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  • 650 NHK杯 最後の雄姿。
     村山聖について、彼の師匠森信雄七段は後年 彼について こう語った。「私が村山聖を好きなのは、将棋にひたむきだったことと、病気のことも含めて一切グチを言わなかったことである。無念さや切なさ、遣り切れなさ、口惜しさ..その思いをすべて黙って将棋にぶっつけていたような気がする。」    聖は幼時より腎臓に重い疾患を持っており、生きること自体が闘いであった。いつまで生きられるかという思いを心の片隅に置き、名人を目指して指す彼の将棋は その必死さ において尋常なものではなかった。

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  • 050 地酒「本因坊秀策」
    碁聖 本因坊秀策の生誕地を訪ねて  アルバム(表紙)      上の写真は、村上水軍城
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囲碁

2012年6月15日 (金)

囲碁のふるさと 本因坊・寂光寺 訪問!

 

〇 小生が主宰する「囲碁クラブ」の研修旅行として6月13

 、14の両日、京都と若狭方面へ1泊2日の小旅行をした。

 

〇 本旅行の眼目は、第1日目の本因坊の発祥地・寂光寺

 (京市)を訪問することだった。

  昨年は本因坊道策の生家訪問墓参(島根県)、一昨年は

 本因坊秀策の生家訪問・墓参(広島県・因島)を果たした。

 

〇 寂光寺は京都市左京区の東大路仁王門通りを少し西に

 入たところにあった。

  ここで先月15、16の両日、本因坊戦(山下道吾本因坊

 vs井山裕太天元)第一局が打たれた。(写真はNHKTVより)

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〇 以下の写真は、寂光寺で当日撮影 ほか。

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写真下:初代本因坊の墓(中央) ほか

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〇 広い境内の一角に、初代算砂(中央)と歴代本因坊の墓が

 あった。今年は算砂上人が家康から碁所として俸禄を授

 かってから400年の節目にあたり、本因坊戦の前日(5月

 14日)に算砂上人報恩400年法要が行なはれた。法要には

 生存する歴代本因坊10名も参列した。

 

〇 “本因坊”と大書掲額(最近)された大広間で対局は行な

 はれた。我々囲碁クラブの面々も、この掲額を背に記念

 撮影をした。感激!

 

〇 “乾坤窟”(けんこんくつ)と読める古い装額(寺宝)は

 李礿史といふ人物(朝鮮通信使の一員?)が算砂に送った

 とされる。来日中に、算砂と三子で対局して敗れ、帰国後

 に送呈したものといふ

  我々はこの扁額のある広い室内でお茶の もてなし を受

 けた。室内には歴代本因坊に係はる資料の展示もあった。

 

〇 大川定信ご住職は、林海峰元本因坊と1歳違ひのをさな

 なじみの由で、今回の見学では30~40分に亘り懇切な説

 明案内を受けた。本当に有難うございました。 弥吉 

 

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2011年6月20日 (月)

本因坊道策の生誕地を訪ねて -その2-

 

〇 6月11日(土)は、朝 大阪を出発する時土砂降りだった

 が次第に明るくなり、仁摩町(島根県)に着く頃には青空が

 広がった。昨年6月に因島(広島県)に秀策の墓参をした時

 も雨模様のあと好天になった。


  道策、秀策の両先生とも、囲碁をこよなく愛するものを

 温かく迎へるべく気を使って下さったのだらう。

〇 道策の生家を見学し、長屋門や広い中庭をはさんで建つ

 母屋の重厚さに甚く感心したのち、近くの丘にある墓所と

 顕彰碑に向かった。

 

  写真下: 現当主 山崎尚志氏による顕彰碑改設の碑。

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 写真下: 左から井上因碩道砂(道策の実弟)、道策、山崎家

     開祖善右衛門の碑。
                               (平成13年改設建立の新しい碑)

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 下の写真: 改設前の古い碑。(以前は近くの菩提寺満行寺

       の鐘楼脇にあった由)

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 写真下: 兄弟である道策(右まえ)、因碩(左うしろ)の墓碑。

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尚、道策の墓所は、他に東京(本妙寺)、京都(寂光寺)にも

 あるさうだ。

 

平成25年5月追記: 山崎家当主 山崎尚志氏は、平成25年

            5月9日に死去された)

 

 

〇 地元が生んだ幕末の名棋士 岸本左一郎の顕彰碑を

 訪ねて。

  翌朝(6月12日)、道策の生家から約3km程の

 天河内にあるといふ岸本左一郎顕彰碑を捜し訪ねた。

   岸本左一郎は文政5年(1822)に石見銀山の

  ある大森に生れた。幼くして俊才。

   天保8年(1837)には江戸へ出て本因坊丈和

  の門に入った。そして同年遅れて入門してきた のち

  の秀策を知ることとなる。岸本は家の都合で一時帰

  郷し、地元で囲碁普及活動に尽力するが、秀策と

  はその後も様々に親交を重ねた。

 

  浄土真宗満行寺の境内を少し外れた、山道脇の笹竹

 の中に隠れて見過ごしさうな案内碑を見つけた。よく

 見ると「岸本橘堂先生之碑」と読めた。付近を捜して

 みると裏の小高い雑木林の中にそれはあった。

  下の写真が、岸本左一郎の顕彰碑。

 本因坊秀和が万延元年(1860)7月に碑文を書い

 てゐる。Photo_4

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〇 小雨の降りかけた暗い森の中なので碑文の文字が見え

 づかった。囲碁史ではよく知られてゐるが、地元では

 すっかり忘れ去られてゐるやうだ。

  安政5年(1858)病ひをえて37歳で早世した石生んだ

 名棋士の碑をもう少し人の目にふれ易い所移すなど

 心配りが欲しい。

 

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2011年6月13日 (月)

本因坊道策の生誕地を訪ねて。

 

〇 東漸する低気圧を気にしながら、6月11、12の2日間

 島根県へ旅をした。

〇 小生が主宰する囲碁クラブの第2回研修旅行として、第1

 日目は近代囲碁の祖といはれる本因坊道策(1645~1702)

 の生家を訪ね、墓詣をした。

〇 日本海に面する大田市仁摩町馬路にある道策の生家山崎

 家は、十三代続く同地の旧家。道策は父三代目七右衛門、

 母ハマの二男として生れた。幼くして俊才で7歳の頃から

 母に囲碁を習ひ、13歳で江戸へ出て本因坊三世道悦の門人

 とた。

  下の写真は生家正面全景で、人が立ってゐる所が駕籠

 をす石の台。尚、家は居住中のため、内外とも一般公開

 はしてゐない。Photo

 

  下の写真は、「折檻の井戸」と伝へられてゐる。母ハマは

 気丈な賢夫人で、子女の教育には特に心を砕き、時には裏

 にあるこの井戸に道策を吊るしたといふ逸話がある。


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           写真上は、道策が幼少時使用した碁盤・碁笥・石。

 

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 写真上は、本因坊秀策揮毫の扇子。(嘉永三年・ 1850年)


  下は、松江市で行われた第66期本因坊戦第1局の前日

 (5月10日)、対戦者と立会人が見学と墓参に訪れた

 時の揮毫色紙。
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〇 山崎家は、毛利元就の家臣で一万石を領してゐた松浦

 但馬守を祖としてをり、馬路に定着後は土地の庄屋とし

 て重きをなしてきた。

  下の写真は、広い玄関土間から見上げた屋根裏の重厚

 な太梁組みと入口横の壁際に掲げられた家紋入りの提燈。Photo_4

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  本因坊道策の生誕地を訪ねて-その2-

         (6月20日付の記事)へ

 

                                              つづく

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2010年10月23日 (土)

坂田栄男二十三世本因坊逝去。

 

〇 変幻の棋士 故山部俊郎は、昭和38年に本因坊・名人

 を制した坂田のあまりの強さにあきれ返り、中村草田男

 の名句「 降る雪や 明治は遠くなりにけり 」をもじり、

 曰、「 坂田は遠くなりにけり 」と表現した。

〇 その時、坂田42歳。

 

〇 「シノギの坂田」「カミソリ坂田」の異名を持ち、

 呉清源と並び称された昭和最強棋士の一人だったが、

 昨日(10月22日)遂に逝去、90歳だった。

                   瞑 目。

 

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2010年9月21日 (火)

モンテカルロ法なんて 何?

〇 モンテカルロ法とは数学的技法の一つで、乱数を用ゐて

 シュミレーションを何度も行なひ得られた結果から問題の

 近似的な解を求めるといふものです。

 

〇 囲碁のコンピューター・ソフトは随分出回ってゐますが、

 その実力の程は最強でもアマの1級~初段くらゐと云はれ

 てきました。ところが、最善より 確率を重視したモンテカ

 ルロ法を採用した囲碁プログラム「Zen]が開発され、

 様相は一変しました。

 

〇 昨年「Zen」を搭載した囲碁ソフト『天頂の囲碁』が発

 売されました。その発売記念として対局したプロ棋士王銘琬

 九段は、その実力をアマの3、4段と云ってゐます。将来こ

 の様なソフトがプロ並みの実力を備へるやうになるかは未知

 数ですが、有段者が囲碁ソフトを使用して腕を磨く時代が到

 来したことは確かです。

 

〇 囲碁の局面の変化数は10の360乗、将棋は10の220乗、

 チェスは10の120乗です。因みに、チェスは1997年に

 IBMのソフトが世界チャンピオンを破りました。将棋ソフ

 トの開発メンバーは数年後には名人や竜王に勝ちたいと意気

 込んでゐます。さて、囲碁は?

 

・(この記事は、小生が発行する本日付け“囲碁クラブだより”

 より転載したものです。)

 

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2010年8月22日 (日)

スポーツとしての囲碁の国際化とドーピング検査。

 

〇 マインド・スポーツとして定着しつつある世界の囲碁界

 の流れに、日本だけ手を拱いてゐるわけにはいけません。

  この4月には(財)日本棋院・(財)関西棋院・(財)日本

 ペア碁協会が新団体「全日本囲碁連合」を設立して、JOC

 (日本オリンピック委員会)に加盟申請し、加盟団体の承認

 を受けました。

 

〇 これで種目として囲碁のある国際スポーツ大会に参加す

 る国内的地ならし(整備)はできたわけです。先日、11

 のアジア大会にむけて出場予定の有力選手に対する体力

 定が行なはれ、囲碁の女性棋士も参加し体力測定のほか

 尿検査も受けたさうです。

 

〇 どんなスポーツ競技であれ、精神面の集中が大切なこと

 は言を俟ちません。囲碁でも、先の手を読むために精神・

 神経を集中させるべく薬物に依存する人が現はれる可能性

 は否定できません。試合後冷たい検査員の目を気にし乍、

 採尿検査を受けなければならない。そういふ国際化された

 時代が到来したのだと割り切らざるを得ません。

 

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・                                         ・

 

 

2010年7月18日 (日)

ー囲碁中興の祖・本因坊道策に慕はれた碁打ちの物語ー

 

〇 冲方丁著「天地明察」が直木賞にノミネートされました

 が、惜しくも落選。残念でしたネ。

 

〇 この本は今年1月に、第7回本屋大賞(全国の書店員が

 選んだ今一番売りたい本)に選ばれてから人気に火がつき

 ました。囲碁を知らない若者の間でも元気の出る本として

 話題になりました。

 

〇 既に読まれた方もあると思ひますが、物語は、江戸時代

 前期の囲碁界名門に生まれ乍、数学(和算)、天文暦学に

 長じた才能をもつ渋川春海(二世安井算哲)が、20年に

 亘る挫折と再起の末、日本初の国産暦を完成させるサクセ

 ス・ストーリーです。

 

〇 常に前向きに生きる姿勢に、読者が魅了されるのです。

 最後に成就する秘めたる恋もあり、生きる勇気が百倍出る

 本ですから、未だの方は是非読んで下さい。

(図書館にあります)

 

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 ㊟ 以上の記事は、小生が発行する「囲碁クラブだより」

 の次号に掲載予定のものです。     弥 吉

 

      

2010年6月16日 (水)

本因坊秀策の生誕地訪問。

 

〇 今週末に、一泊二日で棋聖本因坊秀策の生誕地因島

 (広島県)を訪問します。

 

 〇 小生が幹事をしてゐる「囲碁クラブ」の研修旅行な

 のです。気の置けない囲碁仲間8名が参加してくれま

 した。秀策囲碁記念館、生家、秀策碑などを見学し、

 墓参もします。

  夜には、例の「耳赤の一手」を並べて勉強もしやうと

 思ってゐます。

“ Travel broadens a mind.”  

  なにか、心にのこる旅にしたいものです。

 

 (追記: 旅行後の写真入り紀行文を

   ≪マイフォト因島紀行≫ として、本ブログの

  左サイドバーの上の方(プロフィルの下)

  にアップしてをります。是非、ご笑覧賜度。)

 

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