を好きなのは、将棋にひたむきだったことと、病気のことも含めて一切グチを言わなかったことである。無念さや切なさ、遣り切れなさ、口惜しさ..その思いをすべて黙って将棋にぶっつけていたような気がする。」    聖は幼時より腎臓に重い疾患を持っており、生きること自体が闘いであった。いつまで生きられるかという思いを心の片隅に置き、名人を目指して指す彼の将棋は その必死さ において尋常なものではなかった。

マイフォト≪因島紀行≫ 

  • 050 地酒「本因坊秀策」
    碁聖 本因坊秀策の生誕地を訪ねて  アルバム(表紙)      上の写真は、村上水軍城
無料ブログはココログ

« 2011年10月 | トップページ | 2012年2月 »

2011年11月の投稿

2011年11月21日 (月)

今年も村山聖に逢いに来た。

 

〇 11月20日(日)、午前11時半からの所用ありて大阪へ

 出かけた。やゝ早めに家を出て近鉄、JR環状線を乗り継

 いで、環状線福島駅で降りた。

 

Photo_3

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

〇 写真(上)は駅のホームから見た「なにわ筋」。中程より

 やゝ右上に関西将棋会館の茶色いビルが細長く見える。

 (午前9:41分)

 

Photo_5

 

〇 写真上:ガード下にあるOK1番街の入口。今日は日曜日

 で休みのためシャッターが下りてゐる。(9:44分)

 

〇 聖と森師匠が母親のゐない父子に間違へられるほど

 よく通っ「更科食堂」は、入口を入って右側にある。

 因みにOK1番街とは、大阪で一番の食堂街 の意なる由。 

 

Photo_7

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

〇 写真上: 関西将棋会館の入口。

  年配の男性が友達が来るのを待ってゐる。2階に

 ある道場で将棋を指すのだらう。(9:47分)

 

〇 今日ここへ来た目的の第1は「市山ハイツ」のあった

 場所を写真に撮ることである。時間に余裕がないため、

 会館には寄らず「市山ハイツ」の場所へ急いだ。

 

Photo_14

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

〇 福島6丁目の交差点(写真上)を左に見ながら長い歩道橋

 を渡り、北側のブロックへと入る。(9:55分)

 

〇 「市山ハイツ」は、聖が森師匠との約1年間に亘る共同

 生活を終へ広島へ帰って間もなく、地上げで取毀されて

 UZビルといふ6階建のビルに建替えられてゐるのだ。

 

〇 6年前に撮ったUZビルの写真(下の写真)を片手に隈

 なく探したが見つからない。人に尋ねても分らない。

Photo_15

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

〇 周りの風景などを参考に約20分探した結果、漸く分った。

 4年前に隣のビル所有者に買収され新しく建替えられてゐた

 のだ。それが左下の写真。(10:22)
  聖が森師匠と奇妙な共同生活をしてゐた場所に やっと辿り

 着いた。
  聖は、ここで森の友人達、「必死」創りの名人来条克由等

 と慣れ親しんだのだ。そして、聖はここで 自然人で純なる

 心の持主 森師匠からも多大な影響を受け、心豊かに成長

 していったのだ。

Photo_17

Photo_19

 

 写真右上はシンフォニーホール。(10:27分)

 

〇 写真下はシンフォニーホール前の並木道。(10:31分)

   写真の上でクリックすると画面一杯に拡大します

〇 ふたりで何度歩いただろう。紙袋を提げた村山聖の姿が

 焼きついてゐる。時々、バッタリ会うこともあった。


(2007.05.17付 森信雄七段の大淀を歩く[写真日記]より) 

Photo_20

 

〇 写真下は、上福島北公園南側の舗道。(10:33分) 

 舗道をまっすぐ行くと前田アパート方面、右へ行くと

 シンフォニーホール前の並木道を抜け大淀ハイツ方面へ

 の別れ道。

Photo_21

 

〇 何も用事がないときは、ここで別れた。トボトボと歩く姿を

 見届けて(大淀ハイツへ)帰る。村山君の行動範囲は限られて

 ゐて、前田アパート、関西将棋会館、大淀ハイツ、書店、食堂、

 その半径1キロ界隈がテリトリーだった。余計なもののない暮

 らしだった。

 (2007.05.17付 森信雄七段の大淀を歩く[写真日記]より)

 

Photo

 

〇 市山ハイツのあった場所探しに時間を取られ、金蘭女子

 高校、福島食堂を経由して急いで関西将棋会館前まで還っ

 てくると10:45分だった。前田アパートまでは行けな

 かった。

  村山聖の姿を求めた1時間余の短い旅は終はった。

 

                     をはり

 

・                                                                                                                                                                                        

2011年11月 3日 (木)

今年も正倉院展

 

〇 昨日(11月2日)奈良国立博物館で開催中の正倉院展

 観てきた。今年の目玉はやはり ① 香木 「蘭奢待」と ② 刀

 「金銀鈿荘唐大刀」だった。

Photo
左の写真が

①香木「蘭奢待」

(らんじゃたい)

 

 

 

〇 東南アジアの産で、海のシルクロードを伝ひ、齎された

 と思はれる。

 

〇 写真では何度も見たことがあったが実物を観るのは

 初めて。

 

〇 実物は、長さ156cm、重さ11.6kg もあり、

 かなりの大きさ。流通の過程のほか正倉院に納められた

 後にも一部を切り取られ無慚な姿。50ヶ所以上の切り跡

 があり、38人以上の人が切り取ったとの調査がある。

 

〇 この香木の芳香に魅せられ、時の権力者などが失敬した

 のだらうが、実物(上の写真)には切り取り場所が確認

 できる3人について名を記した付箋が貼ってある。

 

〇 以前写真を見た時には、付箋に墨書された字(内容)が

 読み取り難かったが、実物を観て判明した。右側から順に、

 足利義政拝賜之處、織田信長拝賜之處、そして(離れた

 左端)  明治十年依勅切之と読めた。

 

〇 義政は1465年に正倉院を拝観した折、信長は1574年に

 奈良の多聞山城に居る時、左端は1877年に明治天皇が奈良

 に行幸され、宝物観覧後 各々切らせたのである。切り取っ

 た年代により、切り口の色合ひが微妙に異なるのが面白い。

 

Photo_31左の写真が②刀

「金銀鈿荘唐

 大刀」(きん

 ぎんでんそう

 のからたち)

 の部分と全容

 

 

☆ 写真の上でクリックすると画面一杯に拡大します

 

 

〇 正倉院御物を記した「国家珍宝帳」には100本以上の大刀

 の名前が記されてゐるが、大半は戦乱の折、朝廷側が持ち

 出し、現存するのは本件を含め3本のみ。

 

〇 全長99.9cm。一見して、繊細にして華麗。唐草模様

 を高度な透かし彫りにした金具(冑金、山形金物など)には

 水晶やガラスが嵌められてゐる。

 

 

〇 刀の柄は鮫皮で巻かれてをり目貫や鍔・縁金にも高度の技

 が見られる。

Photo_4

〇 全体的に洗練された

 美しさが見事で、とて

 も実用的なものではな

 く、儀式に用ゐる装飾

 儀仗用の大刀だったと

 思はれる。

〇 しかし、奈良時代に

一度出蔵され、その後宝

庫に戻されたといふ歴史があるさうだ。

 

〇 この大刀は、中国(唐)から伝はったものだらうが、

 とても1250年以上前に製作されたものとは思へない

 瑞々しさに驚かされる。  

 

                    をはり

 

 

 

 

下の ≫続きを読むをクリックして下さい

続きを読む "今年も正倉院展" »

« 2011年10月 | トップページ | 2012年2月 »

マイフォト≪聖の青春≫   ↑ここをクリックして下さい

  • 140 シンフォニーホール前の並木道
    故村山聖九段のアルバム (表紙)   ↓ アルバムへ入る をクリックして下さい。