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  • 650 NHK杯 最後の雄姿。
     村山聖について、彼の師匠森信雄七段は後年 彼について こう語った。「私が村山聖を好きなのは、将棋にひたむきだったことと、病気のことも含めて一切グチを言わなかったことである。無念さや切なさ、遣り切れなさ、口惜しさ..その思いをすべて黙って将棋にぶっつけていたような気がする。」    聖は幼時より腎臓に重い疾患を持っており、生きること自体が闘いであった。いつまで生きられるかという思いを心の片隅に置き、名人を目指して指す彼の将棋は その必死さ において尋常なものではなかった。

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  • 050 地酒「本因坊秀策」
    碁聖 本因坊秀策の生誕地を訪ねて  アルバム(表紙)      上の写真は、村上水軍城
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2013年3月の投稿

2013年3月31日 (日)

花に誘われて。

 

〇 3月30日  陽気にうかれて、二日続けて花見に

 出かけた。今日は、拙宅の近くにある叡福寺(聖徳廟)。

 

     正面山門は、ほゞ満開だった。(写真下

                              (写真の上でクリックすると拡大する 

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         山門を入って左にある 多宝塔Ts3r0007

 

      境内最大の建物  金 堂

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      聖霊殿を背景にした紅しだれ桜Ts3r0011  

 

        聖徳廟への入り口              Ts3r0012
 

 聖徳廟(聖徳太子、母・穴穂部間人、妃・膳郎女の三骨一廟)

  菊の御紋厳めしく宮内庁管理下にあり、桜の木はない。             Ts3r0013

 

 

 

  聖霊殿(築四百年余)  (写真下階(きざはし)の

 右方端にある擬宝珠には

          慶長八年  癸卯    十一月 吉祥日

 

           内大臣 豊臣 朝臣

 

          秀頼卿      奉 

     

                     と刻してある。         

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                             おわり

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Ts3r0046

2013年3月29日 (金)

願はくは 花の下にて 春死なむ

 

〇 今日 3月29日。 花を愛で 万朶の桜の下を 蹣跚と

 浮かれ歩きたい時候、甲子園の選抜高校野球は第8日目、

 プロ野球もセ、パ両リーグとも今日開幕、愈々球春も

 満開となってきた。

 

〇 朝から、近くにある桜の名所「弘川寺」(ひろかわでら)

 に行ってきた。満開には少し早いかなと思ったが、3年前

 の満開時に行って大勢の花見客に酔ってしまったので、

 空いてゐる時をねらってみたのだ。

 

〇 弘川寺は、歌聖ともいはれる西行法師終焉の地で、色々な

 人の歌碑が境内に建てられてゐる。また、本坊のなかには、

 西行直筆といはれる掛け軸など数多くの資料を展示した西行

 記念館もある。

 

    以下の写真の上でクリックすると拡大します

 

〇 写真下:弘法大師を祀った御影堂を背景にした

      紅しだれ桜。

Ts3r0034

 

〇 桃の花も満開。

Ts3r0038_2

 

 

〇 有名な西行法師の歌碑。

 

     “ねがはくは 花のしたにて 春しなむ 

          そのきさらぎの もちづきのころ”


        
(願わくは 花の下にて 春死なん その如月の 望月の頃)

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〇 西行上人は、晩年の文治2年 東北地方へ二度目の行脚を

 してゐるが、旅の果てに ここ弘川寺に入庵、同6年2月16日

(西暦1190年3月23日)73歳を一期に この地で入寂した。

 

〇 西行上人の墓石と西行墳。
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                         をはり

 

 

 

 

 

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2013年3月24日 (日)

歌枕のさと “生野の里”

 

〇 小生が米作りをしてゐる田舎のすぐ近くに、古来 歌枕で

 知られた“生野の里”がある。

 

  百人一首にある和泉式部の娘・小式部内侍が詠んだ

 

 “大江山生野の道の遠ければ まだふみも見ず天橋立” 

 

   金葉集 大治元年(1126年)は、あまりにも有名。

 

 

 

〇 昨日(3月23日)早朝、大阪を発ってお彼岸の墓参り

 に田舎へ行った。

  田舎の家に着く途、思ひついて撮ってみたのが以下の

 写真。

 

  写真の上でクリックすると、拡大します

 

 写真下:国道9号線沿ひに立ってゐるPR看板。

Ts3r0008_2

 

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 写真下:JRバス生野の里バス停留所と傍らにある石碑

     (裏は歌碑)。

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 写真下:生野の里の案内板と本陣もあった街道(宿場)の新旧写真。

Ts3r0013

 

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Photo

 

〇 旧写真の右端の家(江戸時代は桶屋だった)の佇まひは、

 90年後の現在も殆ど変ってゐない。

 

                        をはり

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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  • 140 シンフォニーホール前の並木道
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