明眸皓歯 永遠の大スター 原 節子さん逝く。
○ 11月26日朝5時過ぎのNHKラジオニュースで、原節子さんの逝去
を知った。95才だった。(死去は9月5日だったが本人の希望で公表を控へた。)
の友人Mの顔が頭に浮か
んできた。彼は昭和20年
代の中高校生時代から原
節子さんの大ファンだった
のだ。
○ 彼が、後年語った処に
よると、映画館で明眸皓歯
の原節子さんの顔が大写し
になり、見詰られると、下を
向いてしまふといふのだ。
戦後男女同権の時代に
なったとは云へ、昭和20年
代の若者(中高校生)は純情なものだった。
○ 原節子さんは、彼女より一時代前のハリウッド伝説の大スターである
グレタ・ガルボに経歴が似てゐるため、「日本のグレタ・ガルボ」と称され
てゐる。
写真下:ハリウッドの大スター グレタ・ガルボ
○ グレタ・ガルボ
(1905.9.18~1990.4.15)
スウェーデン生まれのハリ
ウッド映画女優。ハリウッド
のサイレント映画期及び
トーキー映画初期の伝説的
スターである。19才でデ
ビューし、36才で引退。引退後は、公の場に出ることもなく、世間との
接触を断ち隠棲生活を送り、84才で死去した。(3度のアカデミー賞主演
女優賞ノミネート)
○ 原 節子
(1920.6.17~2015.9.5)
映画歴は、1935年に日活に入社、映画デビューし、37年に初の日独
合作映画「新しき土」のヒロイン役に抜擢された。この映画への出演が
銀幕のスターダムへの出発点となった。
○ 戦後の映画界で彼女は若手のトップに立ってゐた。彼女の持つ
理知的で品性の良い人柄は、戦後の新しい時代の映画に良くフィット
した。(46年「わが青春に悔なし」、49年「青い山脈」など) また、彼女
は戦前の女性が持つ奥ゆかしさや淑やかさも自然と身につけてゐた
ので、有力監督は、彼女の持ち味をうまく演出に生かした。
○ 彼女の演技には生硬に感じる面があったが、彼女が生来持って
ゐる清澄な雰囲気、輝かしく且つ重厚な存在感は、どの映画でも
スクリーンを圧した。
彼女が持つ映画への理解力は抜群だった。それを100%引出し得た
のは小津安二郎監督だった。「東京物語」など6作品を通じて小津監督
の原さんへの信頼は厚かったし、原さんも小津監督の全人格に身を託
した。
○ 日本映画の黄金期を駆け抜けた大女優は、引退宣言もなく、1962
年、42才を以って一切の表舞台から姿を消した。
○ 小生には、盛んなりし腕白の頃、村の小学校の講堂で青年団主催
の映画会があり、そこで観た「お嬢さん乾杯」(49年)が今も瞼に焼き付い
て離れぬ。
をはり
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