マイフォト≪聖の闘魂≫   ↑ここをクリックして下さい

  • 650 NHK杯 最後の雄姿。
     村山聖について、彼の師匠森信雄七段は後年 彼について こう語った。「私が村山聖を好きなのは、将棋にひたむきだったことと、病気のことも含めて一切グチを言わなかったことである。無念さや切なさ、遣り切れなさ、口惜しさ..その思いをすべて黙って将棋にぶっつけていたような気がする。」    聖は幼時より腎臓に重い疾患を持っており、生きること自体が闘いであった。いつまで生きられるかという思いを心の片隅に置き、名人を目指して指す彼の将棋は その必死さ において尋常なものではなかった。

マイフォト≪因島紀行≫ 

  • 050 地酒「本因坊秀策」
    碁聖 本因坊秀策の生誕地を訪ねて  アルバム(表紙)      上の写真は、村上水軍城
無料ブログはココログ

« 2018年7月 | トップページ | 2018年9月 »

2018年8月の投稿

2018年8月 8日 (水)

故村山聖九段の写真 ⑭ (永遠の別れ)

 

○ 現在、村山聖ファンが、村山さんの対局する姿を観ることができる

 最後の対局(絶局)は、前エントリーに載せた’98年(平成10年)3月

 30日の木村一基四段(当時)との王位戦 でした。表現の仕様がない

 ほど陰翳に富む良い写真でした。 再度、掲載致します。



     (写真は何れも、写真の上でクリックすると、画面一杯に拡がります。)

 

98330vs

 


○ 最後に、村山さんの思い出深い写真をアトランダムに掲載します。

 

Ts3r0011

 

Ts3r0044

 

Ts3r0032

 

 

 

 

 

Ts3r0034

 

89h162

     写真上:’89.6.2 棋譜並べ、五段。

 

     写真下:’91.2.14 京都・詩仙堂で、五段。2枚共、撮影者 森信雄師匠。91214

 

Photo

 

93114

 

写真上:撮影者 弦巻勝氏。 写真右上:対局開始を待つ。六段。撮影者 故中野英伴氏

 

Photo_2

 

Photo_3


  この写真2枚は、村山ファン

 

 にとって、只、眺めているだけで

 

 幸せになります。


 撮影者 森信雄師匠。



○ ’98年5月18日、村山さんは、広島市民病院特別室に入院。
                              (名札 不掲示)

○  同 年6月15日、29歳の誕生日。その日、主治医より、癌の

              肝臓への転移を知らされる。

○ 8月7日、朝から大量の汗を掻く。


○ 8月8日、血圧と体温低下。遠ざかる意識の中で将棋を戦う。

        将棋の符号を諳んじ始めた。「8六歩、同歩、8五歩

        ・・・」 そして、その声は 「2七銀」 で止まった。


        午後0時4分、心臓停止。11分に死亡を確認。


Photo_6

                     写真上:日本将棋連盟の棋士データベースより。

 

Kimg0825_2


○ 写真上(
将棋世界’98年10月号・特別追悼号)の最終行の空白(死去)を

 見て、渇仰した「名人」へ 手の届く A級在位の儘、遠く宇宙の彼方

 へ飛び立って行ってしまったこと、そして 村山さんは もう永遠に還っ

 て来ないこと を自らに言い聞かせた。                     

                         弥 吉


                                                                  
おわり

 

 

 

 



  

   



 

 





 

 

 

 

 

 

 

 

 


 


 


 

 

 

 

2018年8月 3日 (金)

故村山聖九段の写真 ⑬ (癌再発・次期 休場決意)


○ ’98年2月16日、第47回NHK杯準決勝戦(vs島 朗八段)に勝ち、
              決勝進出。

98216nhk_31

写真左

 解説者は、羽生善治四冠(当時)

 聞き手は、藤森奈津子女流二段(同)

 対局は、勝利したが、後日、再放送

 を観ると、村山さんの顔つきが冴えず

 かなり体調不良にみえる。




○ ’98年2月19日、広島へ帰った村山さんは、癌の再発をつげられる。

○  同 年2月21日、前日東京で棋聖戦対局を済ませ、大阪へ戻って

              きた村山さんは、独断で次期の休場を決意する。



○  同 年2月28日、第47回NHK杯決勝戦(vs羽生善治四冠)。

98228nhk

                  写真撮影者 故 中野英伴氏


   対局は、村山さんの優勢裡に最終盤を迎えたが、秒読みに追われた

 村山さんの失着があって、羽生善治四冠が勝利し優勝カップを手にした。

98228nhk_2

Nhk

写真上:終局後の感想戦。


写真左:村山さんは準優勝に終わった

表情は穏やかで、「優勝するはず

だった
のですが、ポカをやてしまい

した」と、にこやかに微笑んでいた。



○ 村山さんが畏敬する羽生さんとの公式対局は、6勝7敗で

  終わった。




○ 村山さんは、2/28の羽生さんとのNHK杯の後、3月に入って

 5局指している。6日に竜王戦(vs森下)、13日に順位戦最終局

 (vs青野)、16日王位戦(vs日浦)、24日棋聖戦(vs森内)、30

 日に王位戦(vs木村)である。


 そして5局に全勝している。しかも、すべてが名局。

98330vs
写真上は、3/30の第39期王位戦挑戦者決定リーグでの木村

一基四段(当時)との村山聖八段の絶局、最後の対局姿である。



                                  つづく。


  6/15から始めた本写真シリーズの最終回⑭は、村山さんの命日である
  
 8月8日に掲載します。

                              弥吉  拝



 

2018年8月 2日 (木)

故村山聖九段の写真 ⑫ (A級復帰 )

○ ’97年4月18日、A級復帰を目指して広島大付属病院に
              入院。排尿手術をする。

○ 同 年6月16日、棋戦復帰のため、膀胱と前立腺摘出
              手術をする。(8時間半かかる)

○ 同 年7月14日、順位戦(対丸山七段戦)に、看護婦付き
              で出場。

○ 同 年8月 1日、広大病院を退院。
              7日以降、大阪の前田アパートを本拠地
              として棋戦に参戦。



写真下:’97.9.20 弟弟子 増田裕司新4段昇段祝賀会で。

97920

Kimg0876
写真上:広島・呉での老人会多面指し。

97nhkvs

写真左:’97年度NHK杯トーナメント

(郷田六段vs丸山六段戦)の解説者

として出演。

聞き手は、山田久美女流二段。




   棋戦の合間には、上のように西に東にとハードな活動をこなした。

  月に1度は、定期健診で広島へ帰った。

Photo

                  写真上:撮影者 故 炬口勝弘氏



○ 棋戦は、東京と大阪で半々あり、毎月4~6局をこなした。

 何としても、A級に昇り、名人を目指したい。村山さんは必死だった。


○ ’98年2月13日、順位戦第11回戦で田丸昇八段に勝ち、A級

  復帰が決まった。大手術の困難を乗り越え、名人への道を一歩

  踏み出した。


                              つづく。




 




              

2018年8月 1日 (水)

故村山聖九段の写真 ⑪ (A級 八段へ ・ 東京住い ・ 帰郷)

○ ’95年3月、第53期順位戦 9勝2敗でA級昇級、八段へ。

   同 年 4月、大阪の住い(前田アパート)は其の儘にして、

   優秀な若手棋士の集中する東京へ居を移した。(25歳)

95422_2

95422_3

写真左・上

 ’95.4.22 大阪・上六Mホテルに

 於ける八段昇段祝賀会での挨拶等。

 (写真2枚:撮影者 森信雄師匠)






○ 村山さんの東京での生活は、大阪時代と何等変わらず。

 アパートと将棋会館と定食屋・本屋をグルグル巡った。

  将棋会館四階の桂の間では、いつも村山さんが中央に

 どっかり座り、検討や議論の中心となった。

9526_2_2

○ 村山さんは、森師匠の兄弟子

 にあたる滝誠一郎七段を慕って

 いた。

  滝七段の薦めで、買った派手

 なアロハシャツとサングラス姿

 で将棋連盟に現れることも

 あった。

写真左:’95年(26歳)頃。森師匠の
      ブログより。











○ ’95年度順位戦は、A級維持。順位戦で谷川九段に初勝利。

  同年秋(10~12月)、A級順位戦を含め11連勝する。(26歳)

9631_2

9631h7_2

写真上:’96.3.1順位戦最終局。
      (対森内八段戦)

写真左:同上対局の合間に控室で
     一息入れる村山さん。
(写真2枚、将棋世界’98/10号より)




○ ’96年度は、10,11月に8連勝、日本シリーズは決勝迄

 進出、王将リーグは独走で、羽生七冠への挑戦権を略 手中。

  しかし、血尿が出始め、止まらなくなり、成績も急降下した。


 村山さんは、東京から撤退し、広島へ帰る決意をした。


96121517jt_2

961215

○ 第17回将棋日本シリーズ
 決勝戦(’96.12.15 対谷川戦)
 は敗れ、準優勝に終わった。






○ ’97.2.1 第30回早指し選手権で優勝。(vs田村康介四段)
           
              
写真下:将棋世界より’98/10月号より。

9721

9721_2

972130


  写真上は、7年振りの棋戦優勝を喜ぶ村山さん。村山さんは

 若手棋士に人気があり、多くの棋士が表彰会場に駆け付けた

 が、村山さんは体調が今一歩だったのか、早々に姿を消した。


○ ’97年2月7日、村山さんは、1年半過ごした東京を引き払い

 独り、
広島へ帰郷した。




 ’97年3月3日 A級順位戦最終局に敗れ 次期B級1組に降下。

                                 つづく。

 

 

 

     

 













  





 

 

« 2018年7月 | トップページ | 2018年9月 »

マイフォト≪聖の青春≫   ↑ここをクリックして下さい

  • 140 シンフォニーホール前の並木道
    故村山聖九段のアルバム (表紙)   ↓ アルバムへ入る をクリックして下さい。