故村山聖九段の写真 ⑦ (前田アパート と 奨励会卒業・四段へ)
○ ’84年4月(中学2年)、村山さんは中学生として
生活のリズムを正す為、広島の実家へ帰り、府中中学へ
転校。月2回の奨励会(対局)へは、新幹線で大阪へ通った。
生活のリズムを正す為、広島の実家へ帰り、府中中学へ
転校。月2回の奨励会(対局)へは、新幹線で大阪へ通った。
○ ’85年3月、府中中学校卒業。(奨励会1級)
同 年 8月、初段に昇段。
○ この年、大阪の将棋会館近くの“前田アパート”に一部屋
同 年 8月、初段に昇段。
○ この年、大阪の将棋会館近くの“前田アパート”に一部屋
を借り、一人暮らしを始めた。
写真下:浦江公園西側にある(写真中央の建物)1階三谷工業の左斜め上の窓の部屋。
(写真の上で、クリックすると、画面一杯に拡がります。)
(写真の上で、クリックすると、画面一杯に拡がります。)

写真上:路地の角に立つ村山さん。(撮影者 故 炬口勝弘氏)
○ ’86年1月、二段に昇段。同年7月、三段昇段。(17歳)
’86年11月、四段に昇段、プロ・デビュー。
(病気不戦敗が度々あるにも不拘、奨励会在籍
2年11ヶ月は、谷川、羽生を超えるスピード出世。)
写真下:同時に四段になった神崎健二四段との記念写真。
撮影者 故 池崎和記氏
写真下: 将棋マガジン1987年2月号、村山聖新四段の自戦記より(部分)
写真下: ’87.6.19初の上京対局(西村八段戦) 撮影者 故 炬口勝弘氏 写真上:対局中の表情。
生命を賭けているように、
鋭い目と引き締まった口許。
○ 東京での対局が多くなり、棋士の控室「桂の間」では、東の羽生、西の村山 との評判が高まった。
・
・
・
« 故村山聖九段の写真 ⑥ (森信雄師匠との出会いー奨励会入り) | トップページ | 故村山聖九段の写真 ⑧ (前田アパート その2 と 五段昇段) »
「故村山聖九段」カテゴリの記事
- 故村山聖九段の写真 ⑭ (永遠の別れ)(2018.08.08)
- 故村山聖九段の写真 ⑬ (癌再発・次期 休場決意)(2018.08.03)
- 故村山聖九段の写真 ⑫ (A級復帰 )(2018.08.02)
- 故村山聖九段の写真 ⑪ (A級 八段へ ・ 東京住い ・ 帰郷)(2018.08.01)
- 故村山聖九段の写真 ⑩ (七段時代)(2018.07.30)
« 故村山聖九段の写真 ⑥ (森信雄師匠との出会いー奨励会入り) | トップページ | 故村山聖九段の写真 ⑧ (前田アパート その2 と 五段昇段) »
コメント