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2014年10月21日 (火)

大下 弘 選手のカラーポスター

 

○  古いプロ野球選手の話。皆さんは背番号 3 と言へば誰を

 イメージしますか?西鉄黄金期の四番バッター大下弘選手?

 九連覇時代の巨人の四番バッター長嶋茂雄選手?

 

  日本のプロ野球が今日のやうに繁栄を迎へるために、この

 二つの背番号3は大きく貢献しました。

 

  大下が廃墟からの英雄、長嶋が高度経済成長期の英雄と

 して君臨し得たのは観客に共感と感動を与へるその「佇ま

 ひ」にありました。プレー中のみ ならず静止してゐる時で

 すら、その姿は美しかったのです。

 

○ 小生(弥吉)が野球に熱中し始めたのは昭和24年(小学

 5年)でした。川上の赤バット、大下の青バットの時代

 でした。

 

  大下選手を見たのは昭和24年10月11日(火)のこと

 です。福知山市営球場に於ける、東急フライヤーズvs大陽

 ロビンス戦を観に行きました。

  東急の3番打者で守備はレフトの大下選手は子供好きで、

 毎回守備につく都度、フェンスに齧り付いてゐる我々子供の

 間近まで来て、ニコニコ笑ひながら 話しかけてくれました。

  その屈託のない大下選手の笑顔が未だに忘れられません。

 

  生家(福知山)にある当時小生が使ってゐた部屋の片隅

 には、65年後の今も、大下選手の華麗な打撃フォームの

(すっかり くすんだ)カラーポスターが貼ってあります。

        (下の写真)

 

Photo

Photo_2

〇 2階の奥にあるこの和室は、50年以上 誰も使用して

 ゐません。

・                               

                      をはり 

 

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