村山聖について、彼の師匠森信雄七段は後年 彼について こう語った。「私が村山聖を好きなのは、将棋にひたむきだったことと、病気のことも含めて一切グチを言わなかったことである。無念さや切なさ、遣り切れなさ、口惜しさ..その思いをすべて黙って将棋にぶっつけていたような気がする。」 聖は幼時より腎臓に重い疾患を持っており、生きること自体が闘いであった。いつまで生きられるかという思いを心の片隅に置き、名人を目指して指す彼の将棋は その必死さ において尋常なものではなかった。
平成9年2月1日 第30回早指し選手権戦決勝、対田村康介四段。 村山はこの年 新年早々、ある決意をしていた。東京からの撤退。大阪にも戻らない。故郷 広島に帰る。 前年秋より、血尿が出て体調を崩しがちで癌ではないかと危惧していたのだ。 そしてこの棋戦のあと、2月5日にA級順位戦を戦い(勝った)、2月7日、1年半の月日を過ごした東京を去り、一人広島に帰った。