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  • 650 NHK杯 最後の雄姿。
     村山聖について、彼の師匠森信雄七段は後年 彼について こう語った。「私が村山聖を好きなのは、将棋にひたむきだったことと、病気のことも含めて一切グチを言わなかったことである。無念さや切なさ、遣り切れなさ、口惜しさ..その思いをすべて黙って将棋にぶっつけていたような気がする。」    聖は幼時より腎臓に重い疾患を持っており、生きること自体が闘いであった。いつまで生きられるかという思いを心の片隅に置き、名人を目指して指す彼の将棋は その必死さ において尋常なものではなかった。

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2016年3月の投稿

2016年3月 1日 (火)

 -苦々しい 日本語の乱れ-

 

 

        2015.10.04 フィリーズ戦の8回、マーリンズ4番手の

           投手としてメジャー初登板したイチロー投手。Photo

 

○  イチロー、将来は得票率95%超で米殿堂入り?「彼の

 数字は常軌を逸してる」

 

  これは、過日、ある“野球・MLBの総合コラムサイト”を

 見てゐたら、目に飛び込んできた記事の見出しで、マーリ

 ンズ最古参の番記者の発言を訳したものだ。

  番記者はイチローの安打数や盗塁数が偉大だと言ってゐ

 るのに、日本の訳者は日本語の使ひ方を誤ったのだ。

 

  「常軌を逸する」の用法は、悪い性質や状態を表現する

 場合であって、用例 「ーー振る舞い」のやうに使用する。                                    

 

 

○ 「生き様(ざま) ・・・ 「死に様」からの連想で使は

 れだした語で、用法は“凄まじいまでのーーー”のやうに、

 その人の生きる態度(姿勢)を表はす肯定的な意味での使

 用法だ。然し、’90年代以前の辞典には、「死に様

(ざま)」しか記載されてゐない。「死に様」を転用した

 新しい言葉なのだらうが、本来、「様(ざま)」とは、

 「無様(ざま)」、「この様(ざま)」、「様(ざま)みろ」

 のやうにあまり良くない意味合ひを含む言葉なので

 として恥じず無神経に使用するマスコミ・芸能人などの

 気が知れない。「生き様(ざま)」は使ひたくない

(定着して欲しくない)言葉の一つである。

 

○ 「憮然(ぶぜん) :「憮然たる面持(おももち)で」

 の意味を問ふ調査(H19年文化庁)をみると、①腹を立

 ててゐる様子・・・70.8%、②失望してぼんやりし

 てゐる様子・・・17.1%といふ結果が出てゐる。

  本来的には、「憮然」は、失意のさまを表はし、悵然

 (悲しみ嘆くさま)憫然(憐れむべきさま)に近い意味

 の言葉なのだ。従って、用例としては、「---として

 溜息ばかり吐(つ)いて」のやうに使用して欲しいもの

 だ。

 

○ 「姑息(こそく) : 用例 「姑息な手段」 ・ “その

 場しのぎの手段でごまかさうとする”など、良くない

 場面で多用されてゐるため、卑怯、不正の意味を強調

 する誤った使用例が多い。本来、「姑」は、“しばらく”、

 「息」は“休息”の意味だから、「一時の間に合はせ、その

 場しのぎ」の意味に限って使用して欲しいものだ。

 

                       弥吉

 

 

   

 

 

 

 

 

 

 

 

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