大東亜戦争戦死者への慰霊。
令和2年9月7日(月)
〇 小生(82才)の叔父(大正11年1月生まれ)は、昭和19年7月ビルマ
で戦死した。満22才だった。丹波の山奥にある尋常小学校高等科2年
卒業後、大手製糸会社尼崎工場で6年余勤務。赤紙が来たのは昭和
17年12月、20才。働き盛りの青年だった。
〇 その叔父達戦没者の慰霊碑が京都・霊山観音にあることを知り、昨日
(9月6日)、初めて霊前にお参りをさせてもらった。
写真下:京都・東山の麓にある霊山観音・本院
写真下:歩兵60連隊の慰霊碑 「千歳輝」 昭和42年4月建立。
〇 叔父が戦死したのは、小生が6才になる1ヶ月前。殆ど生活の記憶は
残っていないのだが、カメラを持っていた彼が生前撮ってくれたスナップ
写真、月刊雑誌、書籍、レコード類(歌謡曲、浪曲ほか)が大量に残って
いたのだ。
〇 小生は幼年時から小学校時代に、これを徹底的に読み、観、聴きした
ので、かなり ませた(大人びた)子供に成長してしていったのだ。
〇 小生がその後の人生において、学校では習わない諸々の知識・教養
を豊富に持ち得たのは、幼年時に得た知識が嚆矢となっているのだ。
〇 叔父の実母(小生の祖母)は、彼の戦死を信じなかった。戦後、戦没者
慰霊祭には参加しなかった。昭和42年4月に死去するまで、毎年の慰霊
祭開催通知は(弁当引換券と共に)タンスの奥に終われた儘だった。後年
(20年程前)、タンスにそれを見て、小生は祖母の思いに涙を禁じ得なか
った。
〇 亡き叔父は、初めて、自分の血の通った甥にお参りしてもらい、喜んで
くれただろうか。小生は、叔父へ感謝の念を伝え得て気が休まった。
おわり
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