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  • 650 NHK杯 最後の雄姿。
     村山聖について、彼の師匠森信雄七段は後年 彼について こう語った。「私が村山聖を好きなのは、将棋にひたむきだったことと、病気のことも含めて一切グチを言わなかったことである。無念さや切なさ、遣り切れなさ、口惜しさ..その思いをすべて黙って将棋にぶっつけていたような気がする。」    聖は幼時より腎臓に重い疾患を持っており、生きること自体が闘いであった。いつまで生きられるかという思いを心の片隅に置き、名人を目指して指す彼の将棋は その必死さ において尋常なものではなかった。

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  • 050 地酒「本因坊秀策」
    碁聖 本因坊秀策の生誕地を訪ねて  アルバム(表紙)      上の写真は、村上水軍城
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2020年3月の投稿

2020年3月30日 (月)

櫻・花見に出かけられない方々へ。

 

令和2年3月30日

〇 新型コロナウィルスの世界的拡散が急で、各界の著名人まで、感染

 入院や死亡の報が届き始めた。感染・死者急増中の米・ニューヨーク市

 の現状を考慮すると、日本でも2、3週間以内に大都市に於いて、感染

 爆発する危険性を孕んでいる。


〇 感染蔓延が各所に及んでいるが、感染経路が特定できない感染者が

 増加しているので、要注意である。日本人各人が、毎日の生活の中で、

 感染・死と向き合っていることを牢記し、節度ある行動に徹すべきである。


〇 ウィルスが治まるまでは、大勢集まる行事を行わない、大勢集まる

 処近寄らないことが肝要である。  


〇 時、将に花見の季節。万朶の櫻花の下、酒気を帯びて蹣跚と歩き度き

 御仁もあろうが、以下の写真を眺め、ぐっと自重の日々を送って欲しい。

 写真下:真っ青な空との見事な櫻(PL)。
20150402-015

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201803306
201803307

もっと、写真を見たい方は、本ブログ左欄のカテゴリー(花見・PLなど)

をご覧下さい。

                         おわり 

2020年3月26日 (木)

宮城まり子さんを偲ぶ。

 

令和2年3月26日

〇 3月21日に、嘗ての人気女性歌手 宮城まり子さんが逝去された。

 93歳の長寿だった。


〇 思えば、昭和31年(64年前)の今日(3月26日)、東京の日劇

 「春のおどり」の実演で、人気絶頂の彼女が唄う「ガード下の靴みがき」

 を聴いた。小生が、高校3年生(18歳)になる年だった。

写真下:日劇 春のおどり のパンフより。
    若い日のダーク・ダックスもゲスト出演している。

  (写真の上でクリックすると、画面一杯に拡大します。) 

Photo_20200324215801

Photo_20200324215901

〇 彼女は、幼時に母との死別や父の事業失敗などがあって、不幸

 な過去を背負っていたため、戦時中に若くして芸能界に入っている。


〇 小生が彼女を知ったのは、昭和28年に歌手として「毒消しゃいらん

 かね」がヒットして有名になってからだった。無論、彼女の過去の苦労

 など何も知らなかった。


〇 あの華やかな日劇の大舞台で、しんみりと唄う「ガード下の靴みがき」

 は素晴らしく、大勢のゲスト歌手の中では群を抜いて光り輝いていた。


〇 この歌は昭和30年に発表され、江湖の好評を博し大ヒットしたが、

 戦後10年、上野駅などでは、まだ身寄りのない小・中学生の靴みがき

 が大勢居て、上野の森などを起居の場としていた。


〇 彼女は、それから10余年の後には社会福祉方面に転身するのだが、

 その後の歩んだ長い道程(みちのりについては詳しくは知らない。


〇 今年82歳になる小生にとって、宮城まり子さんと日劇の華麗な舞台

 は、64年も前のこと乍、未だに瞼に焼き付いて離れない。

                            おわり

 

 

 

 

 

 

2020年3月 4日 (水)

早春の雨に烟る二上山

令和2年3月4日

20200304-113100
  写真上:小雨に烟る二上山 (太子町の拙宅庭で午前11時41分)

〇 明日は冬籠りの虫が這い出る“啓蟄”なのに、朝から肌寒い。

〇 早春の小雨のなか、靄に烟る二上山も中々趣がある。思わず

 カメラを向けた。

 

 尚、余談乍、

〇 二上山は、万葉集に「ふたかみやま」と詠まれ、様々な歴史の

 エピソードに彩られた著名な山である。古代、謀反の疑いで非業

 の死を遂げた大津皇子(おおつのみこ)の墓が雄岳の頂上にある

 ことでも知られる。

〇 二上山は死火山だが、火山活動によって出来た岩石は、古代

 以前から日本人の生活に多大な役割を果してきた。割ると鋭い

 刃物状になるサヌカイト石は、石器の原材料として利用された。

 また、凝灰岩は、古墳時代に家形石棺に利用された。金剛砂は、

 現在でもサンドペーパーなどの研磨材として利用されている。

 

〇 そして何と言っても飛鳥人にとって、西方に聳える霊山だった

 ことである。雄岳・雌岳の間に日が沈む様子から神聖な山岳として

 崇められてきたことである。

〇 また、遣隋使や遣唐使は、命がけで海を渡り、命がけで帰国して

 瀬戸内から大阪湾に入り、遥か東方茅渟の海の彼方に二上山の姿

 を眺めて、やっと懐かしい日本に帰還出来たことを実感したのである。

                           

                             おわり 

 

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  • 140 シンフォニーホール前の並木道
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