大東亜戦争勃発当日の新聞号外。
○ 今日は、12月8日。日本が71年前に大東亜戦争に突入していった日だ。不肖 弥吉は、まだ3歳だった。
○ 今日の読売・日経2紙の新聞記事をみると、読売では「気流」という投書欄で、78歳と80歳の二氏が当時のことに触れておられ、日経では「文化」欄に最後通告の遅れに関する新事実についての興味ある記事が掲載されていた。しかし、新聞社サイドで書いた記事は皆無であった。
○ 大東亜戦争という言葉そのものが、戦後の社会では意識して使われなくなった。日本人は、終戦を機に自虐趣味に陥り、古いものを全て放擲してしまったのだ。
○ 写真左は、田舎の家(生家)の二階にあった当時の新聞束の中から見つけたもので、現物は紙質も悪くすっかり黄ぃばんでいる。
○ 71年後の現在、日本を取り巻く国際社会は当時と変わらぬ複雑さがあり、日本も安閑としては居れない。平和・自由・平等主義の下に惰眠を貪っていた日本も、もう そろそろ目を覚まし 背筋を伸ばしてもよい頃なのではないか。
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