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2016年1月18日 (月)

元毎日オリオンズ 榎本喜八選手(故人) 野球殿堂入りなる!

 

 

○  今年(2016年)の野球殿堂入りが本日(1月18日)発表され、

 

 エキスパート表彰で榎本喜八氏が選出された。過去2年間、該当なし

 

 だったが(榎本氏の獲得投票数は、昨年1位=66票、一昨年2位

 

 =49票で、有効投票者数の75%に達せず)、漸く、榎本喜八選手の

 

 名前が野球殿堂に飾られることとなった。見巧者には、打撃部門に

 

 限って言へば、彼の名前のない野球殿堂など、気の抜けた山葵(わさび)

 

 のやうなものだった。野球殿堂も、少しは、背筋の通った殿堂になった。

 

 

 

○ エキスパート部門の投票結果 (有効得票数110、当選必要数83)

 

   ①榎本喜八 83②平松政次 70、 ③星野仙一 69、 ④権藤博 以下略

 

 

〇  前エントリー「野球殿堂入りなるか 元毎日オリオンズ榎本喜八選手」

 

 (2015.12.23付)をアップして以来、歳末から年始にかけて、本ブログへの

 

 来訪(閲覧)が随分あった。投票権者の何人かが来訪され、一人でも

 

 投票に影響を受けてゐてくれれば、うれしい限りなのだが・・・。

 

 

 

              打撃フォームの見本と称賛された往年の榎本選手。  

 

Photo

 

○  榎本喜八選手の2年先輩、西鉄ライオンズ黄金時代の主軸打者

 

 豊田泰光選手(昭和28年プロ入り)は、同時代のパ・リーグ打撃争ひ

 

 でライバル関係にあった。

 

  豊田氏は、引退後 TVやラジオ解説をする傍ら、新聞・雑誌等に辛口

 

 の評論コラムを書いて好評だった。その豊田氏が、榎本喜八の没後に

 

 「名人は何も残さず」と題する心のこもった追悼文を日経新聞の連載

 

 コラムに掲載してゐます。榎本喜八の神髄を表はした素晴らしい文章

 

 なので紹介します。

 

 

 

 

 

        平成24年4月5日付日経新聞コラム チェンジアップ

 

 

 

             「名人は何も残さず」

 

 

 

  通算1000本安打、2000本安打達成の最年少記録を持って

 ゐた榎本喜八(毎日=現ロッテなど)がなくなった。テレビの番組

 で張本勲が川上哲治さんと並ぶ偉人として挙げたさうで、これは

 もう誰もが認める天才だ。打撃に関し、あれほど純粋で情熱的な人

 をほかに知らない。一塁守備についてゐても、気になるのは打撃で

 ついつい構へてゐることがあった。

 

  技術において、その右に出る者はゐないのに、私などにもしきり

 に意見を求めてくるのだった。

 

  打撃の神様と並ぶ人に、私が何を教へられるといふのか。うかつ

 に答へると突っ込まれて、延々と話が続くので参った。わたしの

 情熱などは彼の探究心と比べたら10分の1にも満たなかった。

 

  孤高の人は周囲から敬遠されがちな面があった。しかし、榎本の

 いくところ、常に少年たちが群がっていた。守備中に打撃のポーズ

 を取ってゐるやうな選手は、一緒に守ってゐる仲間には少々迷惑

 だったらう。

  それだけ夢中になれることのすごさを子供たちだけは知ってゐた。

 

 「児戯に等しい」といふ言葉がある。あまりいい意味では使はれ

 ないが、野球こそは堂々たる児戯だ。

 

  その原点に立つ榎本に引かれて、子供たちが野球場に行ったのも

 わかる。あれくらい本気で遊べてゐる選手が今、ゐるだらうか。

 

  引退後はもうユニホームを着なかった。コーチとしてあの技術を

 伝授しなかったのは残念だったけれど「何も残さない」といふこと

 は名人として当然の成り行きだったのかも知れない。

 

  常々私は野球の技術は十人十色、一人一理論だと思ってゐる。

 いろいろ学びはしても、最後は自分の体に合った自分だけの技術を

 身につけなけれならない。顔が悪いからといって他人の顔を借りら

 れないのと同じで、技術も一身専属だ。

 

  名人といはれても、他人に教へられるものではないし、また教は

 って覚える技術は本物でない。そんな技術の奥底をうかがひみた人

 だからこそ、足跡一つ残さぬやうにして去って行ったのでは

 なかったか。

 

             以上、日経コラム チェンジアップより。

 

 

  野球殿堂入りの対象者(候補者)選出基準や、表彰者選挙基準には

 

 不可解な点が多い。何故こんな選手が候補者に挙がってゐるのか、如何

 

 してこの選手がもっと早く選ばれないのかとゐった疑問も多い。

 

  当面の問題は、名球会復帰も果たした 江夏豊選手は候補者にも名前

 

 が挙がってゐないが、彼が候補者に選考される環境を選考委員が如何

 

 したら整へられるかだらう。

 

  投手部門に限って言へば、江夏豊の名前のない野球殿堂など気の

 

 けたビールに過ぎないのだ。野球を愛好する日本人なら、江夏豊選手

 

 活躍した’67~’84年の18年間に、彼によって齎された血沸き肉躍る

 

 試合のシチュエーション・野球の醍醐味を決して忘れてゐないだらうから..。

 

 

                                   をはり      

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