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2014年10月29日 (水)

-天皇皇后両陛下傘寿記念- 正倉院展を観る。

 

○ 昨日(10月28日)、正倉院展を鑑賞した。本年の出陳

 宝物は、59件で、両陛下のご長寿を寿ぐやうな、華やか

 な宝物が多いやうだ。

 

  囲碁が趣味の小生は、やはり囲碁関連の宝物(2件)に

 興味を持った。

 

 その1.桑木阮咸(くわのきげんかん)

 

  円形の胴を持つ四絃の楽器で、中国製と推定される。阮咸とい名前は


「竹林七賢人」の一人で琵琶の名手とされる阮咸に由来するといはれ

 ゐる。


  胴の中央にある模様は、八弁の赤い花を描き、その中に描いた松や

 竹の下で、囲碁を楽しむ3人の高士が描かれてゐる。(写真下)

20141029_3

 

           部分絵:(近赤外線撮影)クリックすると拡大する。20141029_4

 

 

 その2.緑地錦碁局覆(みどりじにしきのききょくのおほひ)

Photo_2
  六弁花を五の目に配し、間に2羽の綬帯を咥へた鳥を

 表した錦を用ゐ、箱状の覆ひとしてゐる。

 

  明治時代に、碁盤を保護するための覆ひと推定された

 ため、この名称がついた。本来の用途は不明。平面的な

 姿でなく、当初から立体的な形状を留めてゐるのは貴重

 である。  (縦48、横66、高23)

 

 その他1:衲御礼履(のうのごらいり)

 

20141029_6

 

   爪先が反り上がって、先端は二つに分かれてゐる。

 白い厚革を芯材として、表面には赤く染めた牛革が、

 内面には鹿革の白革が用られてゐる。表面に13箇の

 花形の飾りを取付け、装飾を加へてゐる。内側には、

 手のこんだ内布と底敷きがある。


  この履物は、大仏開眼会(かいげんえ:752年4月

 9日)で、聖武天皇が履かれたものと推測されてゐる。

  なほ、履箱が付属、出品されてゐる。

 

 その他2 :鳥獣花背方鏡(ちょうじゅうかはいのほうきょう)

 

20141029_005 

             写真をクリックすると拡大する。 

 

   正倉院に納められた多くの鏡の中で唯一の四角い鏡。

 まず一見して驚くのは、白銅の輝きが今でも保持されて

 ゐる見事な鋳造技術である。鳥の羽根先の繊細さ、葡萄

 (ぶどう)の粒、獅子の形や表情・・。白銅の成分から

 中国・唐で作られたもののやうだが、現在日本の鋳造

 技術でも制作は至難のやうだ。

 

○ 正倉院御物を観て感じ入るのは、それが単なる過去の

 宝物ではなく、1250年以上前の天平人の息遣ひを

 もって迫って来ることである。

 

 今年も、天平時代を身近に感じるひとときを持てて感謝。

 

                     をはり

 

 

 

 

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