今年も正倉院展
○ 昨日(11月2日)奈良国立博物館で開催中の正倉院展を観てきた。今年の目玉はやはり ① 香木 「蘭奢待」と ② 刀 「金銀鈿荘唐大刀」だった。
○ 東南アジアの産で、海のシルクロードを伝い、齎されたと思われる。
○ 何度も写真では見たことがあったが実物を観るのは初めて。
○ 実物は、長さ156cm、重さ11.6kg もあり、かなりの大きさ。流通の過程のほか正倉院に納められた後にも一部を切り取られ無慚な姿。50ヶ所以上の切り跡があり、38人以上の人が切り取ったとの調査がある。
○ この香木の芳香に魅せられ、時の権力者などが失敬したのだろうが、実物(上の写真)には切り取り場所が確認できる3人について名を記した付箋が貼ってある。
○ 以前写真を見た時には、付箋に墨書された字(内容)が読み取り難かったが、実物を観て判明した。右側から順に、足利義政拝賜之處、織田信長拝賜之處、そして(離れた左端) 明治十年依勅切之と読めた。
○ 義政は1465年に正倉院を拝観した折、信長は1574年に奈良の多聞山城に居る時、左端は1877年に明治天皇が奈良に行幸し宝物観覧の後、各々切らせたのである。切り取った年代により、切り口の色合いが微妙に異なるのが面白い。
左の写真が②刀 「金銀鈿荘唐大刀」(きんぎんでんそうのからたち)の部分と全容。
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○ 正倉院御物を記した「国家珍宝帳」には100本以上の大刀の名前が記されているが、大半は戦乱の折、朝廷側が持ち出し、現存するのは本件を含め3本のみ。
○ 全長99.9cm。一見して、繊細にして華麗。唐草模様を高度な透かし彫りにした金具(冑金、山形金物など)には水晶やガラスが嵌められている。
○ 刀の柄は鮫皮で巻かれており目貫や鍔・縁金にも高度の技が見られる。
○ 全体的に洗練された美しさが見事で、とても実用的なものではなく、儀式に用いる装飾儀仗用の大刀だったと思われる。
○ しかし、奈良時代に一度出蔵され、その後宝庫に戻されたという歴史があるそうだ。
○ この大刀は、中国(唐)から伝わったものだろうが、とても1250年以上前に製作されたものとは思えない瑞々しさに驚かされる。 おわり
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晩秋の東大寺 周辺 散策
〇 正倉院展を観るには、比較的客足の途絶えた夕方4時半頃以降に入館するに限る。早く奈良に到着し、入館までの一時間余りを利用し、毎年東大寺の周辺を散策する。
〇 まず、大仏殿交差点から、南大門(写真左)を見渡すと例年に比べ観光客が少ないのに驚いた。毎年、土産物屋が並ぶ南大門への通りはウイークデーでも観光客で埋まっていたが、今年は修学旅行の生徒が目立つ程度だった。外国客も少ないようだ。
〇 南大門の両脇にある金剛力士像(阿形・吽形)をじっくり観る。毎年ここに来ると何故か心が落ち着く。
〇 南大門をくぐり、鏡池の辺より 中門、大仏殿を眺める。紅葉が美しい。
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〇 鏡池を左に見ながら、斜めに小道を登っていくと、やがて法華堂(三月堂)、二月堂へ至る。
〇 写真上は、右が三月堂(一部)と左が二月堂。
〇 流石に、ここは修学旅行の生徒で一杯だった。
〇 写真下は、二月堂。
〇 旧暦2月に「お水取り(修二会)」が行われるところだ。左端に少し見えているのが良弁杉。
〇 四月堂を右に見ながら、東大寺鐘楼に至る。大鐘が吊ってある。NHKTV年越し番組では、除夜の鐘の常連だ。
〇 地元の人なのか お年寄りが2、3人鐘楼の高い敷居に腰掛け寛いでいる。
〇 曇り空の晩秋、午後4時を過ぎるとまわりは薄暗く、光線が足りず写真の写りが好くない。
〇 東大寺東回廊への 急で長い石段を下り、回廊沿いに中門まで帰ってくると、鏡池沿いの土産物出店はもう店じまいにかかっていた。
一巡りして 正倉院展のある奈良国立博物館前まで還り着いたら、ちょうど午後4時半だった。
おわり
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