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2021年1月 3日 (日)

千歳碑へ初詣

令和3年1月2日(土)

 

〇 京都・東山 霊山観音の傍にある千歳碑(旧陸軍歩兵

 第60連隊の慰霊碑)に初詣した。

 

写真下:殉国の英霊並びに大戦による犠牲者の冥福を

 祈念するため、昭和30年6月に建立された霊山観音。

20210102-1129051


写真下:旧陸軍第60連隊諸霊の偉勲を顕彰しその冥福を

 祈るため、昭和42年4月建立された慰霊碑 「千歳輝」

 碑。

20201004-104738

 

〇 小生(82歳)の叔父は、大東亜戦争敗戦の約1年前

 ・昭和19年7月25日にビルマ・インパール作戦の戦

 闘で戦傷死した。22歳の若さだった。

 

〇 亡き叔父の実母(小生の祖母)は、終生、我が子の

 戦死を信じなかった。遺骨一つ還って来ないのに、腹を

 痛めた我が子22歳の死を 村役場からの知らせだけで信じ

 られやうか。


〇 彼が出征したのは小生が5歳になる年で、生活を共に

 した記憶は残ってゐない。しかし、彼が小生の人生に与

 へた影響は計り知れない。(詳細は、本ブログ令和2年

 9月7日付「大東亜戦争戦死者への慰霊」をご参照賜度)

 然るに、叔父がインパールで戦病死した以外、予備知識

 のない小生だった。

 

〇 歳を経るに従って彼のことをもっと知りたいとの思ひ

 が嵩じてきた。そして、我が人生に多大な影響を与へて

 くれた亡き叔父に感謝の念を伝へる方途はないかと思索

 した。


〇 そして京都府庁やネット等での調査により、昨年8月、

 やっと第60連隊の霊が祀ってある標記慰霊碑を知り得

 たのだった。


〇 昨年9月に初めてお参りして、碑を護持されてゐる千歳

 碑護持会を知り、その活動(年間行事)の説明を受けた。 


〇 今日(1月2日)は、千歳碑護持会による年間行事

 「千歳碑初詣の集い」があった。参詣者の中で、叔父と

 同時期に出征し 叔父とは同一部隊で、戦死が一日違いだと

 いふ戦友のご遺族とも出逢った。


〇 「千歳輝」碑には、後年インパールの戦地で集められた

 石が聖石として戦友の御霊と倶に安置されてゐると聞いた。

 参詣は3度目だが叔父を身近に感じるところだ。長生きして

 詣で、亡き叔父に感謝を続けたい。

                       をはり

 

 

         

 

  

 

 

 

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