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2020年3月26日 (木)

宮城まり子さんを偲ぶ。

 

令和2年3月26日

〇 3月21日に、嘗ての人気女性歌手 宮城まり子さんが逝去された。

 93歳の長寿だった。


〇 思えば、昭和31年(64年前)の今日(3月26日)、東京の日劇

 「春のおどり」の実演で、人気絶頂の彼女が唄う「ガード下の靴みがき」

 を聴いた。小生が、高校3年生(18歳)になる年だった。

写真下:日劇 春のおどり のパンフより。
    若い日のダーク・ダックスもゲスト出演している。

  (写真の上でクリックすると、画面一杯に拡大します。) 

Photo_20200324215801

Photo_20200324215901

〇 彼女は、幼時に母との死別や父の事業失敗などがあって、不幸

 な過去を背負っていたため、戦時中に若くして芸能界に入っている。


〇 小生が彼女を知ったのは、昭和28年に歌手として「毒消しゃいらん

 かね」がヒットして有名になってからだった。無論、彼女の過去の苦労

 など何も知らなかった。


〇 あの華やかな日劇の大舞台で、しんみりと唄う「ガード下の靴みがき」

 は素晴らしく、大勢のゲスト歌手の中では群を抜いて光り輝いていた。


〇 この歌は昭和30年に発表され、江湖の好評を博し大ヒットしたが、

 戦後10年、上野駅などでは、まだ身寄りのない小・中学生の靴みがき

 が大勢居て、上野の森などを起居の場としていた。


〇 彼女は、それから10余年の後には社会福祉方面に転身するのだが、

 その後の歩んだ長い道程(みちのりについては詳しくは知らない。


〇 今年82歳になる小生にとって、宮城まり子さんと日劇の華麗な舞台

 は、64年も前のこと乍、未だに瞼に焼き付いて離れない。

                            おわり

 

 

 

 

 

 

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