野球殿堂入りなるか 元毎日オリオンズ榎本喜八選手。
〇 3年前の(2012年)3月14日・・・。プロ野球で、神の領域
に限りなく 近づいた男が逝くなった。 2度の首位打者に輝き
生涯安打 2314本を叩出した伝説化せる強打者、元毎日オリ
オンズ榎本喜八選手だった。
享年75才、後継球団(千葉ロッテマリーンズ)が訃報を公表し
たのは半月後だった。偶然乍、没年月日と生涯安打の数字が一
致してをり運命的だ。
まずは、現役時代の打撃フォーム(写真)を篤とご覧あれ。
偉大な打者 榎本喜八。
その本質は、只管に野球道を追ひ求めた孤高の、そして
努力の、しかし不世出の天才打者だった。気障な言ひ回し
をすれば、彼は究極の打撃を求めて未知の曠野を彷徨ひ
歩いた求道者だった。
〇 略歴(1936.12.5~2012.3.14)東京・中野区出身、早実高校卒
’55年に毎日オリオンズ入団。プロ入り時点で、既にハイレベルの打撃術
を身につけてゐるとの 高い評価で、評判に違はず新人王を獲得。打撃
の特徴は、バットを長く持ってフルスィングする、抜群の選球眼を持ち、
好球必打ができ、三振が少ない、小柄だが、長打力がある、ボールの
真芯に当たるのでライナー性の強烈な打球が多い、軸が全くぶれない
美しい打撃フォーム..etc.
現役時代から人と交はらず、内向的で引退後、野球界との付き合ひを
一切絶った。名球会には不参加を貫いた。
≪主な記録≫
初出場(’55.3.26) 最終出場(’72.10.4)
首位打者 2回(’60、’66) 最高出塁率 2回(’60、’66)
最多安打 4回(’60~’62、’66) 新人王 (’55)
ベストナイン 9回
オールスターゲーム MVP 1回(’66)
1000本安打 24才9ヶ月での達成は、史上最年少記録。
2000本安打 31才7か月での達成は、NPB史上最年少記録。
〇 榎本は早実の6年先輩 荒川博の一番弟子だった(二番
弟子は王貞治)。荒川の紹介で合気道を学び、’60年には
首位打者を獲得、’62年12月には居合(いあひ)を教はり
始め、翌年7月には後述するやうな「神の域」に達することに
なった。
〇 如何に彼の打撃が凄味のあるものだったか。
同時代の一流野球人の感想から推測してみる。
川上=「打撃の神様」の称号は自分でなく榎本が最も
相応しい。
野村=あんな恐ろしい打者には後にも先にもお目に
かかったことはない。
張本=首位打者を7回獲ったが、一騎打ちで争ひ負けた
のは榎本さん只一人だった。
西本監督=一番正確な打者は誰だと聞かれたら躊躇なく
榎本と言ふ。
荒川=お客さんを喜ばせるプレーができて初めて「芸」の
域に達する。まず「技」があって、その上に「術」が
ある。「芸」はその上なんだ。「芸」の域に達した
選手には川上さん、藤村さん、長嶋、王、金田(正)
もさうだ。
「芸」の上が「道」を極めるだ。野球でそれに挑戦
したのは榎本だけだった。
写真下:昭和35年初の首位打者獲得(中)、MVP山内(右)、最多勝利小野(左)
写真下:昭和43年 2000本安打達成の記念ボールを手にニッコリ。
〇 神の域への道。
榎本の師匠・荒川博は、合気道にうちこんで「合気打法」を
開発しかかってゐた。その「荒川道場」に入門した若い頃の
榎本について、荒川は「誠に真面目な男で、求道心の固まり
のやうなところがあった。私の家に来て、私が『もうよい』と
言ふまで何百回もバットの素振りをし、姿勢、間の取り方、
足腰の位置などを徹底的に研究する毎日だった。
昼間から庭で素振りをしてゐた榎本のことをつい忘れて
しまひ、深夜に思ひ出して庭をみると榎本はまだバットを
振ってゐたこともあった」と。
〇 野球殿堂入りについて。
「野球殿堂」は、プロ野球などで顕著な活躍をした選手や
監督・コーチまたは、野球の発展に大きく寄与した人物に対
して、その功績を称へ、顕彰するため創設されたものである。
現在、野球殿堂入りを果たした方々を一覧して、何故、
榎本喜八の名がそこにないのか不思議でならない。
野球殿堂は、殿堂入りを果たすに十分且つ顕著な活躍
をし乍、あまりにも真面目で純粋に野球に取り組んだが為、
人との交はり方を身につけ得なかった古い型の職業野球人
を排除するのか。
〇 榎本は、冒頭に記した様に、2012年3月、75歳で誰
にも知られず静かに逝去した。それまで忘れ去られ、候補に
も挙がったことのない名前が、急にスポットを浴び、201
4年に突如49票の支持を得た。翌2015年の野球殿堂
入り選考で競技者「エキスパート表彰候補」19選手の中で、
トップ投票を得たが、有効投票の75%(81票)に達せず、
外れてしまった。
榎本は、2016年もエキスパート表彰候補者13名の
トップに名前が挙がってゐるが、既に引退後40余年を経て
をり、投票権者で榎本の現役時代の姿を見たこともない人が
増えてゐる現状、2016年1月18日は、榎本喜八選手の
野球殿堂入りの最後の機会になるであらうから、是非とも、
全員、5名連記の一人に 榎本喜八 と書いて欲しい。
〇 天才と更なるあくなき探究心が生み出した打撃術で、多く
のファンと同時代の選手達に鮮烈な印象を与へ続けた
「榎本喜八」の名前と像を野球殿堂にどうしても残したい。
をはり
・
・
2016.01.18追記。本日、今年の野球殿堂入りが発表され、榎本喜八選手の野球殿堂入りが決定しました。 (同日付、「元毎日オリオンズ榎本喜八選手 野球殿堂入りなる!」も是非、ご覧下さい。) 左サイドバーにあるカテゴリー欄のスポーツをクリックして下さい。
« 初冬の二上山 | トップページ | 元毎日オリオンズ 榎本喜八選手(故人) 野球殿堂入りなる! »
「スポーツ」カテゴリの記事
- 大相撲九州場所初日に妖精!(2021.11.14)
- 大相撲名古屋場所の溜席に「妖精」現はる!(2021.07.10)
- 元毎日オリオンズ 榎本喜八選手(故人) 野球殿堂入りなる!(2016.01.18)
- 野球殿堂入りなるか 元毎日オリオンズ榎本喜八選手。(2015.12.23)
- 大下 弘 選手のカラーポスター(2014.10.21)
松井浩氏の「打撃の神髄 榎本喜八伝」を以前読みましたが、
私もずっと野球殿堂入りされていない事が疑問だったので、
是非殿堂入りしてほしい。
川上哲治、山内一弘に次いで、日本プロ野球で3番目に
通算2,000本安打を打った名打者です。
しかも達成時は31歳7か月でこれは2015年12月時点でも
日本プロ野球最年少記録。
(イチローは30歳7か月で達成しているが日米通算。
イチローの記録も偉大だが、渡米してから安打数を増やした事を考えると、
試合数も多く常に勝負してくるメジャーの投手に対して、
主力打者には勝負を避けがちな日本プロ野球だけでの榎本の記録は偉大だ)
昭和30年代半ば、田宮、榎本、山内、葛城のミサイル打線を擁す大毎オリオンズは
打撃技術および打撃理論においてプロ野球界でも一歩先を走っていたと思います。
榎本喜八を合気打法により育てた荒川博はオリオンズ退団後、
榎本を育てたことを買われ、巨人の打撃コーチに就任する。
王貞治に合気打法を伝授し、一本足打法を体得させ、
後の “世界の王” を育てたことが有名だが、
その前の榎本を育てた実績なくして、巨人には迎え入れられなかっただろう。
そう考えると “榎本” がいたから “世界の王” が生まれたとも言える。
投稿: 合気打法 | 2015年12月31日 (木) 15時49分