○ 長い、長ーい天候不順で、稲刈りがいつ出来るのだらうと
気を揉んでゐたが、ネットで福知山地方の天気予報を調べる
と1週間ほど晴れが続くやうに報じてゐたので、急遽、昨日
(9月8日)早朝、大阪を出発、田舎へ行ってきた。
○ 丹波地方は深い霧の中にあったが、これは良い天気に
なる予兆だ。9月になっても雨降りが続き、田圃の中が乾
かない状態だったが、今日から本格的に営農組合のコンバ
インによる稲刈りが始まった。
10町歩を超える広い農地だが、偶々、小生の2反歩は
初日に刈って貰へた。多謝。
田圃の土手には彼岸花が咲き始めてゐた。
○ 8月上旬までは順調に稔りつつあった稲が、中旬以降
福知山地方を襲った度重なる長期豪雨により、最後の登熟が
叶はなかった。 不作とまでは云はないが減収は間違ひない。
人間が幾ら頑張っても自然・天候には抗しえない。
弥 吉
〇 小生が米作りをしてゐる田舎のすぐ近くに、古来 歌枕で
知られた“生野の里”がある。
百人一首にある和泉式部の娘・小式部内侍が詠んだ
“大江山生野の道の遠ければ まだふみも見ず天橋立”
金葉集 大治元年(1126年)は、あまりにも有名。
〇 昨日(3月23日)早朝、大阪を発ってお彼岸の墓参り
に田舎へ行った。
田舎の家に着く途、思ひついて撮ってみたのが以下の
写真。
(写真の上でクリックすると、拡大します)
写真下:国道9号線沿ひに立ってゐるPR看板。
写真下:JRバス生野の里バス停留所と傍らにある石碑
(裏は歌碑)。
写真下:生野の里の案内板と本陣もあった街道(宿場)の新旧写真。
〇 旧写真の右端の家(江戸時代は桶屋だった)の佇まひは、
90年後の現在も殆ど変ってゐない。
をはり
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